これってやはり化石? 私のライフスタイル!

ひともすなるブログなるものを、われもしてみむとてするなり

フダンソウの白和え 懐かしローカルフード

2009-03-10 | 
フダンソウって 知ってますか?

小さい頃から 冬になると登場していた 大きな葉っぱの野菜です。

フダンソウ ピンボケでごめんなさい。

特に味にくせがあるわけではなく、私には野菜の旨みさえ感じられず 
あまり好きな野菜ではありませんでした。

冬の畑では ホウレンソウは寒々と縮こまりながら成長し、
こちらのフダンソウは寒さ知らずといった感じで 元気に青々と育っていました。

葉っぱは大きく軟らかく、茎は大きく 例えれば セロリの茎の様。

小さく刻んで そのままお味噌汁に入れたり、一番の記憶は白和えでした。


そこで 数十年ぶりに 自分で その白和えを作ることに。

知覧の木綿豆腐は 昔から 「豆腐の角に頭をぶつけて怪我をする」といっても言いすぎでないぐらい、
どっしりと重たい ほとんど水分の残っていないものです。

  
  小さい頃 田舎の祖父母の元に帰ると、にがり買いのお遣いを頼まれたものでした。

  そして祖母は朝早くから 大豆を石臼でひいて 豆腐を作っていました。

  出来上がった豆腐は もちろん しっかり固かったし、
  残ったおからで作ってくれるおからの炒め物が大好きでした。

       懐かしい思いでです。

  今では 祖母がひいていた石臼の残骸が庭先に転がっています。(寂しいものです)



巷で売られている木綿豆腐をしっかり水切りしても 
知覧の水切りしてない豆腐より よっぽど水っぽいといっても過言ではないぐらい。

1㎝強の厚みで皿にのせても 倒れません。  薄切りした豆腐


その豆腐をアップで見てみると とても目の詰まった状態だとわかるでしょうか?
まるでクリームチーズみたい。

豆腐のアップ

これで 袋から出し、ただ切っただけの状態です。

この豆腐をキッチンペーパーで軽く拭き、ボウルの中でよくつぶし、
麦味噌と蜂蜜とお出し少々と煎りごまを入れて 丁寧に混ぜれば 白和えの衣の出来上がり。


湯がいたフダンソウを刻んで よく絞って 和え衣とよく混ぜあわせました。

フダンソウの白和え

懐かしい白和えの出来上がりです。
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見つけた春

2009-03-08 | TRIP&TRAVEL
7日土曜日の写真です。大きい画像はこちらです。

 
知覧町の市街地の入口に 麓川という川が流れています。

その川にかかる橋の一番近くに植えられている山桜が 咲いていました。

川沿いに植えられている同じ桜でも ほかは まだ固い蕾でしたが、

この一本だけ、もう待てない!って感じで咲いていました。

咲き出したばかりというより、もうつぼみがほころび始めて数日たったような風情。


知覧町は合併の後、南九州市の一部となりましたが、

武家屋敷や特攻基地跡 平和観音などは 観光面で根強い雰囲気があるようです。


鹿児島市方面から訪れると、この橋を渡る前に 武家屋敷群があります。

そして 橋を渡り 市街地を通り抜け、少々坂をのぼった小高い大地が 昔の航空基地の跡です。


知覧の町は 訪れる観光客の割には、俗化されておらず、

鄙びた感じが未だ残っていて、ほっとする町です。

国内にも色々な所に古い町並みが残っていますが、

私が知っているどこよりも もっとも商人の才が感じられない町で、

              そんなところがたまらなく好きです。

観光整備は年々進んでいるようですが、 観光地のどこにでもあるような

こぎれいな店々が軒を連ねるような街にはなって欲しくないと願っています。
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旅の入り口で 足湯

2009-03-05 | TRIP&TRAVEL
 ちょっと用が出来、鹿児島に降り立ちました。

 バスを待つバス停の後ろは 足湯がつくってあります。

 超ミニチュアの桜島の頂上から流れ出ているのは、源泉かけ流し。

 鹿児島は殆どの銭湯まで温泉です。(郷里自慢)

 20分ほどの待ち時間、
  ちょっと足湯に浸かりたいと思いながらも、パンツスタイルの下は、ストッキング。
  簡単に素足にはなれず諦めました。

 ちょっとの時間を足湯につかり、空港の中へ、またはエアポートシャトルバスの中へと消えていきます。

 飲み物とサンドウィッチを調達して戻ってくると、このように



 顔ぶれが変わっていました。

 バスに乗り込んだあたりから、雨粒が窓ガラスに当たりはじめ、
 バスが南下して 鹿児島湾沿いに走り出す頃には 本降りです。

 晴れていれば、
 穏やかで美しい鹿児島湾と、対岸の大隅半島のきれいな山なみが楽しめる車窓なのに、
 春の雨に煙る鹿児島湾の先は山陰さへ認められません。

 昨年の大河ドラマ「篤姫」の鹿児島のシーンで繰り返しみた
 鹿児島のシンボル 桜島も もちろん姿を隠したままで とても残念でした。

 日曜までの滞在予定。一足早い春を楽しめたらと思っています。


 そうそう鹿児島空港を利用する際は、ソックスが
 せっかくだから
       足湯しましょ。 (Uターンするときの自分へのメモです。)
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小耳に挟んでしまいました……着付け師の資格

2009-03-03 | 着物
今日帰りの電車で隣に座っていた二人の三十代の女性の話が耳に入ってきました。

このご時世でご自分の仕事が不安定なこと。

それに続く会話。

A:「資格や看板を持っているけど、あまり役にたちそうにないのよね」

B:「えーっ どんな資格持っているの?」

A:「着付け師なんだけど」

B:「いつ とったの?」

A:「最初に働いていた頃、着物に興味あったし、着つけができるといいかなって」

B:「じゃぁ 自分で着れるの?」

A:「一生懸命お稽古したのよ。
 そしてだんだんと段階をふんで 最後は花嫁着つけまでいったの」

B:「それでは 看板持っているんだ」

A:「そう かなり 投資したけど、将来いいかなって思って」

B:「着物着れるんだ」

A:「でも長いこと着ていないから、もう忘れたかも」

B:「看板あるんだったら、着つけのお教室開いたら?」

A:「ホテルとかで結婚披露宴でこの資格役に立つかと思ったんだけど、仕事があるのが土曜日日曜日なのよね。」

B:「そうか、今はちょっと無理よね。 ねぇ 私に教えて。お教室開いてよ」

こんな流れの会話でちょこちょこかみ合わないところもあったのですが、

聞き役は 着つけを教えてほしいと再三言っても、なかなかいい返事がもらえないようでした。

お稽古をし、お免状をもらったのは、「はく●」という私も知っているところでした。

要するに、

着付け教室で、最初は自分が着れることを目的とし、習い、
段階的に人にも着せられるようになる、
そして最後は花嫁着つけもできるようなお免状をもらえる 
という流れで最後まで学んだけど、仕事には直結していないの

といったとこでしょうか。


トトの母様はいわゆる美容師です。

もう八十を超えましたが、まだまだ、プロの美容師が花嫁着つけの特訓を頼んでくる現役といいますか、
後輩の指導にある立場です。(実際にお嫁さんをつくることはなくなりましたが)

そんな母様を30年以上も前から知っているものとしては、
前出の女性のような資格の取り方で 
プロとして仕事をされたらたまったものではない。と思ってしまします。

かつらも結い、研修会に出かけ、コンクールに出て、ほんとにその道一筋の人です。


物を買うとか 資格を取るとか、選び方ひとつで
後々が変わってくるものだと思った事でした。

たとえば、出来上がった着物にしても 
和裁学校でおけいこで仕立てたもの。
プロの仕立てを学んで、有資格者が仕立てたもの。
ハイテクミシンとかいうミシンで仕立てたもの。
海外で仕立てたもの。
などと実に様々なランクがあります。

自分がどんな仕立てを望むかは 懐具合にもよりますが、
着物をどの程度知っているかで変わってくると思うのです。


私は 偶然耳に挟んだ会話から、自分の和裁の出会いと現在に思いをはせたのでした。

続きはまた。
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ポートレート公開

2009-03-02 | 日々の雑感
マイブログのプロフィール欄の写真をどうしましょう と悩んで早ふた月。

公開することに決めました。


portrait しかし かなりの詐欺です。(ごめんなさい)

なにせ、四十数年前の写真。


この服で もう一枚写真があったはずです。

磯庭園と言っていた 仙厳園で
  家族やおばたちと写っていた写真もあったような。

その頃は 今みたいに簡単に手軽にスナップを撮る時代でもなく、
行楽かあるいは何かの記念に撮っていました。


そんなことを考えると この写真、
 どこかへ出発前に一枚写してくれたのか、

 行楽の後、残ったフィルムを使いきるために 撮ってくれたのか。


あるいは 小学校の入学式? 


母の手作りの服を着て、家の前の道路で撮っていますが、
バックはお向かいのおうち。

この頃からO脚だったんだなどと 写真をみて思っています。


ところで ポートレートも少しずつ成長させましょうと考えています。

が 半月で5年後の写真に差し替えとすると、最近のスナップまで、4年。

ちょっと早すぎるかな?


1年に一回の交換とすると 8年後?

そんなに長く続く?

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