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台湾支配

2018-08-28 | 入試問題+ゴロ合わせ

台湾でカバの子強盗。

台湾統治)(山資紀(かばやますけのり)・児玉源太郎)(後藤新平

[point]

1.日本の台湾支配は,初代総督樺山資紀についで、4代児玉源太郎のもとで後藤新平が民政に力をそそいだ。

[解説]
1.日本は、1895年下関条約台湾澎湖諸島を清国から割譲された。これに対し現地台湾では反日抵抗運動が発生、一時台湾民主国の成立が宣言された。

2.しかし日本は軍隊を上陸させ、抵抗運動を鎮圧し、植民地支配をすすめた。台湾総督府を設置、初代総督に樺山資紀が就任させ、武断的植民地支配を開始した。歴代の台湾総督には陸海軍の大将・中将が任命され、軍事指揮権のほか、行政・立法・司法に大きな権限を持った。


3.1898(明治31)年以降、第4代台湾総督児玉源太郎の下で後藤新平による、現地の実情を考慮した民政政策がすすめられ、土地調査事業を通じ土地制度の近代化を進められた。また、台湾銀行台湾製糖会社を設立するなど、産業の振興もはかられた。


4.台湾の支配は、現地の地主・商人などの富裕層を懐柔しながら進められたが、その一方で貧農などの民衆は日本の支配への抵抗を続け、たびたび反日武装蜂起をおこした。日本はこれに対して徹底した弾圧でのぞみ、その支配は1945(昭和20)年まで続いた。


2017早大・文化構想

問6 下線c台湾総督府に関して、第4代台湾総督児玉源太郎の下で民政長官を務めた人物は誰か。1つ選べ。

 ア江藤新平 イ新渡戸稲造
 ウ後藤象二郎 エ樺山資紀
 オ後藤新平」

(問6:オ)〉

2017慶大・商

 下関条約締結後、日本軍は1895年5月に台湾に上陸したが、台湾では[ 38 ]の成立が宣言され、各地で反日運動が起きた。日本は台湾総督府を設置し、初代総督に海軍の[ 39 ]を任命し、島民の抵抗を武力で鎮圧した。1898年に陸軍出身の[ 40 ]が第4代台湾総督に、内務官僚の( c )が民政局長(のち民政長官)に就任し、統治政策を転換して、植民地経営を成功させた。

問1 文中の空欄[38~40]に当てはまる最も適切な語句を下の語群(省略…)より選べ。


問2 文中の空欄(c)に入る最も適切な語句を漢字で書きなさい。」


(答:38台湾民主国、39樺山資紀、40児玉源太郎、c後藤新平 ※原問では38~40に72選択肢あり)〉


2017早大・商

問E 下線部ホ児玉源太郎の人物に関する記述のうち、正しいものを2つマークせよ。
 
 1.日清戦争時、陸軍大臣をつとめた。                    

 2.台湾総督をつとめ。民政局長に後藤新平を登用した。    
 3.日露戦争時、満州軍総参謀長をつとめた。              
 4.伊藤博文の後継として立憲政友会総裁となった。        
 5.南満州鉄道初代総裁に就任した。」

(答:2・3)


2016早大・政経

【史料2】
 此の震災後に善処するの策として、単に震災前の旧態其の物に回復するに止むるや否やは、独り東京横浜と云う一都市の問題たるに止まらずして、我邦将来の禍福の岐るる重要の案件でありまして、随て是が決定に就ては、極めて慎重なる講究を必要とするのであります。

 帝都復興其の事は、唯形式の復興に止まらず、又国民精神の復興を必要と致します。加之帝都の復興は、帝国の復興と相関連致します。故に帝国の政治文化経済の中心としての帝都の復興は、帝国の政治、帝国の文化、帝国の経済の復興の力に俟たなければならぬのであります。


問10.【史料2】は、台湾の民政長官や南満州鉄道総裁を務め、復興計画の中心となった人物の演説の一部である。この人物の氏名を記せ。」


(答:問10後藤新平)

2013同志社大学・文経済

 日清戦争後の下関講和条約で、日本は最初の植民地として台湾を獲得した。台湾では、1895年にa台湾総督府が設置され、1899年に中央発券銀行としてb台湾銀行が設置された。台湾銀行の設置後、台湾は中国の通貨圈から隔離され、日本の通貨圏への編入がすすめられていった。

問a.初代の台湾総督に就任した人物名を下記より選べ。


 l.児玉源太郎 2.樺山資紀

 3.後藤新平  4.桂太郎

問b.台湾銀行の鈴木商店に対する不健全融資などが引き金となって発生した恐慌の名称を下記より選べ。


 l.安定恐慌  2.戦後恐慌

 3.金融恐慌  4.農業恐慌」

(答:問a2,問b3)〉


2013早大・政経:「

問4.下線部3)台湾において、民政長官をつとめたのは誰か。

 イ児玉源太郎 ロ後藤新平

 ハ宇垣一成 ニ南次郎 ホ団琢磨」

(答:ロ)〉

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日清戦争の賠償金

2018-08-28 | 入試問題+ゴロ合わせ

金八去ろう 箱軍事 午後公費。


本位制・幡製所・3.6億円)(85%・軍事費用)(5.5%・用)


[ポイント]

1.日清戦争の賠償金3億6千万円85%軍事費用に、5.5%皇室費用に使用。一部を八幡製鉄所の設立および金本位制の準備金とした。

[解説]

1.日本が下関条約で獲得した巨額の賠償金3億1千万円に、三国干渉後の遼東半島還付金5千万円を加えると、総額約3億6千万円にのぼる。

2.その使途内訳は軍事関係約85%(軍備拡張費62.8%・臨時軍事費21.9%)皇室費用5.5%。これに対し戦争に協力し多大の犠牲を払った国民に関するものはたった5.6%(教育基金2.8%・災害準備金2.8%)だった。ここに一部の特権階級を代表した明治政府の本質が表れている。


3.日清戦争の賠償金をもとに、1897年、官営の八幡製鉄所を設立され、同年、貨幣法を公布して金本位制を確立した。


4.賠償金は日本の戦費約2億円を上まわり、日本の国家予算の実に4年分に相当した。最初の対外戦争で「戦争は儲かるものだ」と味をしめたことが、考えてみればその後の1945年の破滅へ通じたと言えよう。


2017関西学院大・全学部2/1:「

問9.次のa・bの正誤を判断せよ。

 a.下関条約で取り決められた日清戦争の賠償金と、のちの遼東半島還付の代償金は、当時の日本貨の3億5000万円以上に相当し、その8割強は軍事関連に使われた。

 b.ポーツマス条約で、日本が賠償金を得ることができなかったことに国民は不満を爆発させ、東京日比谷での講和反対の集会は暴動化した。」

(答:問9a〇、b〇)〉


2017慶大・商

問3(4)下線部(エ)賠償金2億両(約3億円)を日本に支払うことになっていたについて、日本が日清戦争で得た賠償金を準備金として、1897年に確立した貨幣制度とは何か、漢字で書きなさい。」

(答:金本位制)〉


2016学習院大・済営:「

 日清戦争で得た賠償金をもとに、1897年、[ 4 ]法が公布されて金本位制が確立した。

問4 [ 4 ]にあてはまる法律名を答えなさい。」


(答:貨幣)〉


2016上智大・法(地球)済(営)総人(社福):「

問1 次の文章の空欄(オ~ク)に当てはまるもっとも適切な語句を、あとの語群から1つずつ選びなさい。なお、同じものを何回選んでもよい。
 
その後、日清戦争での勝利で日本円に換算して約( オ )億円あまりの賠償金を清国から得た日本は、戦後経営に着手し、軍備拡張とともに金融・貿易制度の整備にも着手した。( カ )年には、貨幣法の制定によって賠償金の一部を準備金とすることで( キ )本位制を採用し、貨幣価値の安定、貿易の振興を進めようとした。そして、外国為替のための特殊銀行である( ク )正金銀行が、積極的に貿易の金融にあたった。


〔語群〕
 1金 2大阪 3.1881 4.1899   

 5.1897  6神戸 7.1892 8大隈重信
 9.2.5 10.1883 11大阪商船 12銀     
 13.1895 14土地 15東洋汽船 16.1889   
 17.1890 18.1896     19松方正義 20横浜   
 21.3.5 22共同運輸 23井上馨 24.1898   
 25銅 26ドル 27.1882 28.1891   
 29東京 30日本郵船 31.1.5 32ポンド」

(答:オ.21、カ.5、キ.1、ク.20)〉

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