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鴨長明

2018-08-16 | Weblog

無名方丈(ほ)かも
無名抄(むみょうしょう)・方丈記(ほうじょうき))(発心集(ほっしんしゅう)・長明)

[ポイント]

1.鴨長明の主な著作には、『方丈記』『発心集』『無名抄』がある。

[解説]

1.鴨長明(1153?~1216)は、京都下賀茂神社の神職の家の次男に生まれる。14歳で父を失い、ある神社の神職を一族と争い敗れて50歳で出家するなど、世俗的には一生恵まれなかった。

2.貴族社会の没落と武士の台頭、相次いだ天変地異に、人生の無常を感じ『方丈記』に著した。そのほか説話集『発心集』(編集)、歌論書『無名抄』がある。


3.歌人としては『千載集』に一首おさめられるなど30代から世に知られ、鎌倉時代の代表的歌人となる。源実朝にも歌を講じている。


4.『方丈記』は鎌倉時代初期吉田兼好の『徒然草』は鎌倉時代末期の成立。

〈2013京都大・前期

 5.1185年、平氏一門は壇ノ浦合戦で滅亡し、平氏が奉じた[ ケ ]天皇も入水した。平氏が東国の源氏に敗北した一因は、西国が大飢饉に見舞われ、兵糧米が欠乏したことにあった。この飢饉の惨状は、[ コ ]が著した随筆『方丈記』に克明に描かれている。

(答:ケ安徳、コ鴨長明)〉

〈2013早大・政経

下線部c元弘の頃に成立し、作者独特の無常観に基づいて書きつづられた随筆集はどれか。

 ア太平記 イ徒然草 ウ方丈記

 エ風姿花伝 オ更級日記)」

(答:イ徒然草 ※鎌倉末期の元弘の乱は1331年)〉

〈2012慶大:法

 神職の家に生まれ育った[ 1・2 ]は、和歌の道に優れた文化人だった。[ 3・4 ]の命を受けて藤原俊成が撰上した『[ 5・6 ]』に若くして一首が入集するなど、地下歌人として才能を認められるようになり、[ 7・8 ]によって和歌所が再興されると、藤原家隆、飛鳥井雅経らとともにその寄人に任じられた。このときに撰上された歌集にも10首が入集しており、あわせて25首を勅撰集に残している。一方で、神職の地位を得ようとし、河合社(ただすのやしろ)の禰宜になることを望んだが、[ 7・8 ]の後ろ盾があったものの、一族の反対にあって叶わず、しまいには寄人の職を投げ打ち、50歳を迎えた春、出家して大原の山中に閑居し、しばらくして日野の草庵に移り、そこで『[ 9・10 ]』を著した。天災や戦乱、飢饉が相次ぎ、社会が大きく変わりゆく時代を生きた[ 1・2 ]は、以下の[1]から[4]に一部を引用するように、若い時分に京の都で体験した災厄の数々を『[ 9・10 ]』の中で述懐しており、ここから、中世の人々の災害感を垣間見ることができる。

(答:12鴨長明 34後白河院 56千載集 78後鳥羽院 910方丈記)〉

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青蓮院流

2018-08-16 | Weblog

疎遠奨励 鷹の巣を。

尊円入道親王  青蓮院流 『鷹巣帖』 御家流



[ポイント]

1.尊円入道親王青蓮院流の祖で、代表作は『鷹巣帖』。
2.同流は江戸時代に「御家流(おいえりゅう)」に発展。

[解説]

1.書道では、法性寺(ほっしようじ)流の優美な書に加えて、宋・元の書風が伝えられると、平安時代以来の和様をもとにして、伏見天皇(位1287~98)の第6皇子尊円入道親王(尊円法親王)(1298~1356)が、宋の書風をとり入れて青蓮院流を創始した。親王の代表作は『鷹巣帖』。なお青蓮院流が江戸時代に「御家流」に発展。

〈2015関西学院大・文法商人間:「

 次の文章について、a・bとも正しい場合はアを、aが正しくbが誤っている場合はイを、aが誤っていてbが正しい場合はウを、a・bともに誤っている場合はエをマークしなさい。

4.a 鎌倉時代の武士は、領地に堀や堺をめぐらした館をかまえ、また、佃や正作などとよばれる直営農地を下人などを使って耕作させた。
  b.尊円入道親王は和風をもとに宋の書風を取り入れて青蓮院流を創始した。また尊円は『鷹巣帖』を書いた。

(答:ア)


2013早大・文化構想学部 

下線a鎌倉時代の時期の学問や文化について、誤った説明はどれか。1つ選べ。

 ア  『金槐和歌集』には、源実朝の和歌が残された。
 イ 編年体の歴史書である『吾妻鏡』が、編纂された。
 ウ 尊円入道親王(法親王)が、書道の一流派である青蓮院流を創始した。
 エ 神官である度会家行が、神本仏迹説に対し本地垂迹説をとなえた。
 オ 宋学の大義名分論が、後醍醐天皇に影響を与えた。

(答:エ ※家行が唱えたのは神本仏迹説(反本地垂迹説))

 


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