甥っ子が 学生生活を新潟で送るようになった五年前から 妹に誘われていたのが 新潟長岡の花火でした。
愛する息子に会えるし、その様子もわかるので、妹はきっかけを作っては 新潟に行きたがります。
やっと私の都合がついたのが 五年目の今年です。
何回か長岡の花火を見ている妹は 今年は早く行って場所取りをしたいと言っていました。
そこで 前日に新潟入り。
甥っ子は優しく 母親や父親に口ごたえなどしたこともなく、もちろん私のことも気持ち良く迎えてくれます。
そして せっかく新潟に来たんだからと 初日は日本海に沈む夕日を見たいという私のリクエストに 最高の場所を選んでくれました。
花火大会の当日は 場所をとった後、 山古志村へ温泉に入りに行く計画もたて甥っ子の家を出ました。
花火大会の会場になる信濃川の河川敷きに着いたのは 10時半前でした。
堤防に上がる前に 甥っ子のクラスメートにばったり会い、話しているうちに、無料席の場所取りが出来るのは午後2時からで、その会場の入り口に場所を取るために並んでいる人がすでにたくさんいるということがわかりました。
34℃以上に感じられる炎天下 場所取りの為に3時間半も並ばなければならないとわかったのです。
クラスメートはガールフレンドと一緒でした。
そこで 私が提案したのです。
「おばさんたち12時半まで2時間並ぶから、その後、交代してくれない? そして2時になって無料会場が開放されたら、持ってきたシートを広げて場所を一緒にとっておいてほしい」と。
彼は快く引き受けてくれ、交渉は成立です。
堤防に上がり、長ーい行列が折れて半分ほど持ってきている最後尾に並びました。
みなさん ピクニックシートを広げたり、チェアに座ったり 場所取りの為に並びながらすでに宴会が始まっています。
アソファルトに直敷きしたシートの上は とても暑く 座って待っていられません。
ほとんど立ちっぱなしで 1時間半並びました。
約束の時間に戻ってきた彼と交代。
やっと山古志に向かうことが出来ました。
行ったのは中越地震で被災し、苦労の末に再営業がかなったといういずみや旅館。
とてもいい泉質です。 しかし ゆっくり湯に浸かっている時間が取れなかったのが 心残りでした。
6時前に会場に入らなければ 締めだされると説明を受けていたので 長岡の駅から河川敷きまで歩く途中 弁当を買い、河川敷に一番近いスーパーで ビールやつまみ 氷なども調達して 会場へ。
とってもらった場所は 有料席との境で 斜め上に河川の水深を測る建物が飛び出しているところでした。
3時間半まえから並び始めても 一番いい場所はとることが出来なかったようです。
日が沈み 花火大会が始まるまで 川面を見ながら待ちます。
6時が回ったところで 買ってきた弁当とビールで妹と二人で 宴会?の始まりです。
今年は甥っ子はサークルの練習があるからと花火大会は参加せず。 二人で少々盛り上がりに欠ける食事になってしまいました。
7時半前 長生橋にかかるナイアガラで 長岡の花火大会はスタートしました。
ナイアガラを このように近くで見るのは十数年ぶり。 多摩川の花火大会以来です。
さすがに近いので よく見えて感激。
ところが すぐそばで打ち上げられている花火なのに 全部見ることが出来ないのです。
水深を測る建物が ちょうど邪魔な位置にあることがわかったのは 打ち上げ花火が始まってから。
1尺玉以下の花火はほとんんど見えません。
しかも見えても 建物が邪魔している。 すぐ目の前にあるために 大変目ざわりなのです。
高く打ち揚げられた花火を見るには 寝っころがるのが一番。
花火と花火の間には 長ーいスポンサーと花火の種類についてのアナウンスが入ります。
ビールを飲みながら時間がくるのを待っていたので ほろ酔い気分で アナウンスを聞いているあいだにまどろんでしまいます。
妹に「起きている?」と言われたり 私が妹の体をゆすったりして 花火が打ち上げられるたびに 起こし合うことになりました。
有料の席だと 座ってみなければなりません。 しかし 近くで打ち上げられる花火を見るには首を上げなければならず これは苦痛です。
寝っ転がって見るためには 無料席の場所を取らなければならないし。
きれいだぁと歓声を上げながら打ち揚げられた花火を見ていると 虫が体を横断したり 顔にのぼってきたり。
それでも ほんとにすばらしい花火がいくつもありました。
復興祈願花火「フェニックス」とタイトルのある花火は 圧巻きでした。
長岡の花火は昭和20年8月1日の空襲による長岡大火で亡くなった人や戦争で亡くなった人の霊を慰めることから再スタートしたそうで、昭和22年からだそうです。
花火大会の始まりには 市長のあいさつでも そのことを触れていました。
打ち上げられる花火のいくつかには そういう歴史に沿ったエピソードがついていて アナウンスもありました。
平和だからこそ 真夏の夜に 昼間から場所取りに並んだり 河原に寝っ転がって花火を楽しめるということをしみじみと思った夜でした。
しかし 疲れました。 甥っ子の家に帰り着いたのはシンデレラタイムを回っていました。
頑張って場所とったのに 思うように見ることが出来なくて不満気味の妹。
次の日には 気持ちを入れ替え 「お姉さん 来年はいずみやに泊って 送迎付きで 有料席で花火見よう! 私が奢るから。」 と。
妹のこのパワーには脱帽です。
愛する息子に会えるし、その様子もわかるので、妹はきっかけを作っては 新潟に行きたがります。
やっと私の都合がついたのが 五年目の今年です。
何回か長岡の花火を見ている妹は 今年は早く行って場所取りをしたいと言っていました。
そこで 前日に新潟入り。
甥っ子は優しく 母親や父親に口ごたえなどしたこともなく、もちろん私のことも気持ち良く迎えてくれます。
そして せっかく新潟に来たんだからと 初日は日本海に沈む夕日を見たいという私のリクエストに 最高の場所を選んでくれました。
花火大会の当日は 場所をとった後、 山古志村へ温泉に入りに行く計画もたて甥っ子の家を出ました。
花火大会の会場になる信濃川の河川敷きに着いたのは 10時半前でした。
堤防に上がる前に 甥っ子のクラスメートにばったり会い、話しているうちに、無料席の場所取りが出来るのは午後2時からで、その会場の入り口に場所を取るために並んでいる人がすでにたくさんいるということがわかりました。
34℃以上に感じられる炎天下 場所取りの為に3時間半も並ばなければならないとわかったのです。
クラスメートはガールフレンドと一緒でした。
そこで 私が提案したのです。
「おばさんたち12時半まで2時間並ぶから、その後、交代してくれない? そして2時になって無料会場が開放されたら、持ってきたシートを広げて場所を一緒にとっておいてほしい」と。
彼は快く引き受けてくれ、交渉は成立です。
堤防に上がり、長ーい行列が折れて半分ほど持ってきている最後尾に並びました。
みなさん ピクニックシートを広げたり、チェアに座ったり 場所取りの為に並びながらすでに宴会が始まっています。
アソファルトに直敷きしたシートの上は とても暑く 座って待っていられません。
ほとんど立ちっぱなしで 1時間半並びました。
約束の時間に戻ってきた彼と交代。
やっと山古志に向かうことが出来ました。
行ったのは中越地震で被災し、苦労の末に再営業がかなったといういずみや旅館。
とてもいい泉質です。 しかし ゆっくり湯に浸かっている時間が取れなかったのが 心残りでした。
6時前に会場に入らなければ 締めだされると説明を受けていたので 長岡の駅から河川敷きまで歩く途中 弁当を買い、河川敷に一番近いスーパーで ビールやつまみ 氷なども調達して 会場へ。
とってもらった場所は 有料席との境で 斜め上に河川の水深を測る建物が飛び出しているところでした。
3時間半まえから並び始めても 一番いい場所はとることが出来なかったようです。
日が沈み 花火大会が始まるまで 川面を見ながら待ちます。
6時が回ったところで 買ってきた弁当とビールで妹と二人で 宴会?の始まりです。
今年は甥っ子はサークルの練習があるからと花火大会は参加せず。 二人で少々盛り上がりに欠ける食事になってしまいました。
7時半前 長生橋にかかるナイアガラで 長岡の花火大会はスタートしました。
ナイアガラを このように近くで見るのは十数年ぶり。 多摩川の花火大会以来です。
さすがに近いので よく見えて感激。
ところが すぐそばで打ち上げられている花火なのに 全部見ることが出来ないのです。
水深を測る建物が ちょうど邪魔な位置にあることがわかったのは 打ち上げ花火が始まってから。
1尺玉以下の花火はほとんんど見えません。
しかも見えても 建物が邪魔している。 すぐ目の前にあるために 大変目ざわりなのです。
高く打ち揚げられた花火を見るには 寝っころがるのが一番。
花火と花火の間には 長ーいスポンサーと花火の種類についてのアナウンスが入ります。
ビールを飲みながら時間がくるのを待っていたので ほろ酔い気分で アナウンスを聞いているあいだにまどろんでしまいます。
妹に「起きている?」と言われたり 私が妹の体をゆすったりして 花火が打ち上げられるたびに 起こし合うことになりました。
有料の席だと 座ってみなければなりません。 しかし 近くで打ち上げられる花火を見るには首を上げなければならず これは苦痛です。
寝っ転がって見るためには 無料席の場所を取らなければならないし。
きれいだぁと歓声を上げながら打ち揚げられた花火を見ていると 虫が体を横断したり 顔にのぼってきたり。
それでも ほんとにすばらしい花火がいくつもありました。
復興祈願花火「フェニックス」とタイトルのある花火は 圧巻きでした。
長岡の花火は昭和20年8月1日の空襲による長岡大火で亡くなった人や戦争で亡くなった人の霊を慰めることから再スタートしたそうで、昭和22年からだそうです。
花火大会の始まりには 市長のあいさつでも そのことを触れていました。
打ち上げられる花火のいくつかには そういう歴史に沿ったエピソードがついていて アナウンスもありました。
平和だからこそ 真夏の夜に 昼間から場所取りに並んだり 河原に寝っ転がって花火を楽しめるということをしみじみと思った夜でした。
しかし 疲れました。 甥っ子の家に帰り着いたのはシンデレラタイムを回っていました。
頑張って場所とったのに 思うように見ることが出来なくて不満気味の妹。
次の日には 気持ちを入れ替え 「お姉さん 来年はいずみやに泊って 送迎付きで 有料席で花火見よう! 私が奢るから。」 と。
妹のこのパワーには脱帽です。