1940(昭和15)年 〈大政翼賛会の成立〉★★
Government sets up Taisei Yokusankai (Imperial Rule Assistance Association).
行(い)くよお好み 翼賛会。
1940年 近衛文麿内閣 大政翼賛会 産業報国会
1940年6月、ドイツがパリを占領すると、近衛文麿は、国民を戦争協力へと駆り立てる新体制運動を推進。7月、第二次近衛文麿内閣が成立し、10月に大政翼賛会が結成され諸政党が解党、11月には産業報国会も結成され、ファシズム体制が確立した。
[point]
1.近衛文麿内閣のとき、大政翼賛会が、東條(条)英機内閣 のとき、翼賛政治会が結成された。
[解説]
1.1940(昭和15)年6月、近衛文麿は枢密院議長をしりぞいて、在野で新体制運動をはじめた。やがて近衛文麿Ⅱ内閣(1940.7/22~1941.7/18)のときの1940(昭和15)年10月に大政翼賛会として結実した。しかし、大政翼賛会は当初めざした一大指導政党ではなく、総裁を総理大臣、支部長を道府県知事とし、部落会・町内会・隣組を下部組織とする官製の上意下達機関であった。
2.太平洋戦争中の1942(昭和17)年4月、東條英機内閣(1941年10/18~44年7/22)は、戦争翼賛体制の確立をめざし、5年ぶりの総選挙を実施した(翼賛選挙)。選挙後には挙国一致的政治結社として翼賛政治会が結成され、議会は政府提案に承認をあたえるだけの機関となった。しかし、形式的には、憲法や議会活動が停止されることはなかった。
〈2017早大・文化構想
第2次近衛内閣時に新体制運動の推進を目指してつくられた[ D ]についても、その台湾版というべき皇民奉公会がつくられ、台湾全土を組織下においた。
問8 空欄Dに当てはまる語句はなにか。漢字5字で記入しなさい。」
(答:大政翼賛会)〉
〈2017上智大・外(独ポ)神総(心理)
同じ時期である1942年4月、時の(オ)内閣は、戦争翼賛体制の確立を図って、(カ)年以来の総選挙を実施した。その結果として、(d)大政翼賛会傘下の翼賛政治体制協議会が推薦する候補が当選者中の大多数を占め、彼らは「翼賛議員」と呼ばれたが、協議会の推薦をうけないで立候補して当局からの選挙干渉に苦心しながらも何とか当選した(e)「.非翼賛議員」も衆議院議員の定数466人中の(キ)数人に達した。
問オ 空欄(オ)に入る人物は誰か。もっとも適切な人名を、次の中から1人選べ。
①林銑十郎 ②東条英機
③平沼麒一郎 ④近衛文麿
問カ 空欄(カ)に入る数字はどれか。もっとも適切なものを、次の中から1つ選べ。
①1936 ②1937
③1938 ④1939
問キ 空欄(キ)に入る数字はどれか。もっとも適切なものを、次の中から1つ選べ。
①50 ②60 ③70 ④80
問d 下線部(d)の説明として誤っているものはどれか。次の中から1つ選べ。
① 設立時の首相として総裁に就いたのは、近衛文麿であった。
② 1940年に設立された。
③ 立憲民政党や立憲政友会などの政党は、すでに1939年末に解党していた。
④ 隣組は、これの最末端の協力組織であった。
問e 下線部(e)の中に人らない者は誰か。次の中から1人選べ。
①岸信介 ②芦田均
③尾崎行雄 ④鳩山一郎」
(答:問1オ②、カ②、キ④、問2d③、e①)〉
〈2017立教大・異文化コミュ済(済政策)法
戦争への道を歩んだ1930年代には、(13)政府に不利となりうる言論に対する統制が強まった。1940年には、首相の(14)近衛文麿を総裁とする( へ )が組織された。その後、( へ )は、部落会・町内会・隣組を下部組織とする官製の上意下達機関となり、戦争遂行のために、国民生活を画一的に規律する役割を果たした。
問13.これに関連して.自由主義的刑法学説を唱えた京都帝国大学法学部教授が、国家破壊の危険思想を持つなどとして休職処分を受け、法学部の全教員が辞表を出して抵抗するという事件が生じた。この休職処分を受けた教授の名をしるせ。
問14.この人物近衛文麿を首相とする内閣に関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.国家総動員法が制定され、政府は議会の承認なしに、戦争遂行に必要な物資や労働力を動員する権限を得た
b.ドイツの駐華大使トラウトマンを通じて和平工作を進め、日中戦争の早期停戦を模索した
c.満州国や中国(南京)の汪兆銘政権などの代表者を東京に集め、大東亜会議を開いた
d.盧溝橋事件の発生後、当初とっていた不拡大方針を変更し、兵力を増派して戦線を拡大させた」
(答:ヘ大政翼賛会、問13滝川幸辰 ※
1933(昭和8)年5月 滝川事件:京大滝川幸辰教授、『刑法読本』で休職。
引くササ滝は 今日だけど。
1933年 滝川幸辰 鳩山一郎 京大教授 『刑法読本』
、問14c×※東條英機内閣のときの1943年11/5~6開催「東」)〉
〈2013早大・政経
問 下線部(3)太平洋戦争について、誤っている記述はどれか。
ア.連合艦隊司令長官山本五十六の作戦構想のもと、日本海軍の機動部隊が航空機を主力にハワイの真珠湾を拠点とするアメリカ太平洋艦隊の主力を攻撃した。
イ.アメリカ国務長官ハルは、中国からの撤兵や三国同盟の破棄を含むハル=ノートを提示したが、日本政府との交渉は決裂し、太平洋戦争へと至った。
ウ.近衛文麿内閣のもと、1942年に総選挙が実施され、政府の援助を受けた推薦候補が絶対多数を獲得し、議会は政府提案に承認を与えるだけの翼賛議会と化した。
エ.1942年、ミッドウェー島沖で日米の海軍機動部隊同士が戦い、日本は主力空母4隻とその艦載機を失う敗北を喫した。
オ.1945年9月2日、米戦艦ミズーリ号上で日本政府代表重光葵と軍代表梅津美治郎が降伏文書に署名した。」
(答:ウ× ※東條英機内閣のとき)〉
〈2012明大・法
4 次の文中の空欄(番号が付された箇所)に、語群からもっとも適当と思われる語を選べ。
1940(昭和15)年6月、近衛文麿は枢密院議長を退き、全国民の戦争協力を目指す新体制運動の中心的人物となった。この運動の下で既存の諸政党は解散することとなり、まず同年7月には無産政党が合同してできた[ 1 ]が、同年8月には当時の二大政党の一方であった[立憲民政党]が解党した。この運動を受けて、同年10月には[大政翼賛会]が発足し、近衛文麿はその総裁となったが、これは国民総動員体制の中核組織と位置づけられた。その後、太平洋戦争が始まると、1942(昭和17)年に東条英機内閣の下で総選挙が実施され、[翼賛政治体制協議会]によって推薦された多数の候補者が当選した。この総選挙の後、東条内閣によって認められた政治結社として[ 2 ]が発足し、大多数の議員がこれに参加した。
〔語群〕
A.立憲政友会 B.社会民衆党
C.翼賛議員同盟
D.全国労農大衆党
E.国民同盟 F.社会大衆党
G.大政翼賛会
H.翼賛政治体制協議会
Ⅰ.日本無産党 J.翼賛政治会
K.立憲民政党
L.大日本翼賛壮年団
(答:1F、2J)