フランクフルトから 電車でベルリンに移動してきた二日目は なんと22013歩も歩く強行軍になってしまいました。
ベルリンは 広く 見たいところは山ほどあるのに、3泊4日のベルリン滞在では 見たいものを絞り込むのに苦労します。
午後歩いて 探し出したのが ベルリンの壁の後です。
火曜日はベルリンの壁のメモリアルセンターは休館になっていて、唯一タワーに上ることは出来、一番上から 東西を分けていた壁と その壁と壁の間と 監視塔などを一望できました。
東西統一がなされて20年目の今、昔の壁が残されているところは ほとんどないようです。
有名なアーティストによりペインティングされた壁は 時々ニュースなどで目にすることはあるものの、当時のままで現存している数少ない場所です。
小学校のころにみた映画を始め 以来 随分壁で隔てられたベルリン市民の悲劇は 見たり読んだりしてきましたが、実際に自分の目で見ることが出来て 理解もさらに深まりました。
この気分は 十年ちょっと前 アムステルダムでアンネ・フランクの隠れ家跡を見学して以来の衝撃でした。
いつもは おきらくに暮らしているものの たまにこういうところを見て 自分に厳しくならなきゃなぁと そんなことも思っているベルリンです。
ベルリンは 広く 見たいところは山ほどあるのに、3泊4日のベルリン滞在では 見たいものを絞り込むのに苦労します。
午後歩いて 探し出したのが ベルリンの壁の後です。
火曜日はベルリンの壁のメモリアルセンターは休館になっていて、唯一タワーに上ることは出来、一番上から 東西を分けていた壁と その壁と壁の間と 監視塔などを一望できました。
東西統一がなされて20年目の今、昔の壁が残されているところは ほとんどないようです。
有名なアーティストによりペインティングされた壁は 時々ニュースなどで目にすることはあるものの、当時のままで現存している数少ない場所です。
小学校のころにみた映画を始め 以来 随分壁で隔てられたベルリン市民の悲劇は 見たり読んだりしてきましたが、実際に自分の目で見ることが出来て 理解もさらに深まりました。
この気分は 十年ちょっと前 アムステルダムでアンネ・フランクの隠れ家跡を見学して以来の衝撃でした。
いつもは おきらくに暮らしているものの たまにこういうところを見て 自分に厳しくならなきゃなぁと そんなことも思っているベルリンです。