【現代思想とジャーナリスト精神】

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自立した社会主義者川上徹を追悼する

2015-01-13 11:45:52 | 社会・政治思想・歴史
自立した社会主義者川上徹を追悼する

              櫻井智志

 私は川上徹氏の声を電話で聞いた。出版した『座標』のことで同時代社に電話した時に、すでに社長を離れていた川上氏が電話に出て、わずかなやりとりであったが、凛とした声を聞いた。
 最も早く川上徹の名前を知ったのは、「全国民主主義教育研究会」の機関誌『民主主義教育』であった。公民教育における民間教育側の社会科教育団体だった。そこには哲学者古在由重氏がときどき対談や座談会、随筆などを寄せていた。川上徹氏と古在由重氏とは、私の意識にセットとしてあった。

 古在由重氏が逝去され、「古在由重先生を偲ぶ集い」が、東京・九段会館で開かれた。青木書店の江口十四一氏、岩波書店の緑川亨氏をはじめ錚々たる知識人が実行委員に名前を連ねていた。その事務局長を務めたのが川上徹氏であった。戦前戦後を貫いて唯物論哲学者として実践的知識人だった古在由重氏は、ここで詳細はしないが、哲学者として啓蒙家として実践家として見事な先達であった。原水禁団体の統一問題で、古在由重氏は離党を願ったが、日本共産党からは除籍処分を受けた。その追悼の集いを事務局長として企画・実行したことで、共産党からの注意を振り払って行動したことが、日本共産党規約に触れて除籍された。
 川上徹氏は、古在氏が逝去した後も、主宰する同時代社から『古在由重 人・行動・思想 二十世紀日本の抵抗者』を「古在由重 人・行動・思想」編集委員会が編集して、ちょうど四〇〇頁の単行本を一九九一年七月一五日初版として出版した。勁草書房からは翌一九九二年に鈴木正が編者となって『古在由重 哲学者の語り口』を出版している。二〇〇一年には太田哲男氏が編者となり、『暗き時代の抵抗者たち 対談 古在由重・丸山眞男』を同時代社から出版した。

 川上徹は、東大教育学部の学生の頃から学生運動に真摯に取り組み続けた。大学闘争では、日本共産党を支持する全学連の活動家として、一貫して実践し続けた。その頃から古在由重氏の生き方と学問を尊敬してやりとりもあったと思われる。いわゆる「新日和見主義」問題では、査問を受けている。後の一九九七年筑摩書房の『査問』では二十年以上も過ぎてから、査問を受けた様子を静かに描きだしている。二〇〇二年にも筑摩書房から『アカ』を出版している。ここでは戦前に長野県で新教・教労の教育労働運動に取り組んだ御尊父の受難を描き、自らの原点をも鮮明に伝えている。
 また、大窪一志との共著『素描・1960年代』同時代社 (二〇〇七年出版)では、自らの学生運動を新日和見主義運動と見なしていると聞く。私はこの本は未読だが、川上氏は居直りではなく、新日和見主義として批判された行動そのものの実際の姿とその意義を伝えたかったと思われる。親鸞の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の悪人正機説のように、自らが信念として行動したことを、言い逃れや否定せずに、その意義を伝えたかったと想像する。

 時代は変わった。支配層の政権は、安部晋三氏が総理となった自公政権となり、一挙に日本国憲法を変え、軍隊をもち海外侵略の企図を進めている。国会は衆参両院ともに3分の2前後の議席を与党自民公明が占めている。日本共産党は広く国民との共同・共闘や一点共闘を訴え、衆院総選挙沖縄県では1区から4区まで、反自公政権の「オール沖縄」が勝利して、急速に統一戦線を広げている。本土では沖縄のような統一戦線は、一歩間違うと野党野合に堕しかねない。

 私は現在の日本共産党の姿勢と闘争を支持する。しかし、民衆闘争の歴史で古在由重氏や川上徹氏らが受けた受難は、歴史に蓋をしてしまうのでなく、闘争激動期に発生した問題を、どう民衆側はとらえ、「統一と協同」の組織を磨き直すか、たえず吟味していく必要がある。
 いまでは日本共産党も他者への批判において安易な「反党分子」「反革命分子」のようなレッテル貼りはしていない。川上徹氏のご冥福を祈念するとともに、日本の民主的革新の運動が一歩前進することを願うものである。