【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

「分裂体質」と「統一体質」~東京都知事選をめぐる論争にわだかまること~

2015-01-08 21:55:06 | 言論対話原稿所収
「分裂体質」と「統一体質」~東京都知事選をめぐる論争にわだかまること~

2014/3/21 櫻井智志

 宇都宮健児氏を支持する意見も批判する意見も、両方ともいまひとつすっきりとしない。それが何なのかをずうっと考えている。
 私が高校・大学生の頃に、美濃部亮吉氏が大内兵衛氏を黒幕として、社会党と共産党と市民団体とが統一協定を結び「明るい革新都政をつくる会」を結成した。そして大学経済学部教授の経験のある美濃部氏が立候補して、画期的な革新都政を実現した。やはり都知事選を考えるときに、ここが原点となるだろう。

 あれから時代も世情も変わった。
 宇都宮健児氏の選挙陣営にいれば、宇都宮氏の政策や行動のすべてに共感し納得させられることが多い。無償で選挙活動を支え続けた市民の尽力は画期的である。それを吸収しつづけた宇都宮氏を支持することはきわめて自然なことだろう。
 細川護煕氏と彼を支えた小泉純一郎氏。脱原発を政策と掲げた二人は、首長選挙というよりは、国会議員選挙に立候補する雰囲気がある。宇都宮氏の脱原発と細川氏の脱原発とでは、政策としての位置づけも価値観も異なっていた。保守政権を担ってきた首相が、在任当時に推進ないしは認可し続けてきた原発政策が、とんでもない実体であることに気付いた細川氏の念慮は、転回的なものがあっただろう。日本国民を滅亡の淵に追いやってはならない。その決心が都知事選立候補へと連なっている。よく国民から出る批判に、細川氏や小泉氏の過去の総理在任中のあきらかに国民無視の政策の酷さを告発する厳しさが秘められている。国民がその当時に我慢していた批判が鬱積して吹き出すことを、細川陣 営は過小評価していたのかも知れない。さらに細川・小泉在任中にも、同時代に的確な批判を行い続けてきた日本共産党などの政党や市民運動からも、とても反原発一本化できる相手ではないとの思いが感じられた。

 同時に、細川氏を徹底的に批判したのは、安倍自公与党だった。安倍政権は、選挙期間中にNHKなどのテレビで反原発の報道を徹底して押さえ込んだ。安倍首相は、祖父岸信介父親安倍晋太郎といった血統を継いだとは言っても、自民党派閥にあっては、小泉氏よりも弟分というか下位に位置していた。小泉氏が反原発を主張しはじめて、政権を継続できぬかも知れぬという危機感に駆られた。細川都知事で小泉氏が参謀では、安倍晋三は首相を交代させられる現実性があった。結果を見ると、なんのこはない、細川氏は宇都宮氏よりも低く三位じゃないか、という声が多かった。あの投票結果は、安倍自公政権が徹底的に報道のコントロールや組織総動員したことの結果の数字である。46%という投票 率で都民をけなすひともいるが、あの大雪のなかでお年寄りや障がいをもったかたが投票所まで行くことを考慮したら、その中の46%は決して都民以外が考えるよりは低くはない。同日に埼玉県の都市で市長選もあったが、そちらは20%台であったと後で知った。

 宇都宮健児陣営は、あきらかに一回目の出馬と異なった。一期目に中途挫折感があったであろう宇都宮氏は、積極的に選挙に取り組んだ。大雪の日の街頭フィナーレも、他の候補者が屋内で済ませたのと異なり、吹雪が顔に吹き付けても毅然とした風貌には視聴者を感動させるものがあった。さらに在日の辛淑玉さんが宇都宮氏との出会いと感銘とを受けて応援した演説は、宇都宮氏に強く支持を集めた。緑の党の若手三宅洋平さんが日本共産党の吉良よし子さんや無所属の山本太郎さんと一緒に参院選を東京で闘い、宇都宮さんを支持したことも、広く若者たちに広がっていった。ヒップホップ音楽のメッカで最終日の八時以降十二時直前まで政治に無関心な層との交流もよかった。
 さらに、宇都宮氏 は「東京レボリューション東京デモクラシイ」と名付けた。選挙後に総括文書を広く提案し意見を求めて、さらに市民集会を大規模な会場でおこない、都知事選後も盛り上がりを民主主義運動として続ける意向を明確にした。

 こういった一連の概観を見てくると、宇都宮氏の選挙戦はまっとうなものであったと思うし、選挙後の総括のしかたも日本共産党がかなりあいまいな印象的観念的なケースを批判されるのとは様相が異なる。宇都宮健児はなにかするのじゃないか?という期待を感じさせる。現実に京都府にとび四月六日の京都府知事選の候補者尾崎望氏を激励している。
 だが、反原発運動の側面から見ると、都知事選はどうであったろうか。
 日本共産党や宇都宮健児氏らの側では、細川護煕氏出馬と反原発運動の発展との関連において、どのような把握をされたであろうか。
 事実の経過として、福島原発が起きてから、すぐに官邸前に立ち再稼働反対要請行動に出た市民運動の数十人の皆さんがいらっしゃった。その年と次の年の内に代々木公園と明治公園で数万人の反原発集会を開いた。こちらは中心にいた有名人はさらに広がっていき、大江健三郎、鎌田慧、落合惠子、澤地久枝、佐高信、本多勝一、宇都宮健児、瀬戸内寂聴などの諸氏である。さらに河合弘之、海渡雄一氏らの弁護士が事務局をつとめた。

 ここで読者の皆さんに考えてほしい。まだ世間では混乱が続いている時に反原発運動をリードした鎌田氏、澤地氏、瀬戸内氏、河合氏らが、反原発候補一本化が実現しないとわかった段階で、なぜ細川氏支援に回ったのかを。彼らの認識は、原発事故が起きてまもなく立ち上がるほどものごとが見えている人々である。河合弁護士は『世界』2014年4月号で「対談 河合弘之×海渡雄一 都知事選後の脱原発運動をめぐって」で語っている。細川陣営に入っても、選対事務局にはほとんど立ち入れなかったことを。そして、河合氏も海渡氏も、それぞれふたたび反原発運動に一緒に取り組んでいる。
 実際の気持ちはつらいこともあったろうに、運動の再統一に難なく取り組んだ河合氏と海渡氏の姿は、日本の民衆運動が「統一体質」「分裂体質」(故人・作家思想家出版人・小宮山量平氏の著作中の言葉)のどちらになりやすいかを改めて考えさせられる。革命と前衛の伝統をもつ日本共産党は、どちらかといえば、「分裂体質」と小宮山氏が表現した側面があった。軍国主義体制を着々と進める安倍首相に対して、かなりの相違はあっても共闘して自公推薦の桝添候補と闘うことはではきなかったろうか。二人がそれぞれ立候補するのは当たり前で、一本化を無理強いすることはない。そうではなくて、「反原発政策」について細川氏と宇都宮氏が対話するくらいのこともできなかったろうか。細川氏は 一度権力を上り詰めて、宇都宮氏のように柔軟な姿勢をとれない欠陥をもっている。細川氏待ちでなく、宇都宮氏の側から、反原発を対話することもできないくらいお互いが交流できずに、安倍=桝添体制を打破などできるわけがない。

 雑誌『創』四月号で雨宮処凛さんが連載『ドキュメント雨宮☆革命』で「いろいろありすぎた都知事選」を執筆している。

そしてもうひとつ強調したいのは、「多様な意見」を認め合い、自分と違う考え方の人を安易にディスったり排除したりしない、ということは、「民主主義の基本であるということだ。(中略)「競争に勝たないと生き抜けない」「成長か、それとも死か」を突きつけ、自殺者を生み出し、人を過労死に追い込み、脱落したり人を貧困にたたき落とすような新自由主義批判をしているのに、「勝ち負け」や「競争」に過剰に熱くなるなんて本末転倒というのか、どうも性に合わないのだ。ということで、やっと終わった都知事選。投票前日から一週間後には、「脱原発DEMO」も開催され、駆けつけた。今、「敵」はさらに強大になって私たちの前に立ちはだかっている。やっぱ゛、仲間割れし てる場合じゃないようである。
 この雨宮さんの言葉に、日本に新たに芽生えた反原発市民運動が、「統一体質」に根ざすことが私には感じられる。そうして、細川護煕氏の出馬にエールを送った鎌田慧氏や澤地久枝さんたちは、政治における統一体質の問題を見抜いていたから、保革問わずに「原発」の人類生存の危機の前の危機感をバネとしてできることがあるんじゃないかと期待したのだろう。その期待が幻想であったか、権力によってつぶされた期待だったか、その把握まで一本に統制する必要はない。

民主党の位相と全国の地方選挙

2015-01-08 21:52:04 | 言論対話原稿所収
民主党の位相と全国の地方選挙

2014/9/10 櫻井智志

 孫崎享氏は、自らのブロマガで「民主党は、国民期待の受け皿になれるのか」と題して以下のように述べている。

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 今、国民は幾つかの重要政策で安倍首相の政策とは逆を望んでいる。
1:原発の再稼働は望まない
2:集団的自衛権には反対である、
3:消費税アップには反対である(どこまで反対か不明であるがその他)
4:TPP参加問題
5:沖縄での普天間基地の辺野古移転問題がある。
 野党として、こんなに戦いやすい時期はない。争点は明確だ。安倍政権と対峙すれば国民の大多数の支持を得られる。
 では民主党はそれが出来るか。出来ない。
1の脱原発をみてみよう。
 東京都知事選挙で細川候補と宇都宮候補は脱原発を掲げた。桝添氏は原発推進派とみられていた。この中。真っ先に桝添氏を支持したのが連合東京である。私は地方で講演することがある。労働組合関係の人々にも会う。何故労組が脱原発を鮮明に出来ないのかと問うと出来ないという。労働組合の最近の動きで特徴的なのは、電力会社の労働組合が、労組団体の主要ポストを次々に獲得しているという。電気企業関係労組もどちらかというと原発支持が多い。労働組合が全体として脱原発になれないから民主党も脱原発の路線を出せないという。
 集団的自衛権を見よう。民主党内には前原氏や長島氏のように米国との協力を強く主張するグループがいる。彼らの力が強いのは、普天間基地の辺野古移転の時の動きを見ればよい。彼らがいる限り、安全保障で対米自立はない。TPPも同じ構図だ。
 私はある時、労働組合系のリベラル派に聞いた。「何故リベラルな人が民主党を脱して、独自の路線を行えないのですか」。
彼の答えはこうだ。
 小選挙区制がある。戦いは厳しい。いわゆるリベラルと言われる候補者で、連合の支援なくして、自民党議員に勝てる人はほとんどいない。脱連合ができない。脱連合が出来なければ脱民主党も出来ない。

残念ながら、民主党が受け皿になるのはほど遠い。
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 私はこう考える。

 民主党はいざという全国各地の地方選挙で、自公と一緒に各地の首長選で圧勝している。いざ進歩派風なことは言うが、実際に自公に一貫して対峙し続ける政党ではない。
 一説に、小沢一郎氏を民主党が招き、反安倍で一致できる勢力を糾合することで安倍政権を打倒できるという見解がある。以前の私なら、それは統一戦線に近いと思い賛成したかも知れない。しかし、今の民主党はだめだ。国民は「何を言うか」ではなく「何をするか」で政治家を見ている。今から思えば結果的には自分の売名行為で反拉致問題キャンペーンに力を注ぎ、やがて政党を渡り歩き国政選挙に何度目かに当選した政治家がいる。今は一体何をしているか。その場その場で思いつきで人気を獲得しても、誠意ある地道な一貫した行為の持続が政治家ならば、市民運動のアドバルーンと政治家の倫理とは複雑な関わりをもちそれを十分に体得した政治家を望む。菅直人や辻元清美など市民運動から政 治家になった政治家に展望を期待したい。
 本来なら、心を広くもち多くの良心ある政治家を認める取り組みを支持したい。だが、安倍自公政権は、選挙の結果さえ、民意を無視して、官房長官が「とっくに終わったことだ」とは・・・・安倍政権とは自公両党よりも、「安倍晋三」熱狂支持独裁政権でしかない。
 民主党についていくのでなく、民主党のまとも派が民主党を割っても、無所属で反安倍派の全国的な共闘に入ってくるかたちしかない。私は、沖縄県の統一地方選挙を見ていて、厳しい中で闘い続ける沖縄県民と連帯できない本土の政治家と政党は、やはり統一戦線を形成できないと思った。むしろ自民党沖縄県連の中から自民党本部の弾圧をはねのけて、沖縄民主主義戦線に結集する自民党員の動きに本当に驚かされ、感銘を受けた。
 政治には汚れた駆け引きや側面があるという。政局は流動的でも、多数の戦死と侵略戦争が終わり、戦後民主化の焼け跡闇市の空に飢餓と貧乏のなかで国民がこれからに垣間見たものは、今の安倍自公政権の政治施策が日々破壊している「積極的平和破壊主義」政治の窮状ではない。

新聞社テレビ局を恫喝する安倍総理の飴と鞭

2015-01-08 21:49:46 | 言論対話原稿所収
新聞社テレビ局を恫喝する安倍総理の飴と鞭

2014/12/7 櫻井智志

 2014年12月6日の東京新聞『こちら特報部』は、自民党が「公正中立な報道」を求める文書を在京各局につきつけた事実を丁寧に報道している。

 「安倍首相のメディアコントロール」は凄まじい。首相の動静を見ると、テレビ局や全国紙のトップとの会食、ゴルフが頻繁に登場する。その一方で、自民党は2013年参院選の最中、TBSの報道番組「NEWS23」の内容が公正さを欠いたとして同局への党幹部の出演を一時拒否した。私はこの番組を見ている。司会者は各党に公平に発言時間を正確に分配し、総理だからといって恣意的独断的な発言には、その旨を伝えたが内容では公正であり、自民党の対応は尋常を逸している。自民党のいう「公正さ」とは、自民党優先であることを意味している。

 こうしたアメとムチの使い分けが続き、ボディブローのようにじわじわと効いて、テレビ局の衆院選報道は安倍首相の思うがままに操作されてきた。

 自民党は衆院解散前日の11月20日付で「選挙時期における報道の公正中立ならびに公正の確保についてのお願い」と題する文書を在京のキー局の編成局長と報道局長あてに出した。出演者の発言回数や時間、ゲスト出演者などの選定が一方に偏ることがないよう要求している。公共放送のNHKは、従来から政権寄りと批判されてきた。民報も総務省の放送免許を5年ごとに更新しなければならず、政権与党=安倍自公政権の圧力にさらされている。国民は、報道機関の姿勢を批判するとともに、安倍自公政権がこのように日常的に放送に介入していることを忘れてはならない。

 テレビ朝日が11月29日、衆院選をテーマに放送した討論番組「朝まで生テレビ」は、テレビ局が安倍政権の恫喝で萎縮した事例と言えよう。評論家の荻上チキ氏らの出演が放送直前に中止され、番組のパネリストは政治家だけとなった。あるテレビ局関係者はこう明かす。「出演中止は、報道局幹部の判断と聞いている。政治家以外の人間が入ると議論がコントロールでくなくなり、不規則発言が出てしまう恐れがある。そのリスクを避けたいために出演を中止した」。

 萎縮とも受け取れる現象はこれだけではない。安倍首相が名付けた「アベノミクス解散」に追随するかのように、争点を経済政策に絞ろうとする意図が見え隠れする。集団的自衛権の行使容認や特定秘密保護法など、世論の反対が根強いテーマは後回しにされている。元日本テレビディレクターの水島宏明法政大教授(メディア論)は「前回の2012衆院選では、朝の情報番組も特集を組み、放送界で最も栄誉があるとされるギャラクシー賞の月間賞に選ばれていた。今回は目立つ番組はあまりない。テレビの選挙報道は不調だ」と嘆く。

 放送ジャーナリストの小田桐誠氏は「自民党の文書は、制作現場に陰に陽に影響している。スタッフの萎縮につながっている」と危ぶむ。いま、自公与党に圧倒的な国民の投票が噂され、期日前投票でも必ず出口調査員がついていて、その情報自体が国民コントロールと与党政党への終盤戦戦略に使われていることが容易に予想される。しかし、自公圧勝はテレビ局への恫喝と放送免許更新の可否をちらつかせられたテレビ局も「見えない」被害者なのだ。

 しんぶん赤旗や動画を使った共産党テレビなど、独自の報道機関をもつことが、日本共産党の好調につながっている。生活の党や社民党などの護憲リベラルが精細を欠いているのは、テレビ局など報道機関がほとんどその主張をとりあっかっていないことと無縁できない。マスコミに短時間のワンフレーズスポットを垂れ流し続けている自民党や公明党は、うわべだけの印象であまり自らが思考するよりは「みんなとおなじ」ことに重きをおく有権者の多数に影響を与え続けている。

 私たちは有権者を、日本国民を卑下したり見下すこと以上に、今まで見てきたように、いかに報道機関が安倍自公政権から統制されているかに目を向けるべきだ。安倍首相は消費税を国民の判断にゆだねたと詭弁を弄しているが、本音は違うだろう。閣僚の相次ぐ辞任やスキャンダルで政権維持が危なくなった自民党は、すべてチャラにして集団的自衛権、原発再稼働、秘密保護法などを「すべて」通す強権政治の復活を目論んでいる。そのためのテレビ局統制だが、自公与党政権の統制は、朝日などの新聞各社、インターネットの政治的規制などにも及んでいる。

 国民の無関心や自公与党への投票を、国民の無知と嘆く前に、これだけ安倍自公政権は報道機関を無残なほどに統制している事実を知るべきだ。野党で共産党支持者と野党統一支持派で泥試合の非難の応酬をすることは、安倍大仏の手のひらで踊る孫悟空野党のようなものだ。
 わかりやすく言おう。
戦時中の報道統制や大政翼賛会を懸念するかたがたは、「いま」が大政翼賛会報道としてミスリードする安倍自公政権によって、戦時報道体制そのものに入っていることと再認識した上で、政治認識すべきだ。12月10日から実施されている秘密保護法は、別名平成版治安維持法である。安倍政権に批判する者はことごとく公安警察のブラック・リストに掲載されていると自覚して間違いない。総選挙で自公与党に投票するとは、そのような隠された意味があると言えよう。