【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

日本共産党が反安倍自公政権勢力のより強固な牽引車となるために 2014/5/17 櫻井智志

2015-01-18 21:00:27 | 言論対話原稿所収
日本共産党が反安倍自公政権勢力のより強固な牽引車となるために

2014/5/17 櫻井智志

 日本共産党は、「軍国主義復活めざす“安倍暴走”と対決 開拓者の精神で強大な党を」と党幹部会が躍進月間を呼びかけた。

 そのよびかけは、以下のとおりである。

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 日本共産党は15日午前、党本部で幹部会を開き、同日から7月31日までを期限として「党創立92周年・いっせい地方選挙勝利をめざす躍進月間」をよびかける決議を全会一致で採択しました。午後には、「躍進月間」成功に向け都道府県委員長会議を開き、志位和夫委員長が幹部会を代表して決議の内容を報告しました。

 決議は、安倍政権の暴走の一歩一歩が矛盾を大きく広げ、とくに解釈改憲で集団的自衛権の行使容認をたくらむなど、「海外で戦争する国」づくりへの暴走は、「あからさまな軍国主義復活への暴走」にほかならず、保守の人々も含めた国民との矛盾、世界との矛盾を激化させていると指摘。この暴走と正面から対決して奮闘する決意を表明しています。

 政党状況をみると、かつての日本軍国主義による侵略戦争が、日本共産党以外のすべての政党が「大政翼賛会」に合流して進められたように、国会の「翼賛化」ともいうべき事態が深刻になり、「自共対決」の政党地図が鮮明になっています。このなか、多くの国民が安倍政権の暴走に危機感、不安感を募らせ、そうした気持ちを託せる政党を模索していますが、これにこたえられるのは日本共産党をおいてほかにありません。決議は、情勢は党の躍進を強く求めているとし、今こそ開拓者精神を発揮し、国民の中に広く打ってでて、強く大きな党をつくろうとよびかけています。

 「躍進月間」の課題と目標は、(1)党大会決定の「3文献」の全党員読了をめざしつつ、少なくとも党費納入党員を超える党員の読了をやりとげる(2)すべての支部が、党大会決定にもとづき、「政策と計画」を具体化し、「車の両輪」の活動(国民運動と党建設の活動)に踏み出す(3)党員拡大を根幹にすえた党勢拡大を安定的前進の軌道にのせる―の3点です。

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 安倍政権が自民党現役幹部からさえも、そして国中から批判されるようないい加減な行政を強権的に進めている。それに自覚的に対して躍進をめざすことは、抵抗政党でもあり、国民的政党でもあり、労働者と勤労国民のための労働者政党である日本共産党にとって、当然の自覚的営為であると考える。

 党員の質量ともに実力をつけて、日本共産党が開拓者精神を発揮して「強く大きな党をつくる」ことには、異論どころか応援のエールを送りたい。私にとり気がかりなのは、日本共産党が今以上に、せめて1960~1980年代の国会議席や首長選挙の成果を獲得することは、現実的に政治変革の実効力を発揮するだろう。

 しかし、私は考える。日本共産党の実力が現在の勢力であっても、市民運動と連携して、大衆運動から尊敬を集め、「共産党がそう言うなら」と国内の政治団体や政党に影響力を与えるような視点は考えられないものだろうか。候補者ご本人は限界を超えた選挙運動に取り組んだ京都府と石川県の知事選挙を例にとろう。
 京都府も石川県も、相手候補は、自民公明民主などほぼ主要政党の連携だった。一方日本共産党が推薦する候補は、政党としては単独であった。この選挙で棄権者は、60%、70%台にも及ぶ。大雪の中の激戦となった東京都知事選は、46%の投票率だから、棄権者は54%前後である。日本共産党が強大になれば、投票率も増えるだろう。だが、なぜ多数の与党系政党VS日本共産党の構図の選挙で、多くの棄権者が多いのか。政策の協定もおろそかな政党の野合に、国民が幻滅感をもっている。
 私が強調したいのは、日本共産党の発言や政策が、多くの日本国民に届き、無党派民主主義の市民たちが、勝手連的に共産党を支持して、大きなうねりになぜならないのか。そこにある問題が解決されていかなければ、暴走する安倍政権の今後も続く無軌道な日本国憲法破壊政治にストップをかけるブレーキは結果として役には立たない。もしも簡潔に言うなら、それは「統一戦線をどうめざすか」という課題となろう。
 日本共産党第26回党大会決議において、明確にこう示されている。

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第3章 自民党政権の反動的暴走と対決し、新しい日本をめざす

(20)統一戦線の現状と展望について

 前大会以降の顕著な特徴は、この数年来、原発、TPP、消費税、憲法、米軍基地など、国政の根幹にかかわる問題で、一致点にもとづく共同――「一点共闘」が大きな広がりをもって発展していることにある。広大な無党派の人々、従来の保守といわれてきた人々との共同が各分野で大きく広がっている。文化人、知識人、宗教者が新たに共同に参加する動きも広がっている。これは未来ある画期的な動きである。

 この動きを発展させ、日本を変える統一戦線をつくりあげていくうえで、次の諸点に留意して奮闘する。

 ――わが党は、どの分野でも、一致点を大切にして「一点共闘」の発展のために誠実に力をつくすとともに、必要なときには縁の下の力持ちとして粘り強い努力を重ねてきた。この姿勢を今後も堅持することが何よりも大切である。

 ――同時に、どんな問題でも、根本的打開をはかろうとすれば、綱領が示した国政の民主的改革が必要になることを、太く明らかにする独自の活動に取り組むことが大切になってくる。この点で、革新懇運動が、草の根から国民の要求にもとづく多彩な共同の取り組みをすすめるとともに、自民党政治を根本から変える「三つの共同目標」(①日本の経済を国民本位に転換し、暮らしが豊かになる日本をめざす、②日本国憲法を生かし、自由と人権、民主主義が発展する日本をめざす、③日米安保条約をなくし、非核・非同盟・中立の平和な日本をめざす)を掲げて国民多数の合意をつくるために奮闘していることはきわめて重要であり、この運動が情勢にふさわしく大きく発展するよう力をそそぐ。革新懇 運動を支える自覚的な民主勢力が、広大な国民と結びつき、その活動と組織を前進させることが、強く期待される。

 ――統一戦線をつくるうえで、労働運動が果たすべき役割はきわめて大きい。この点で、連合指導部の特定政党支持路線と労資協調主義路線という二つの重大な問題点が、深刻な矛盾にぶつかり、変化が起こっていることは注目すべきである。消費税増税、原発推進、公務員賃金削減など悪政を推進した民主党に対する労働者の怒りが広がり、連合系労組で特定政党支持の締め付けがきかなくなりつつあり、民主党一党支持を正面から掲げられなくなった有力単産も生まれた。職場からナショナルセンターの違いを超えて要求にもとづく共同を強め、特定政党支持を打ち破り、労資協調主義を克服するたたかいをすすめる。労働組合への組織率が、労働者全体の18%まで落ち込んだ事態を重視し、党と階級 的・民主的労働運動が協力して、広大な未組織労働者の組織化に取り組む。労働者の要求にもとづく共同行動を発展させるうえで、全労連の果たす役割はいよいよ大きくなっており、その発展が強く期待される。

 ――日本共産党は、単独政権でなく、民主連合政府という連合政権をめざしている。その場合の連合の相手はどこから出てくるか。革新懇型の共同――日本共産党と無党派の人々との共同が、いよいよ本流になってくるだろう。同時に、いま「一点共闘」をともにたたかっている人々のなかからも連合の相手が生まれてくるだろう。

 そして、そうした動きともあいまって、政党戦線においても、日本共産党との連合の相手が必ず出てくると、私たちは確信するものである。そのさい、私たちの連合の対象となる相手が、従来の保守の流れも含む修正資本主義の潮流であることも、大いにありうることである。日本共産党は、社会主義・共産主義の日本を展望する党だが、当面する変革の課題は、資本主義の枠内で「二つの異常」を正し、「国民が主人公」の日本への変革をはかることにあると考えている。将来的な展望の違いがあっても、「二つの異常」を正すという当面する課題での一致がえられるならば、統一戦線をともにつくりあげることは可能であり、共同のために努力する。

 日本共産党が、あらゆる分野で国民と深く結びつき、強大な組織力をもって発展することは、新しい政治への国民的共同と統一戦線を発展させるための決定的な条件となる。そこにこそ新しい日本への扉を開く保障があることを銘記して奮闘しよう。

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 以上の叙述は、私には極めて共感を覚えるし、「一点共闘」、「縁の下の力持ちとしての粘り強い努力」、「無党派の人々との共同」、「従来の保守の流れも含む修正資本主義の潮流との連合であることもありうる」などの指摘に、賛意を表する。
 問題はこのような統一戦線の展望の中にあるわけではない。これほど明確な統一戦線の展望をもっている日本共産党が、なぜ支配体制と闘う国民各階層から共闘の支持を得ることがやや弱いのかということにある。
 日本の反動的政治風土は、日本的反共主義を根深くもっていることは、間違いあるまい。日本的反共風土とそれを悪用した反共デマゴギーは、解決すべきひとつの大きな課題である。しかし、日本共産党はどのようにすれば根深い日本的風土に根ざして反共風土を克服して、国民的な統一と協同の事業を成就しうるか。

 最初に紹介した「軍国主義復活を阻止する強大な共産党建設」は、「あらゆる分野で国民と深く結びつき、新しい政治への国民的共同と統一戦線を発展させること」と相俟ってこそ、ともに実現しうるのだと考える。このような2つの大きな戦略的課題をどのようにして両輪として機能させていくか。
 唯一の国民的規模の抵抗政党である日本共産党が、自らの政策を実現する上で、そのことは運動の過程において絶えず振り返りを求められていよう。そのような政治的運動こそ、日本共産党が国民から道義的政治道徳的にも尊敬を得る要点ではあるまいか。(2014年5月17日未明)

予研=感染研裁判闘争と「人類生存の思想」 2013/12/28 櫻井智志

2015-01-18 20:37:18 | 言論対話原稿所収
予研=感染研裁判闘争と「人類生存の思想」

2013/12/28 櫻井智志

はじめに
 週刊新潮一九九六年十月三日号は、特集として『人体実験七三一部隊幹部が設立した「ミドリ十字」の黒い歴史』を伝えている。「葦牙」第二三号で、宮地健一氏が森村誠一氏と下里正樹氏との共同研究と、しんぶん赤旗紙上での連載中止の問題を詳説されている。そこで、七三一部隊についての労作『悪魔の飽食』シリーズについても紹介されている。森村誠一という小説家とすぐれたジャーナリト下里正樹氏とがいなかったなら、あれほど七三一部隊の反人間的な実態が広く国民に知らされることもなかったろう。
 週刊新潮の誌上で、匿名の記者は、「元社長、前社長、現社長の三人が逮捕された製薬会社ミドリ十字を設立したのは、人体実験で有名な七三一部隊の元幹部たちだったし、同社の役員が帝銀事件の容疑者だったこともあり、黒い歴史が連綿と続いた会社なのだ」と批判している。十年以上も、ともすれば体制側の御用記事や反体制勢力を揶揄する記事の多い同誌であるが、宮本顕治氏の「網走の覚書」の初出は一九七〇年代の週刊新潮であった。四ページにわたるその記事では、ミドリ十字は昭和二五年に、内藤良一氏、二木秀雄氏、宮本光一氏が興した「日本ブラッド・バンク」が社名を後に変更したものである。内藤良一氏は、京都帝大医学部と陸軍軍医学校卒で、表向きの経歴はアメリカやドイツに留 学した軍医学校教官だが、実際は日本の細菌戦争研究の第一人者石井四郎軍医中将に見出され、軍医中佐として七三一部隊を切り回した人物であった。当時の内藤氏の本拠は、石井中将が作った早稲田の陸軍軍医学校内の防疫研究室で、彼がそこの事実上の指揮官だった。石井中将は満州のハルピンの関東軍防疫給水部(七三一部隊の正式名称)で、捕虜を使った人体実験を行い続けた。同時に支那派遣軍や南方派遣軍にも防疫給水部を作って細菌戦争の準備を進めた。そのアジアにまたがる防疫給水本部が早稲田の防疫研究室で、内藤氏はその秘密の本部組織の運営者を任されていた。

1  なぜ芝田進午氏は予研=感染研と闘ったのか
 芝田進午は、国立予防衛生研究所の移転強行と闘った。略称・予研は、名前を改めて国立感染症研究所(略称・感染研)となってからは。「予研=感染研」の危険なままの実験強行を差し止めする運動を展開し、裁判闘争として闘った。「予研=感染研裁判」とは以上のような経緯がある。予研は、住宅地で人口密集地、近くに早稲田大学などの文教施設もある東京都新宿区戸山に移転を強行した。当初芝田氏らは、住宅地に高度の実験施設をつくることに環境権の侵害として反対していた。書名を集め、意思を明確にし反対闘争を積み重ねてきた。機動隊を導入して、移転を強行する予研=感染研にしだいになぜそれほどまでに住民の意向を無視するのかを調べた芝田氏らの反対運動は、立地・実験差し止め 訴訟の裁判をおこし、裁判闘争を柱に長期的な闘争を続けていった。地元の住民をはじめ、早稲田大学教職員組合や大学当局、多くの知識人、労働組合、住民団体などが支援を続けている。この予研=感染研裁判原告の会の代表として、一貫して反対運動の中心に立ってきたのが、法政大学、広島大学の教授を歴任した哲学者であり、社会学者である芝田進午氏である。この運動を芝田氏とともに担った武藤徹氏(数学者、芝田氏亡き後は裁判の会会長を引き継がれた)は、『国立感染研は安全か―バイオハザード裁判の予見するもの』(国立感染症研究所の安全性を考える会編著 緑風出版二〇一〇年初版)の中で「芝田進午という人」という小見出しで以下のように芝田氏の運動家としての様子を綴っている。

 予研=感染研裁判は、芝田進午なくしては考えられません。その厚い人脈が、この裁判を支えてきたからです。/予研=感染研裁判に関して言えば、「支援する会」で裁判を支え続けた浦田賢治は、芝田とともに東京唯物論研究会の再建に奔走した間柄であり、日本共産党副委員長として一貫してこの裁判にかかわってきた上田耕一郎もその一人です。/
予研の主任研究官でありながら、予研の危険性を歯に衣着せずに語った新井秀雄も、芝田の謙虚で穏和な人柄にうたれたといっています。戦う哲学者と、温顔とをつなぐものは何でしょうか。その秘密は、実は福沢諭吉の『学問のすすめ』にありました。福沢は、その中で「顔色容貌を快くして、一見、直ちに人に厭わるること無きを要す。・・・」と書いています。「以来、つとめて笑顔をたもち、ジョークを交えながら論争するようにしている。笑顔をたもつだけで、心に余裕がうまれ、頭の回転が速くなる」と芝田は書いています(『人生と思想』*櫻井注―芝田進午著青木書店一九八九年)。/残念ながら、芝田は、胆管がんのため、二〇〇一年三月一四日、地裁の判決を前に亡くなりました。奇しくも 、マルクスの命日でした。

 なぜ芝田氏は、予研=感染研と闘ったのか。大きく二つに分けて言えよう。
戦後四大公害病と呼ばれた水俣病事件、富山カドミウム汚染によるイタイイタイ病事件,新潟水俣病事件。さらに四日市公害事件(四日市喘息)など。これらの公害病に関わる裁判では、すでに健康破壊等の被害が発生した後に被害者と遺族が加害企業・政府の責任と金銭的賠償を要求する訴訟となった。芝田氏は、予防は治療と賠償にまさるものと考え、公害裁判で肝要なことは「予防の法理」であり、それこそが公害裁判の本来の在り方にほかならないと力説する。ところが、予研=感染研当局の立場は、被害が判明すれば賠償するという「賠償の法理」であった。さらにこれまでの公害裁判は、「化学災害」(ケミカル ハザード)であったが、一九七〇年代から人類は「バイオ時代」に突入し、「生物災害」(バイオハザード)の危険が警告されるようになってきた。
 生物災害を引き起こす病原体・遺伝子組み換え実験施設では組み替え微生物・生物産出毒素・DNA・寄生虫・有害昆虫などを保管・培養・実験しているので、バイオ施設が生物災害の源泉になる危険性が高い。バイオテクノロジーによって、未知の病原微生物が出現する可能性があり、その被害の範囲は、地域にとどまらず、全国民、全人類に拡大する危険がある。病原体と生物災害の間の因果性を論証することは、化学物質と化学災害 間の因果性に比べてはるかに困難である。それゆえ、生物災害に人類ができることは「予防の原則」を徹底させることである。
 感染研が強制移転した新宿区戸山は、感染研の周囲は住宅や学園、公共施設ばかりである。諸外国では、このような実験施設は周囲がきわめて人家とは離れた距離や空間を設定して建設・設置されている。まさに住民にとって、毎日が危険にさらされ続けている状態である。しかも感染研の周囲の住民のがん罹患率は高いことも立証されている。このような環境上重大な問題をはらむ予研=感染研に芝田氏らが裁判闘争にたちあがったのは理にかなっていると言えよう。

 もうひとつ重大な問題があきらかになった。
反対闘争を通じて、予研=感染研の体質そのものに七三一部隊との関連があることが徐々に明らかになっていった。七三一部隊の生き残り幹部が、歴代の予研の管理職を務めていた。敗戦は、日本の天皇制そのものの護持と引き替えに重要な国家主権に属する事柄をアメリカ占領軍GHQに引き渡した。そのひとつは、石井七三一部隊の生体実験に基づく化学兵器の重要機密と石井部隊そのものの存在の隠蔽である。また、広島や長崎に落とされた核兵器による被曝者をなんら治療行為を施さずに観察分類の対象としてモルモット扱いしたアメリカ軍ABCCの実態調査も、被曝治療のためではなく、落下した核兵器の成果を効果的に核戦略に利用するために使われた。ABCCの日本側組織が、予研であったの だ。予研=感染研反対運動によって、戦前の軍事機密が、アメリカ軍の庇護のもとに歴史の水面下で維持され続け、ついに日本帝国主義的復活の現段階において、暴露された。

2  バイオハザードとの闘争
 先に紹介した武藤徹氏は、芝田氏が予研=感染研裁判闘争に関わって、『生命を守る方法』(晩聲社一九八八年)『論争生物災害を防ぐ方法』(晩聲社一九八九年)『バイオ裁判』(晩聲社一九九三年)『バイオハザード裁判』(緑風出版二〇〇一年)を精力的に執筆したことを紹介されている。武藤氏によれば、総ページ数は一六四五ページにのぼる。芝田氏がご逝去されてからも、一緒に裁判闘争を闘った方々は、東京高裁、最高裁と上告し長期にわたる裁判闘争を闘い続けた。さらに芝田氏亡き後も先ほど紹介させていただいた『国立感染研は安全か―バイオハザード裁判の予見するもの』(緑風出版二〇一〇年全三〇五ページ)を刊行されている。執筆者のお名前を掲載させていただくと、鈴木武仁 、伊東一郎、武藤徹、島田修一、川本幸立、新井秀雄、本田孝義、長島功、本庄重男の九名の皆様方である。

 芝田氏は、予研=感染研との闘争によって、「戦後のわが国では、安全性の科学そのものが確立されてこなかった」ことを痛感したと述べている。このことは、芝田氏が亡くなられてかなり経つ二〇一一年三月一一日に起きた東日本大震災とそれに伴って発生した福島第一原発事故をめぐる菅・野田民主党政権、安倍自公政権の対応。原発に関わる専門機関などの対応しきれていない対応ぶりを見ていると、芝田氏の「安全性の科学」の問題は、高木仁三郎氏や武谷三男氏ら科学者が戦後訴えてきたのにもかかわらず、政府や専門機関によって充分に取り組まれてこなかったことの問題性を浮き彫りにしている。芝田氏は、武谷三男氏の『安全性の考え方』(岩波新書)を推奨している。執筆に先立つ三十年ほ ど前に当時の公害反対闘争の教訓を踏まえて書かれたもので、その内容は高く評価されると芝田氏は述べている。

 芝田氏は、新しい病原菌が相次いで出ていることに危機感を覚えていた。戦前の指定伝染病だった猩紅熱が、抗生物質が効くので対応がゆるやかになっていた。ところが最近劇症の溶血連鎖球菌というバクテリアに変質したものが出てきている。「溶連菌感染症」という疾病が子どもたちに広がり、ひどい場合は死亡にいたるケースもある。大腸菌のO―157菌という新たな細菌が出現している。B型肝炎も普通のものと遺伝子が一つだけ違う劇症のものが出現している。病院内感染症をひきおこすMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)も全国どこの病院でも大問題となっている。こういう病原体がなぜ出てくるのか。抗生物質によるもの、変異を起こさせる物質によるもの、遺伝子組み換えによるも の、原因はいくつか考えられるが、よくわかっていない。
 芝田氏は、生物災害を研究すると同時に予研そのものを研究してきた。予研は七三一部隊に協力していた医学者を多数集めて、しかも米軍の命令でできたものであり、その隠れた目的は、ABCCへの協力のほかに、もうひとつ米軍監視下で七三一部隊の研究を継続することであった。芝田氏らは文献的にも予研の初期の年報からチェックし続けた。相模原にあった米軍四〇六部隊がアメリカのフォートデトリックにある生物兵器の研究センターの支部でアジアにおける出張部隊と考えられている。その指揮監督のために一九六〇年代の中頃までやってきたことも明らかにされている。
 そのような体質の医学者が多数集められたことによって、日本の戦後の予防接種行政、予防衛生行政は非常に歪められたものとなった。
 芝田進午氏の研究は、芝田氏ひとりにとどまらない。裁判闘争における予研=感染研裁判原告の会、予研=感染研裁判弁護団、予研=感染研裁判を支援する会が裁判闘争に取り組んできたし、バイオハザード予防市民センター、国立感染症研究所の安全性を考える会など時期的に名称が重複するものもあるが、これらの団体は日本の生物災害の解明に向けて、長期にわたって継続的系統的実践的に、バイエハザードとの闘争に貢献されてきた。

3 人類生存のための哲学
 芝田進午氏の最後の遺著『実践的唯物論への道  人類生存の哲学を求めて』(青木書店二〇〇一年)は、三階徹氏・平川俊彦氏・平田哲男氏の三人の知識人が、芝田先生と対話をかわし、それを書き留めながらまとめた貴重な遺作である。その最終章の最終節は、『21 「人類生存のための哲学」の提唱』と名付けられている。芝田進午氏が構想していた領域を私の主観で歪めないために、小見出しを列挙させていただく。小見出しごとに若干のコメントをつけることとした。ナンバリングは私が便宜的に付けた。行数明示はどこに重点が置かれているかの参考になればと思ってのことである。

・① 百科全書の思想  七十五行
 芝田にとって、戦前の唯物論研究会を組織した戸坂潤は、尊敬する先達であった。戦前の『唯物論全書』の復刻版三〇巻を編集して出し、各巻の解題を集め、『唯物論全書と現代』を芝田、鈴木正、祖父江昭二の共編で出し、自らは序論に「百科全書思想の人類史的意義」を書いた。ソ連が解体する以前の一九九〇年だった。芝田は、ソ連型唯物論には、自然論、自然史の思想、実践的唯物論、労働論、疎外論、そして人間論・人格論・個人論、大工業論、科学革命論、技術革命論、民主主義論、人権論、先進国革命論、世界革命論等々の豊富な遺産が無視されてきたという。さらに、マルクスの出版の自由論や民族自決論に反する理論と実際をソ連がおこなってきたともいう。ただし、芝田はソ連をすべて否 定はしていない。ソ連の歴史的形成と存在は世界の、とくに発展途上国の変革に影響を及ぼしたかポジィテイブな面を評価すべきとしつつ、問題点を冷静に把握する必要を述べている。芝田は戸坂の「唯物論研究」「唯物論全書」「三笠全書」などの百科全書の思想的展開に感銘する。モレリ、ベール、ベーコン、ロック、ライプニッツ、ディドロ、ダランベール、ヘーゲル、サン=シモン、マルクス、エンゲルスに連なる系譜は、人類はキリスト教のために細分状態に陥れられるが、十八世紀は人類を細分と個別から抜け出させて総合し集中した世紀である。十八世紀は百科全書の時代である。エンゲルスのこの言葉を芝田は的確に把握した。戸坂潤は第一に自然史的な世界観、第二に実践的唯物論、第三に諸科学 がひとつの科学として位置づけている。芝田は戸坂の貢献を意義づけ、核時代、バイオの時代、環境危機の時代にはますます百科全書の思想でなければ、人類の生存はかちとれない、こう芝田はむすぶ。
「今日、論壇・学界ではマルクス主義は出番が少ないけれども、あらためて自信をもって大いに普及してゆく必要があるのではないかと思っています。その意味で戸坂のこの仕事を継承してゆく必要があります」。
・② 自身の「人間性と人格の形成」 五十九行
・③ 研究組織での経験について 三十三行
・④ 唯物論研究の現状と課題 六十四行
・⑤ 学会組織とのかかわり 十九行
・⑥ 闘争が趣味 八行
・⑦ 海外での出版 十二行
・⑧ 時代認識の転換 百五十五行

 芝田にとって、時代認識の転換を迫られたことは、五度あった。
一度目  一九六七年にベトナムに行ってアメリカ帝国主義をはじめとする帝国主義がこんなにも残虐なものかと、身にしみて認識したこと。
二度目  一九七〇年から二年間、東ドイツに留学し、いわゆる社会主義陣営が西側に追いつき追い越すことは不可能だと認識したこと。
三度目  芝田氏にとつて、重要な時代認識の変化は一九七七年に広島で開かれたNGOのヒロシマ・ナガサキの原爆の実相と後遺症のシンポジウムに出て、バーバラ・レイノルズさんに出会ったこと。彼女はHIBAKUSYA・ヒバクシャと表現し、国際的に通用させなければいけないと述べた。そこにいた別のNGOの中心的な人物の一人が「原爆投下のとき私は数百キロのところにいたが、私もHIBAKUSYAだ」と述べた。
四度目  一九八七年に重要な転機があった。バイオ・テクノロジーの問題、予研との闘争である。
五度目  一九八九年の東ドイツの崩壊、一九九一年のソ連の崩壊がどういう時代なのか、たしかに新しい時代になったということ。

 これらの五点を踏まえると、芝田は、帝国主義の残虐さに幻想をもっていない。さらに東ドイツなどの様子を見て、社会主義国の問題点をはっきりと認識していた。さらに核廃絶の問題において、社会主義か資本主義かではなく「核時代」という歴史認識において、社会主義も資本主義の国家ともに核廃絶の共同のテーブルにつく時代と認識していた。さらにバイオテクノロジーの問題は、新たな困難な課題を人類に突きつけており、事実の課題として人類は解決のための知恵を尽くさなければならないと主張している。また東欧やソ連の崩壊を事実として私たちの課題として引き受ける主体の決意をこめている。

結びに
 芝田進午における「予研=感染研」裁判闘争は、バイオハザードの闘争であった。同時に芝田にとって、何回かの時代認識の転換を認識する中で、自らの実践的唯物論哲学をさらに発展させる必要に迫られた。
 芝田は、「核時代」という歴史認識を最大の特質と考えていた。さらに「科学=技術革命」の一環としての「情報社会論」や予研=感染研と闘うバイオハザードの闘いについても、今までのソ連型哲学では解決し得ないことを見抜き、日本の戦前からの戸坂潤らの唯物論研究会の百科全書的思想や実践的唯物論哲学の発展を心がけてきた。
 芝田は実践的唯物論哲学も「核時代」認識も、実践のなかでより精緻なものとして実質的に深めていった。
 その過程で、社会主義か資本主義か、唯物論か観念論かという問題の立て方の不毛を新たな地平に発展せた。それが、「人類生存の哲学への希求」である。ベトナム戦争のアメリカによる北爆攻撃に抗議して焼身自死をとげたアリス=ハーズは敬虔なクェーカー教徒だった。核廃絶に取り組む闘いの中でも、感染研裁判でも新井秀雄さんのような敬虔なクリスチャンが国立感染症研究所の主任研究員という要職にありながら、自らに注ぐ不利益や処分に耐えて、人類のためにならないこととして毅然と告発した。唯物論者か観念論者かというふうな裁断ではなく、神を信ずるものもそうでないものも、核時代におけるバイオハザードに闘うためには、まさに<人類生存の思想>を最大の課題として、芝田は到達 していった。



急速に反動化を強める安倍自公政権にどう対応すべきか 2014/5/4 櫻井智志

2015-01-18 20:34:32 | 言論対話原稿所収
急速に反動化を強める安倍自公政権にどう対応すべきか

2014/5/4 櫻井智志

 憲法制定から半世紀以上たった。定着していた平和憲法が、安倍自公政権によって相次いで変質化させられようとしている。公明党は自民党の暴走を制止するかのような言動を表明し、それに期待をもったことも私にはあったが、とんでもない。すべての反動立法と選挙で、公明党が一度として自民党と対立した候補を立てたこともなければ、土壇場で制止したこともない。公明党・創価学会とは、平和や福祉の装いで国民の目くらまし効果を発揮する補完勢力でしかない。

 日刊ゲンダイは、このようなニュースを憲法記念日に伝えた。

===========================  細川護煕・小泉純一郎の元首相コンビが進める「社団法人・自然エネルギー推進会議」が、GW明けの7日に発足する。当日はフォーラムの形で細川と小泉が挨拶するほか、発起人に名を連ねる著名人のパネルディスカッションが予定されている。その後は全国で“脱原発”のタウンミーティングを企画しているというが、注目されるのは何と言っても「選挙」だ。「地方選挙や国政選挙で独自候補や野党などと連携した統一候補を立てて勝利し、それをきっかけに野党を再編して安倍自民に対抗する勢力をつくっていくのが最大の目標です」(細川周辺)
 まず手始めに取りかかるのが11月の福島県知事選。福島第1原発のお膝元だけに、原発政策を巡って全国注視の選挙となる。ここに推進会議として候補を擁立する計画で、すでに情報収集に入っているという。来年4月の統一地方選でも、知事や市町村長らの首長選挙で独自か統一候補の擁立を図るが、その勝利のウルトラCが小沢一郎生活の党代表との連携だ。
「細川さんは小沢ブレーンの平野貞夫元参議院議員とずっと連絡を取り合ってきた。推進会議ができたら、小沢さんと会って選挙の話をしようと日程を調整しています」(前出の細川周辺)
■情勢や人間関係もすべて把握
 生活の党は「原発ゼロ」だから連携は自然だが、なぜ小沢なのかには、別の理由があるらしい。
「前回の統一選の準備が始まった4年前は、小沢さんは民主党幹事長だったので、全国の首長選挙の細かな情勢や人間関係などをすべて把握しているのです。“小沢選挙”では、独自の世論調査などで選挙の膨大なデータを集めても、やたら公表するのではなく必要な人にだけ見せて<数字がこうだからもっと頑張れ>とやる。表に出していないから誰もそんなデータがあることすら知らないが、今もそのデータを手元に持っている。それで、細川・小泉コンビが選挙を制するため、小沢さんと連携したいということです」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)
 小沢も最近会った「生活」の議員に、「今年中に必ず大きな動きがある。自分は何でもやる」と話したという。“一強”と浮かれている間に、安倍自民は地方から崩されることになる。
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 小泉改革の酷さと細川金権疑惑とから言うと、それほど期待はできない。しかし、安倍自公政権のあまりの超特急の暴走は、まだ小泉・細川のほうが・・・という気持ちになる。小澤一郎氏に私は民主党時代に期待していた。金権政治家と言われても、ダーティな鳩と佐高信氏が評価していたこともよく覚えている。
小澤氏が期待されながら、未来の党、生活の党とじり貧な選挙結果を見てきたせいか、次の選挙でも期待はしていない。それでも、安倍政権に比べれば、保守反動勢力の中で、日本維新の会やみんなの党、結いの党と比べると、これらの保守勢力は今までにその限界がためされ済みである。どうなるかは、日本共産党と市民運動勢力を最も期待しているけれど、福島県知事選、沖縄県知事選との関わりで、東京都知事選、京都府知事選で小泉・細川、小沢一郎諸氏の効果は薄かった。今回はどうか。反安倍勢力を分断する結果にしかならないというケースもある。政治力学はそうとう実態を見据えないと、あいまいな楽観はできない。

 東京都知事選で細川氏と闘った宇都宮健児氏は、都知事選後にも政治運動を続けている。宇都宮氏の護憲と平和を基調とする弁護士としての信念を堅持している。しかし、都知事選の結果は、安倍総理に大きく自信をつけさせ、それ以降の憲法の空洞化、武器や原発の輸出、国民の生活権の破壊政策など目に余る暴走政治は、世界中の懸念を増加させている。政治にもしもという仮定はあり得ないが、都知事選で細川氏が勝利しても桝添要一氏の都政とあまり変わらぬ結果であったかもしれないけれど、安倍総理に与えた打撃はそうとうなものであったろう。自民党町村派の先輩が小泉氏である。安倍総理は、マスコミに脱原発のアピールを一切封じ込もうとした。細川候補を徹底してつぶすために、マスコ ミを駆使した。新聞、週刊誌、テレビと安倍総理が怖れたのは、宇都宮都政の実現よりも、細川都知事実現を徹底して封じ込もうとした。そして細川氏は宇都宮氏にも下の順位だった。けれどもあれだけ牽制しつくしても、細川氏は宇都宮氏とほぼ同じ90万票台に達した。

 安倍政権の集団的自衛権の暴走を阻止する上で、小泉・細川、小沢三氏がなんらかの現実的な対策をもち、彼らが日本共産党など左翼政党や市民運動と提携する道はあるのか?ずばり言えばないだろう。両者とも提携など眼中にあるまい。よく共産党が統一一本化しないと非難されるが、細川氏らもそのような姿勢は皆無なのが実態である。

 このまま行くと、かりに小泉・細川・小沢三氏の提携で統一した候補を立てて、福島県知事選や沖縄県知事選を戦うことはあっても、市民運動、社共政党らとも提携しなければ、おそらく自公政権の押す候補に勝つことはできない。

 沖縄市長選挙では、保守系の無所属新人で前自民党県議の桑江朝千夫氏=自民、公明推薦、そうぞう、民主、維新支持=が革新・中道系の無所属新人で前副市長の島袋芳敬氏=社民、共産、社大、生活推薦=に2189票差を付けて当選した。鹿児島県知事選では、金子 万寿夫氏自民(公明推薦)が打越明司氏 無所属(民主、日本維新、結い、生活の党推薦)を破り当選した。日本共産党の三島照氏は、山本太郎氏が代表の新党ひとりひとりの有川美子氏にも当選ランクひとつ下の第四位であった。

 このような事実を見ると、小泉・細川・小沢の三氏が提携しても、自公候補、共産党候補と三極化して、結局は自公系候補が福島で勝つことがありうると予想される。深刻なのはじりじりと革新勢力を保守勢力が侵食し続けている沖縄県の知事選である。小泉・細川・小沢三氏が提携して候補者を出すなら、生活の党は、革新勢力にはつかない。自公、革新系、小泉・細川・小沢系候補の三極化でやはり自公政権候補の優位さが出てこよう。

 問題はこのような構図にならないで、選挙が活性化して安倍政権系候補に「ノー!!」と結果的にも示すことのできる選挙の構図である。
安倍政権勢力に対して有効な対応策を構築して闘う。そのためには、国民的な闘いのうねりが形成されなければ、実現は難しい。当面、安倍暴走政治に数々の護憲や反原発などの集会で、在野勢力はよく努力している。その願いを現実政治に生かすための海図をいかに描いていくのか。大きく問われている。

日本のリベラル層の怠慢。何故ソーシャル・メディアを活用できないのか。

2015-01-18 12:21:21 | 転載と私見
崎享のつぶやき
日本のリベラル層の怠慢。何故ソーシャル・メディアを活用できないのか。
2015-01-18 07:483




 今日、日本の政治をおかしくしている最大の要因はマスメディアの権力に対する隷属である。国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF)が2014年、「報道の自由」の国際比較で前年の五十三位から五十九位になったと報じた。2014年下落した最大の理由は原発関連で必要な報道がほとんどなされていない事、そして秘密保護法である。
 

 「報道の自由」度が五十九位になったという事は、そこまで日本の民主主義が侵されていることを意味する。日本のリベラル層もこの点に対し、異論は挟まない。「そうだろう」と納得する。

 問題はここからである。日本の大手マスコミが酷ければ、当然、代替のニュース源を認めなければならない。それが今日、ソーシャル・メディアである。

 中東、ロシア、中国等その国の新聞、テレビが信用できない国に於いては、ソーシャル・メディアが発達している、これが抗議運動の起爆剤になっている。

 日本はどうであろうか。ソーシャル・メディアはネトウヨの武器となっている。安倍首相などの武器となっている。対して、リベラル層の利用は本当に低い。

 講演で聞いてもツイッターの利用者は5%にも達しない。ツイッターは情報入手だけではなくて、リツイートの形で、情報拡散に積極的に関与する、

 今、我々は民主主義を与えられたものとして維持するという姿勢以上に、積極的に守る姿勢が必要だ。その基礎は情報にある。

 そうであれば、リベラル層はソーシャル・メディアの活用を行い、積極的に民主主義の保持に努力をすべきだ。日本のリベラル層の弱点は「自分が正しければよい」としている事である。「連帯してこの流れを止めなければならない」との意識が薄弱である。
 
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私見
 「ソーシャル・メディアはネトウヨの武器となっている」。
この指摘をかみしめたい。その点で日本共産党の見識に敬意を表する。
ニコニコ動画を使った「とことん共産党」という娯楽的要素も加味したネット対談番組は、一般の商業テレビ放送でも通用する水準である。
 日本共産党の都議選、参院選、総選挙とあいつぐ躍進には、いくつかの要因があるが、そのひとつに間違いなくソーシャル・メディアの有機的利用がある。また、自民党も全国的にピラミッド型に「ネット・サポーターズ」を組織して生かすとともに、国政選挙などでも対策室チームを専門的につくり対応していることも見逃せない。
 それだけに、安倍自公政権もソーシャル・メディアを統制する裏工作や対応策を考えていることも油断せずに見守る必要がある。