□古代134.における特筆技法 ◇B
[ゴロ]素質ないから/イチ本は/止(よ)せ
(塑像(そぞう)・乾漆像(かんしつぞう))(一木造(いちぼくつくり)・翻波(ほんば)式)(寄木(よせぎ)造)
[句意](お前は)素質がないからイチローの技法はこなせない、イチローの本は止めとけ、という句。
[ポイント]
1.特徴ある技法は、天平が乾漆像・塑像、弘仁貞観が一木造・翻波式、国風が寄木造。
[解説]
1.乾漆像は中国より伝わった技法。土で原形を作りその上に麻布を漆で固め、その後土を抜いて内部を空洞にして木枠を入れる脱乾漆(脱活乾漆)と、土と木で作った原形の上に麻布を漆で塗り固め木心を残す木芯乾漆の2つの技法がある。ほとんどの乾漆像は脱乾漆で、代表作は興福寺の十大弟子像・八部衆像など。わずかな木心乾漆の代表作としては、聖林寺(しょうりんじ)十一面観音像がある。
2.塑像は、心木(しんぼく)に荒縄などを巻き付け、その上に荒土(あらつち)の粘土を盛り上げ形を作る。表面に仕上土(しあげつち)として白土(しらつち)をかぶせて細部を仕上げ、最後に彩色する。代表作の東大寺法華堂執金剛神像は力強い憤怒(ふんぬ)の表現に迫力があり、華麗な彩色も残っている。なお唐招提寺鑑真和上像(乾漆像)は塑像のように見えるため正誤問題に頻出するので注意してください。
3.一木造(一木彫(いちぼくぼり))は、木像で頭部と胴体が一本の木材で造られているもの。肉が厚いので深く彫れる特徴がある。平安中期以降の寄木造(よせぎづくり)に対する語。
4.翻波式とは、平安初期の木造彫刻の衣のしわの表現様式。角味の大波と丸味の小波とを交互に繰り返し、波が翻るように表現する。翻波式の代表作は、室生寺弥勒堂釈迦如来像。
5.寄木造は、平安中期以後の仏像彫刻法。2材以上の材を寄せ合わせ、多くの工人で部分を製作し、全体をまとめる技法。一木造に対する語。平安中期の仏師定朝(?~l057)は、寄木造の手法を駆使して道長の法成寺の仏像、平等院鳳凰堂阿弥陀如来像をつくった。彼は優美な和様を完成、定朝様と呼ばれる。
〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ
東大寺の大仏は銅像の表面に鍍金を施した金銅像であるが、天平文化の時代には、( へ )や乾漆像の制作技法も発達した。( へ )は木を芯として粘土を塗り固めて造る像で、乾漆像は粘土などの原型の上に麻布を漆で幾重にも覆い固め、中の原型を抜き取って造る像である。」
(答:ヘ塑像)〉
〈2011文教大・全学部
問7 下の史料は下線部(e)の唐僧に関する伝記であるが、この史料に描かれている「大和上」について述べた文として正しいものはどれか。次の中から一つ選べ。なお、史料は一部書き改めたところと省略したところがある。
時に大和上揚州大明寺にあり、衆僧のために律を講ず。栄叡・普照師大明寺に至り、大和上の足下に頂礼し、具に本意を述べて日く、「(中略)願はくは和上東遊して化を興せ」と。大和上答へて日く、「(中略)誰かこの遠請に応へ、日本国に向ひて法を伝ふる者あるや」と。(中略)和上日く、「(中略)諸人去かざれば、我すなわち去くのみ」と
1.彼が来日した時の天皇は聖武天皇であった。
2.大仏開眼会では開眼導師を務めた。
3.唐招提寺には、塑像の技法で製作された「和上像」が現存する。
4.東大寺に戒壇院を設立し、最初の本格的な授戒を行った。
(答:4 ※1孝謙天皇の代、2開眼導師はインド出身の僧・菩提僊那が担当、3塑像のように見えるが乾漆像である)
〈2012明治大・政経:「
奈良時代には平城京を中心に貴族文化が栄え、遺唐使によって唐の文化の影響を強く受け、国際交流のなかで国際色豊かな文化として花開いた。この時代の彫刻には、それまでの金銅製や木製の仏像のほかに、(ウ)粘土で塗り固めた塑像や漆で塗り固めた乾漆像がつくられた。戒律を伝えるため、苦難を乗り越えて渡日した唐の高僧の[ 1 ]は、日本の仏教の発展に寄与した。
問5 下線部(ウ)について、塑像作品はどれか。A~Eからーつ選べ。
A興福寺八部衆像 B新薬師寺十二神将像
C聖林寺十―面観音像 D唐招提寺鑑真和上像
E東大寺法華堂不空羂索観音像
(答:1鑑真、ウB※ACDEが著名な乾漆像なので無名のBが答としてのこる)〉