三人珍事を。
山門派 円仁 円珍(えんちん)・寺門(じもん)派)(園城寺(おんじょうじ)
[ポイント]
1.寺門派は、円珍を祖とする園城寺(三井寺)に拠る一派。
[解説]
1.真言宗の密教を東密とよび、最澄が創始した天台宗の密教を台密とよんでいる。その後台密はその弟子の代に本格化し、円仁の派と円珍の派に分かれる。
2.円珍(814~91)も15歳で延暦寺で出家、唐に留学(853~858)。帰朝後、第5代天台座主となり、諡(おくりな)は智証大師(ちしょうだいし)。比叡山延暦寺を中心とした天台宗の発展に寄与し、廃寺寸前の園城寺を天台別院として復興した。
3.円珍の死後、円仁と円珍の教理の違いから、弟子の時代の981年、円仁派と円珍派の僧の対立がおこり、円珍派は比叡山を下りて園城寺を拠点とした。この結果、天台宗の比叡山側を山門派、園城寺側を寺門派と呼ぶようになった。
4.園城寺の通称「三井寺」は、天皇の産湯(うぶゆ)に使った井戸「御井(みい)」が境内にあり「御井の寺」が転じたものという。
〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ
下線部8の密教に関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.これを天台宗に導入した円珍の門流はのちに寺門派と呼ばれた
b.これを天台宗に導入した円仁の門流はのちに山門派と呼ばれた
c.これを日本に伝えた空海は、嵯峨天皇、橘逸勢とともに三蹟と呼ばれた
d.これを日本に伝えた空海は、庶民に門戸を開いた綜芸種智院を創設した
(答:c ※三筆の誤り)
腐った 三筆。
空海 嵯峨天皇 橘逸勢 三筆