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蜻蛉日記

2018-06-19 | Weblog

苦難な陰に密な母。
977蜻蛉(かげろう)日記 藤原道綱(ふじわらみちつな)の母

[ポイント]

1.『蜻蛉日記』は、977年ころ成立、作者は藤原道綱(ふじわらみちつな)の母で、藤原兼家(かねいえ)との結婚生活の日記。

[解説]

1.『蜻蛉日記』の作者は藤原道綱母(936~995)。姪に藤原孝標の女がいる。藤原兼家から求婚されて結婚。これはのちに摂政太政大臣に登る男との玉の輿的婚姻だった。はじめ兼家の訪問も頻繁で、兼家の2男道綱も生まれる幸福な結婚生活であった。しかし兼家には既に長男を産んだ妻がいただけではなく、やがて別の新たな女性もあらわれ、その足が遠のくようになり、一転不幸な蜻蛉のような立場に陥った。そのような兼家との満たされなかった思い出を自己を真摯に見つめて記している。歌人としても日記に見える「嘆きつつ一人寝(ぬ)る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る」が百人一首に入っている。

〈2015立命館大・全学部

 下線部1の女性の文学の説明として、もっとも適当なものを下から一つ選べ。

 1.一条天皇の皇后定子に仕えた紫式部は、大長編小説である『源氏物語』を著した。

 2.和泉式部は、在原業平との情熱的な恋愛を回想した自叙伝文学を著した。
 3.右大将藤原道綱の母は、夫藤原兼家との結婚生活を自叙伝風に著した。
 4.歌人藤原定家の妻阿仏尼は、夫との結婚生活を歌物語に著した。」

(答:3 ※1紫式部は彰子に仕えた、2和泉式部(生年は978ころか)と在原業平(825~880)は時代が合わない、4藤原為家の側室)〉

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日記文学

2018-06-19 | Weblog

トカゲイズ村皿讃岐建礼門院十六夜に。

佐日記・蛉(かげろう)日記・草子(まくらのそうし)・泉式部(いずみしきぶ)日記・式部(むらさきしきぶ)日記)(級(さらしな)日記・岐典侍日記(さぬきのすけのにっき)・院右京大夫(けんれいもんいんうきょうだいぶ)集)(十六夜(いざよい)日記)

[ポイント]

1.おもな日記文学は成立順に、『土佐日記』→『蜻蛉日記』→『枕草子』→『和泉式部日記』→『紫式部日記』→『更級日記』→『讃岐典侍日記』→『建礼門院右京大夫集』→『十六夜日記

〈2015九州大・国語問題

 源氏物語」の作者の書いた日記の中に出てこない人物を、次の選択肢の中から一人選べ。

 ア一条天皇 イ和泉式部
 ウ清少納言 エ藤原公任
 オ藤原道長 カ菅原孝標」

(答:カ)〉

〈2012明治大・政経

 遣唐使が廃止されるころになると、中国文化を消化・吸収した国風化が進み、平仮名や片仮名が広く使われるようになり、仮名文字による優れたエ)文学作品があらわれた。」

6 下線部(エ)について、この時期の日記作品として誤っているものはどれか。A~Eから一つ選べ。

 A十六夜日記 B和泉式部日記
 C蜻蛉日記  D更級日記
 E紫式部日記

(答:A)〉

〈2012明大・国語・全学

本文(讃岐典侍日記)中の作者についての説明として最も適当なものを次の中から一つ選べ。

A 鳥羽天皇への出仕には積極的な気持ちになれぬまま、あくまで故堀河天皇への追慕を募らせている。

B 鳥羽天皇への出仕は気が進まぬながら、心を奮い立たせて自分の役割を懸命に果たそうとしている。
C 鳥羽天皇への出仕を歓迎すべきこととしながら、その準備に忙殺されることにいささか閉口している。
D 鳥羽天皇への出仕を心待ちにしながら、一方では故堀河天皇を追慕する心を整理できないでいる。」

(答:A)〉

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