日本社会統治の構図と『倚りかからぬ思想』*さざなみ通信初出
2013/1/12 櫻井智志
私には何人かの尊敬する師と仰ぐ人間がいる。鈴木正氏は、学生の頃に季刊「現代と思想」誌上の論文にめぐりあい、社会思想史学の師と仰ぐかたである。最近『倚りかからぬ思想』(2012月12月刊 同時代社)を贈ってくださった。その論文集ないしは思想書を拝読して、いまの日本社会は、脱原発にも憲法改悪にも目の前にあるのにもかかわらず、それを克服できないでいることの原因はどこにあるのかということへと思いが及んだ。
さらに、鈴木正氏の論考に、日本社会をどう再建するかに関わってのヒントを得る思いをした。本稿は書評ではない。鈴木氏から学んだことを生かして、私なりの着想を綴ったものである。
支配者側は、アメリカの対日政策に極端に卑屈になって後から言われた通りについていくことを無条件の土台としている。その実行のために、国民に対してはマスコミ、教育、文化、法制度などを媒介として国民教化の思想工作を徹底しておこなっている。
このさざ波通信では、主に日本共産党の不十分な点を批判し、改善することを趣旨として、力作の投稿が行われている。インターネットのソーシャルネットワークの中でも、落ち着いた議論や対案などの提示が続いてきた。主催者の管理人諸氏の努力に感謝したい。
国民のイデオロギー建設は、支配権力との闘争と同時に、国民同士の批判と対話を通じて営まれている。
支配者側は、政権交代によって鳩山・小澤両氏をリーダーとして民主党が政権を獲得すると、アメリカへの従属外交から脱してアジア各国とも等距離外交路線を進めると、徹底してその路線をつぶしにかかった。それが現在の安倍自公政権奪回へとつながっている。しかし、国民は脱原発運動の17万人集会結集をメルクマールに、毎週金曜日の官邸前抗議行動の高まりなど市民運動の高まりにリードされるかのように広範な広がりを見せた。脱原発市民運動に比して、衆院選では比例区ではそれほど前回と変わらぬのに小選挙区で民主党が大量に落選してそれが自民党候補の大量当選へとつながった。そのために、自民党公明党だけで、衆議院の三分の二を制する議席となった。
同じ日に投票された東京都知事選では、石原慎太郎の後継を名指しされた猪瀬副知事が四百万票を超える史上最高の美濃部都知事二選を上回る得票で当選した。しかし、次点に入った宇都宮健児氏は、脱原発運動を推進した市民運動による脱原発基本法制定ネットワークのメンバーでもあり、市民運動団体を中心に、社民党、共産党、未来の党、新社会党、生活クラブ東京などの政党の共闘を実らせた。落選とはいえ、国民側の諸政党の広範な共闘を確立させたこと、市民運動と政党の共闘、脱原発と護憲の運動体が共闘したことは大きい。わずか一か月前に急遽石原知事が引退しての選挙準備であることを思うと、今回の都知事選は、今後に展望を持たせる。今年六月の都議会議員選挙と四年後の都知事選 に向けて、反猪瀬知事陣営の政党の取り組みが、大きな運動課題である。
都知事選では、前回を上回る60パーセント台であったのに比べて、衆院選は今まででも最低に近い低投票率だった。このことは、国民が投票しても社会や自分たちの暮らしが少しもよくならないという幻滅感の中にいることを予想させる。
衆院選の敗北は、社民党と未来の党の惨敗、日本共産党の敗北と表裏一体を成す。民主党の惨敗や維新の会、みんなの党の当選増もひとつの原因であるが、日本における左翼運動の敗北は、見過ごすことができない。それが社共両党とも指導部の責任問題であるけれども、それだけではない。選挙制度が小選挙区制になった時に、小沢一郎氏は小選挙区制の積極的な推進派であった。小澤氏自身は二大政党を目論んでいたと自身で述べている。けれど、現在の衆院選の選挙区は、死に票が多く、二大政党が51%と49%の得票比であっても、100%か0&かということになる。49%の死に票が出る。このことを無視して、社共の長期低落傾向を論ずることはできない。
だが、それならそれで、何度も同じ結果を見てきた社共両党は、小選挙区において当選者を出すためには、どうすれば実現可能かの具体案を創造してこなかったのか。事実として、選挙区で共闘が成されなかった。
今夏7月の参院選で、社民党は四議席の内2議席の改選を迎える。同様に日本共産党は、六議席の内3議席の改選を迎える。両党とも比例区選出であり、選挙区選出議員はいない。
社民党は、改選2議席が維持できないと、5人の国会議員という政党与件を失う。日本共産党も、仮に今回2議席を失うと、現有議員が5人の議席数を失う。
もはやこのような状況は、基本的には小選挙区及び現在の選挙制度に柔軟で効果的な対応ができなかったことが原因であるが、政党側の対応の不十分さは、結果から見ていいわけがしがたい実情である。
安倍自公政権は、参院選で第一党の民主党を逆転して第一党を奪回し、ただちに憲法改悪のために発議与件を国会議員数の三分の二から過半数に変えて、憲法改悪に着手、憲法九条を改悪し「国防軍」を設置することを必ず入れた新憲法をつくることを政治的日程に入れている。
なんのために現在の平和憲法を変えるか。それは軍国主義日本を「取り戻す」ためである。「軍国主義日本」を再生するためである。取り戻し再生することをアピールした安倍晋三のポスターを見ていると、違うだろう、とつぶやいている。
ここでキイ・マンになる政治家のひとりは小澤一郎氏である。アメリカへの外交従属路線を拒否したがために、マスコミと検察審査会とによって、徹底的な「人物破壊」をなされ、広く国民の間にマインド・コントロールがなされている。おざわ、と耳にすると、国民はああ、あの、というようにダーティイメージが湧くようにまでされてしまった。小澤氏本人は、アメリカへの批判を慎重に行っている。だが政権交代をなしとげた小澤氏の剛腕を知っている支配層はもちろん、日本未来の党を立ち上げた誠実な政治家で優秀な研究者である嘉田由紀子滋賀県知事でさえ、新党発足時に「小澤氏をじょうずにつかいこなす」という言葉を口にした。小澤氏が受けてきた権力によるダメージを想像する力があれ ば、小澤氏の政治的力量を尊重しただろう。総選挙前に小澤氏がつくりあげた比例区名簿を前日に一から作り直したところに嘉田代表の限界があった。今の小沢一郎氏には失うものはもうなにもない。小澤氏は、参院選で「生活の党」指導者として、取り組むだろうが、どのような公約を示し、どのような選挙戦略を構想しているのだろうか。そこに期待する一点がある。
私が注目するのは、都知事選で宇都宮健児氏を擁立した実践する知識人たちの群像である。大江健三郎氏は『ヒロシマ・ノート』以来評論し小説化してきた自らの創造の炎を、福島原発事故以来実に誠実な反原発、脱原発の市民運動の担い手のひとりとして持続的に立ち上がってきた。鎌田慧氏、落合恵子氏、雨宮処凛氏、瀬戸内寂聴氏ら多くの知識人が大江氏や宇都宮氏とともに行動し続けてきた。また、『週刊金曜日』の佐高信氏や本多勝一氏らのメンバーも同じ編集委員の宇都宮健児氏をもりたててきた。坂本龍一氏らの文化人も含めて、知識人の動きも期待してやまない。
さらに、日本共産党や社民党が、それぞれ別個でも共同でも構わないが、内部から参院選勝利のためのくふうとアイデアを期待する。
思想は多元主義において花開く。明治以来の日本と内外の歴史は、絶えず抵抗し続けた民衆の運動の積み重ねである。左翼が体現しようとする真理と大衆が表現する真情とがあいまってこそ、民衆は救われる。これらのことを鈴木正氏は、『倚りかからぬ思想』においてわかりやすく伝えようとしている。唯物論研究協会や思想の科学研究会の一員として名古屋・愛知圏をベースに活躍されてきた鈴木氏は、教師としてレッドパージにあい肺結核を治療する療養所暮らしの中で思想の科学研究会と出会い、唯物論と思想の科学とを自らに血肉化されていった。いま血液内科に治療を受け、自宅療養されている鈴木氏は、この『倚りかからぬ思想』を最後のエッセー集とすることを「店じまい-あとがきにかえ て」に記している。鈴木氏は、よりかからぬ自立と自主の思想を最後のエッセー集のタイトルにしている。アメリカにも中国にも深い思索を思想史を通してめぐらした鈴木正氏の著作を何度も読み直して、書評にまとめるつもりである。
2013/1/12 櫻井智志
私には何人かの尊敬する師と仰ぐ人間がいる。鈴木正氏は、学生の頃に季刊「現代と思想」誌上の論文にめぐりあい、社会思想史学の師と仰ぐかたである。最近『倚りかからぬ思想』(2012月12月刊 同時代社)を贈ってくださった。その論文集ないしは思想書を拝読して、いまの日本社会は、脱原発にも憲法改悪にも目の前にあるのにもかかわらず、それを克服できないでいることの原因はどこにあるのかということへと思いが及んだ。
さらに、鈴木正氏の論考に、日本社会をどう再建するかに関わってのヒントを得る思いをした。本稿は書評ではない。鈴木氏から学んだことを生かして、私なりの着想を綴ったものである。
支配者側は、アメリカの対日政策に極端に卑屈になって後から言われた通りについていくことを無条件の土台としている。その実行のために、国民に対してはマスコミ、教育、文化、法制度などを媒介として国民教化の思想工作を徹底しておこなっている。
このさざ波通信では、主に日本共産党の不十分な点を批判し、改善することを趣旨として、力作の投稿が行われている。インターネットのソーシャルネットワークの中でも、落ち着いた議論や対案などの提示が続いてきた。主催者の管理人諸氏の努力に感謝したい。
国民のイデオロギー建設は、支配権力との闘争と同時に、国民同士の批判と対話を通じて営まれている。
支配者側は、政権交代によって鳩山・小澤両氏をリーダーとして民主党が政権を獲得すると、アメリカへの従属外交から脱してアジア各国とも等距離外交路線を進めると、徹底してその路線をつぶしにかかった。それが現在の安倍自公政権奪回へとつながっている。しかし、国民は脱原発運動の17万人集会結集をメルクマールに、毎週金曜日の官邸前抗議行動の高まりなど市民運動の高まりにリードされるかのように広範な広がりを見せた。脱原発市民運動に比して、衆院選では比例区ではそれほど前回と変わらぬのに小選挙区で民主党が大量に落選してそれが自民党候補の大量当選へとつながった。そのために、自民党公明党だけで、衆議院の三分の二を制する議席となった。
同じ日に投票された東京都知事選では、石原慎太郎の後継を名指しされた猪瀬副知事が四百万票を超える史上最高の美濃部都知事二選を上回る得票で当選した。しかし、次点に入った宇都宮健児氏は、脱原発運動を推進した市民運動による脱原発基本法制定ネットワークのメンバーでもあり、市民運動団体を中心に、社民党、共産党、未来の党、新社会党、生活クラブ東京などの政党の共闘を実らせた。落選とはいえ、国民側の諸政党の広範な共闘を確立させたこと、市民運動と政党の共闘、脱原発と護憲の運動体が共闘したことは大きい。わずか一か月前に急遽石原知事が引退しての選挙準備であることを思うと、今回の都知事選は、今後に展望を持たせる。今年六月の都議会議員選挙と四年後の都知事選 に向けて、反猪瀬知事陣営の政党の取り組みが、大きな運動課題である。
都知事選では、前回を上回る60パーセント台であったのに比べて、衆院選は今まででも最低に近い低投票率だった。このことは、国民が投票しても社会や自分たちの暮らしが少しもよくならないという幻滅感の中にいることを予想させる。
衆院選の敗北は、社民党と未来の党の惨敗、日本共産党の敗北と表裏一体を成す。民主党の惨敗や維新の会、みんなの党の当選増もひとつの原因であるが、日本における左翼運動の敗北は、見過ごすことができない。それが社共両党とも指導部の責任問題であるけれども、それだけではない。選挙制度が小選挙区制になった時に、小沢一郎氏は小選挙区制の積極的な推進派であった。小澤氏自身は二大政党を目論んでいたと自身で述べている。けれど、現在の衆院選の選挙区は、死に票が多く、二大政党が51%と49%の得票比であっても、100%か0&かということになる。49%の死に票が出る。このことを無視して、社共の長期低落傾向を論ずることはできない。
だが、それならそれで、何度も同じ結果を見てきた社共両党は、小選挙区において当選者を出すためには、どうすれば実現可能かの具体案を創造してこなかったのか。事実として、選挙区で共闘が成されなかった。
今夏7月の参院選で、社民党は四議席の内2議席の改選を迎える。同様に日本共産党は、六議席の内3議席の改選を迎える。両党とも比例区選出であり、選挙区選出議員はいない。
社民党は、改選2議席が維持できないと、5人の国会議員という政党与件を失う。日本共産党も、仮に今回2議席を失うと、現有議員が5人の議席数を失う。
もはやこのような状況は、基本的には小選挙区及び現在の選挙制度に柔軟で効果的な対応ができなかったことが原因であるが、政党側の対応の不十分さは、結果から見ていいわけがしがたい実情である。
安倍自公政権は、参院選で第一党の民主党を逆転して第一党を奪回し、ただちに憲法改悪のために発議与件を国会議員数の三分の二から過半数に変えて、憲法改悪に着手、憲法九条を改悪し「国防軍」を設置することを必ず入れた新憲法をつくることを政治的日程に入れている。
なんのために現在の平和憲法を変えるか。それは軍国主義日本を「取り戻す」ためである。「軍国主義日本」を再生するためである。取り戻し再生することをアピールした安倍晋三のポスターを見ていると、違うだろう、とつぶやいている。
ここでキイ・マンになる政治家のひとりは小澤一郎氏である。アメリカへの外交従属路線を拒否したがために、マスコミと検察審査会とによって、徹底的な「人物破壊」をなされ、広く国民の間にマインド・コントロールがなされている。おざわ、と耳にすると、国民はああ、あの、というようにダーティイメージが湧くようにまでされてしまった。小澤氏本人は、アメリカへの批判を慎重に行っている。だが政権交代をなしとげた小澤氏の剛腕を知っている支配層はもちろん、日本未来の党を立ち上げた誠実な政治家で優秀な研究者である嘉田由紀子滋賀県知事でさえ、新党発足時に「小澤氏をじょうずにつかいこなす」という言葉を口にした。小澤氏が受けてきた権力によるダメージを想像する力があれ ば、小澤氏の政治的力量を尊重しただろう。総選挙前に小澤氏がつくりあげた比例区名簿を前日に一から作り直したところに嘉田代表の限界があった。今の小沢一郎氏には失うものはもうなにもない。小澤氏は、参院選で「生活の党」指導者として、取り組むだろうが、どのような公約を示し、どのような選挙戦略を構想しているのだろうか。そこに期待する一点がある。
私が注目するのは、都知事選で宇都宮健児氏を擁立した実践する知識人たちの群像である。大江健三郎氏は『ヒロシマ・ノート』以来評論し小説化してきた自らの創造の炎を、福島原発事故以来実に誠実な反原発、脱原発の市民運動の担い手のひとりとして持続的に立ち上がってきた。鎌田慧氏、落合恵子氏、雨宮処凛氏、瀬戸内寂聴氏ら多くの知識人が大江氏や宇都宮氏とともに行動し続けてきた。また、『週刊金曜日』の佐高信氏や本多勝一氏らのメンバーも同じ編集委員の宇都宮健児氏をもりたててきた。坂本龍一氏らの文化人も含めて、知識人の動きも期待してやまない。
さらに、日本共産党や社民党が、それぞれ別個でも共同でも構わないが、内部から参院選勝利のためのくふうとアイデアを期待する。
思想は多元主義において花開く。明治以来の日本と内外の歴史は、絶えず抵抗し続けた民衆の運動の積み重ねである。左翼が体現しようとする真理と大衆が表現する真情とがあいまってこそ、民衆は救われる。これらのことを鈴木正氏は、『倚りかからぬ思想』においてわかりやすく伝えようとしている。唯物論研究協会や思想の科学研究会の一員として名古屋・愛知圏をベースに活躍されてきた鈴木氏は、教師としてレッドパージにあい肺結核を治療する療養所暮らしの中で思想の科学研究会と出会い、唯物論と思想の科学とを自らに血肉化されていった。いま血液内科に治療を受け、自宅療養されている鈴木氏は、この『倚りかからぬ思想』を最後のエッセー集とすることを「店じまい-あとがきにかえ て」に記している。鈴木氏は、よりかからぬ自立と自主の思想を最後のエッセー集のタイトルにしている。アメリカにも中国にも深い思索を思想史を通してめぐらした鈴木正氏の著作を何度も読み直して、書評にまとめるつもりである。