苦難な陰に密な母。
977年蜻蛉(かげろう)日記 藤原道綱(ふじわらみちつな)の母
[ポイント]
1.『蜻蛉日記』は、977年ころ成立、作者は藤原道綱(ふじわらみちつな)の母で、藤原兼家(かねいえ)との結婚生活の日記。
[解説]
1.『蜻蛉日記』の作者は藤原道綱母(936~995)。姪に藤原孝標の女がいる。藤原兼家から求婚されて結婚。これはのちに摂政太政大臣に登る男との玉の輿的婚姻だった。はじめ兼家の訪問も頻繁で、兼家の2男道綱も生まれる幸福な結婚生活であった。しかし兼家には既に長男を産んだ妻がいただけではなく、やがて別の新たな女性もあらわれ、その足が遠のくようになり、一転不幸な蜻蛉のような立場に陥った。そのような兼家との満たされなかった思い出を自己を真摯に見つめて記している。歌人としても日記に見える「嘆きつつ一人寝(ぬ)る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る」が百人一首に入っている。
〈2015立命館大・全学部
下線部1の女性の文学の説明として、もっとも適当なものを下から一つ選べ。
1.一条天皇の皇后定子に仕えた紫式部は、大長編小説である『源氏物語』を著した。
2.和泉式部は、在原業平との情熱的な恋愛を回想した自叙伝文学を著した。
3.右大将藤原道綱の母は、夫藤原兼家との結婚生活を自叙伝風に著した。
4.歌人藤原定家の妻阿仏尼は、夫との結婚生活を歌物語に著した。」
(答:3 ※1紫式部は彰子に仕えた、2和泉式部(生年は978ころか)と在原業平(825~880)は時代が合わない、4藤原為家の側室)〉