「三蹟」
唐風去り行き三蹟に。
小野道風 藤原佐里 藤原行成
[ポイント]
1.三蹟とは小野道風・藤原佐理・藤原行成の3人をいう。
[解説]
1.いずれも藤原期(国風文化)を代表する(唐風ではない)優美な丸みを帯びた和様といわれる書風。
2.小野道風(894~966)は、学者小野篁(たかむら)の孫。代表作は『秋萩帖(あきはぎじょう)』。室町時代の青蓮院流(しょうれんいんりゅう)(江戸時代の御家流(おいえりゅう))へ影響を与えた。
3.藤原佐理(944~998)は、実頼の孫。大宰府への赴任途中から甥に宛てて書いた『離洛帖(りらくじょう)』が代表作。
4.藤原行成(972~1027)は、和様書道の流派の一つ世尊寺流(せそんじりゅう)の祖。
〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ
下線部8の密教に関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.これを天台宗に導入した円珍の門流はのちに寺門派と呼ばれた
b.これを天台宗に導入した円仁の門流はのちに山門派と呼ばれた
c.これを日本に伝えた空海は、嵯峨天皇、橘逸勢とともに三蹟と呼ばれた
d.これを日本に伝えた空海は、庶民に門戸を開いた綜芸種智院を創設した
(答:c ※三筆の誤り)〉
〈2013学習院大学・経済:「
弘仁年間に在位していた(3)〔イ桓武天皇 ロ平城天皇 ハ嵯峻天皇 ニ淳和天皇 ホ仁明天皇〕は、最初の勅撰漢詩文集である(5)〔イ『懐風藻』 ロ『経国集』 ハ『性霊集』 ニ『文華秀麗集』 ホ『凌雲集』〕の編纂を命じて中国風の文芸を奨励した。また自身も空海や(6)〔イ小野道風 ロ最澄 ハ橘逸勢 ニ藤原行成 ホ藤原佐埋〕とともに三筆に数えられ、唐様の書に練達していることで著名であった。こうした文化面での唐風全盛期の時代に。法制の上でも唐で行われているのと同様に。律・令・格・式のそれぞれをすべて備えるというスタイルを達成したのであった。」
(答:3ハ、5ホ、6ハ)〉
〈2011文教大・全学部
問8下線部(f)橘逸勢に関連して、この人物とともに唐風書道の名手として三筆と並び称された人物の組合せとして正しいものはどれか。次の中から一つ選べ。
1.小野道風・空海 2.小野道風・藤原行成
3.嵯峨天皇・藤原行成 4.嵯峨天皇・空海
(答:4)〉