しれっと北部 良い南部。
(北部進駐・1940年・くず鉄ガソリン禁輸)(第3次近衛内閣・南部進駐・1941年・資産凍結石油禁輸
[point]
1.第2次近衛内閣のときに北部仏印進駐を行いくず鉄ガソリン禁輸の、第3次近衛内閣のときに南部仏印進駐を実行し資産凍結石油禁輸のそれぞれ報復をうけた。。
[解説]
1.1940年7月、第2次近衛内閣が成立。組閣に先立って近衛と陸・海・外相予定者との会談で、欧州大戦不介入方針からの転換、ドイツ・イタリア・ソ連との提携強化、積極的な南方への進出(南進)の方針が定まった。
2.南進政策には、①ドイツに降伏したヨーロッパ諸国の植民地(ドイツの占領下にあったオランダ領東インド(蘭印、現インドネシア)、ドイツに降伏していたフランス領インドシナ(仏印、現ベトナム・ラオス・カンボジア)などを影響下におくこと、②援蔣ルートを遮断して停滞した日中戦争を打開するねらい、があった。こうして9月、日本軍は北部仏印に進駐した。
3.なお、日本はほぼ同時に日独伊三国同盟を締結した。このような日本の行動に対して、前後してアメリカは航空機用ガソリンやくず鉄の対日輸出禁止の措置をとり、日本への経済制裁を本格化させた。
4.1941年6月、日ソ中立条約を結んだ直後のソ連に、ドイツが突如侵攻して独ソ戦争がはじまった。これに対応するためにひらかれた7月2日の御前会議は、軍部の強い主張によって、対米英戦覚悟の南進と、情勢有利の場合の対ソ戦(北進)とを決定した。
5.対日姿勢をいっそう硬化させるアメリカに対して、第2次近衛内閣は日米交渉の継続をはかり、対米強硬論をとる松岡外相を除くためいったん総辞職した。第3次近衛内閣成立直後の7月末、すでに決定されていた南部仏印進駐が実行した。
6.これに対してアメリカは在米日本資産を凍結し、対日石油輸出の禁止を決定した。アメリカは、日本の南進と「東亜新秩序」建設を阻止する意思を明確に示し、イギリス・オランダも同調した。日本の軍部はさらに危機感をつのらせ、「ABCD包囲陣」の圧迫をはね返すには戦争以外に道はないと主張した。
〈2017慶大・法
その後、欧州情勢の変化に伴い、その実現に向けた気運が再び盛り上がることになるが、これを外相として推進し結実させたのは、(イ)であった。(イ)は。ソ連まで加えた連携を構築することにより。日本の対米交渉力を向上させ、それが対米関係改善の道につながると考えていたのである。しかし、欧州情勢の変化に伴いアジアに生まれた力の真空に乗じ、9月に日本軍が行った[ 44 ]進駐は、ほぼ同峙に行われた冒頭の外交政策上の決断とともに、米国の反発を招くことになる。(イ)の外交構想とは異なり、むしろ日米戦争への道筋を補強することになってしまったのである。
〔設問〕
空欄(イ)の人物の説明として適切でないものを選べ。
1.極東国際軍事裁判に際しA級戦犯として起訴された。
2.基本国策要綱を決定した外相時代、大東亜共栄圈の構想を公にした。
3.ポツダム宣言受諾をめぐり御前会議に出席して受諾に反対した。
4.国際連盟の総会で日本を代表し演説した。
5.外相として日ソ中立条約の締結を実現した。
(答:44北部仏印 ※原問には56語句の選択肢あり、設問.3 ※当時重い結核で病床にあった)
〈2017学習院大・法:「
(5)下線部(5)国外ではナチス・ドイツの勢力が強まりに関し、日本は日独伊三国同盟締結のほぼ同時期にとった軍事行動が、アメリカによる航空機用ガソリン・屑鉄の対日輸出禁止措置をまねいた。この軍事行動を、漢字6文字で答えなさい。」
(答:北部仏印進駐)〉
〈2017明大・文
1938年1月、政府は、「爾後国民政府を対手とせず」との声明を出したが、かえって戦争終結への道を遠ざける結果となった。その後、重慶に首都を移した中国政府は、欧米諸国の支援を受けて抗戦を続けたため、日本軍はその援助ルートを遮断するために南進し、1940年9月、[ e ]に進駐するに至り、英米との対立をさらに深めることとなった。」
(答:e北部仏印)
2017近畿大・全
問6.下線部(d)印度支那に関連して、日本軍の北部仏印進駐が実行されたのはいつか。次の①~④のうち最も適当なものを一つマークせよ。
①平沼麒一郎内閣総辞職前の1939年8月
②第2次近衛文麿内閣成立後の1940年9月
③第3次近衛文麿内閣成立後の1941年7月
④東条英機内閣成立後の1941年9月」
問7.上の問6の正解の当時、仏印の宗主国だったフランスの状況についての文として最も適当なものはどれか。次の①~④のうち一つをマークせよ。
① ドイツとの戦争が目前に迫り、植民地防衛の余裕がなかった。
② 日本の同盟国であったために、突然の日本軍の侵入に慌て、仏印の防衛ができなかった。
③ 他の植民地で独立戦争が同時期に勃発し、仏印の防衛ができなかった。
④ 日本軍の北部仏印進駐時に、すでにドイツに降伏していた。」
(答:問6②、問7④)
〈2016早大・法:「
問8 下線e日本経済が受けた打撃は、原油を中心とする資源小国である日本の弱みを痛切に感じさせることとなった。原油の産出量の少なさは、太平洋戦争とも密接に関連しているといわれている。アメリカの対日石油輸出禁止決定は日米開戦の一因となったが、その決定の直接の引き金となった日本の行為は何か。漢字で記述解答用紙に記入しなさい。」
(答:南部仏印進駐)〉
〈2016法大・法(政法)国際キャリア
問9 下線部e南部仏印は現在のどこのことをいうか。以下のア~オのなかから一つ選べ。
ア ベトナム南部 イ マレー半島
ウ マーシャル諸島
エ フィリピン、ルソン島周辺
オ インド北東部」
(答:ア)〉