【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

盛岡市長選が告示 現職と新人の一騎打ち(転載)

2015-08-16 22:59:24 | 転載
櫻井 智志 「東京新聞」転載

盛岡市長選が告示 現職と新人の一騎打ち
2015年8月16日 18時48分
 任期満了に伴う盛岡市長選は16日告示され、いずれも無所属で、4選を目指す現職の谷藤裕明氏(65)と、新人で会社役員の内舘茂氏(48)=民主推薦=の2人が立候補を届け出た。11年の前回選挙では60年ぶりとなる無投票で谷藤氏が3選を決めており、選挙戦は8年ぶり。23日に投票、即日開票される。
 谷藤氏は自民党出身。自民党支持者の多くが実質的に支援するほか、公明党の地元組織も支持を打ち出している。
 民主党の階猛衆院議員(岩手1区)の後援会幹部を務めていた内舘氏は、階氏の全面支援を受ける。生活の党岩手県連も15日、推薦を発表した。
(共同)

【感想】
盛岡市は岩手県の県庁所在地。小沢一郎氏のお膝元である。かつての勢いはないが、小沢氏はいまも反自民で一貫している。
民主党と生活の党は共闘する。岩手県知事選で自民党が不戦敗で小沢氏側の不戦勝になった。県では日本共産党も消極的に反自公に回った。盛岡市長選の動向はわからない。私は、いまの政治情勢では、反自公の候補の側に共産党がつくとよいと考える。いまの著しい投票率の低下はそれ自体が議会制民主主義の危機である。

逆臣安倍晋三と「真・積極的平和国家体現者」今上天皇のお言葉

2015-08-16 19:10:26 | 転載

                     櫻井 智志



 孫崎享氏の印象深い言葉。
詳しくは最後に【孫崎享のつぶやき『日本外交:現場からの証言』第2回山本七平賞受賞作復刻プラス対米従属強める流れの解説増補。8月21日発売】
を引用転載しているので、それを参照していただきたい。

 『櫻井よしこさんが「孫崎さん、あなた外務省にいたんでしょ。防衛大学校の教授だったんでしょ。そのあなたがどうして、そんな発言をするんですか」と攻撃したが、私が変わったのではない。外務省の方が変わった。政府の方が変わった。だから、私だけではなく、元内閣法制局長官の大森氏、阪田氏、宮氏らも、変質した政府に対して異を唱えずにはいられないのだ。』

 そうだ。戦後民主化の根本精神でなく、安倍政権は、戦後民主化を換骨奪胎して、「戦時体制をつくろうとしている」(岸井政格氏:「サンデーモーニング2015年8月16日放送)。私も岸井氏の言葉になるほど、言い得ていると共感を覚えた。

 その変質していく日本国の政治のなかで今上天皇の敗戦記念日の戦没者慰霊式典でのお言葉は、珠玉の言葉である。心臓などを煩いながら天皇ご夫妻は福島に、広島に、沖縄に、オセアニア諸国に、次々に訪ねては誠意ある言動一致の謝罪といたわりの言葉を発している。「深い反省」と、ひときわ踏みこんだ天皇のお言葉には、安倍「亡国戦争」政権の空虚な戦後70年談話のむなしさを補ってあまりある。

 もしもいま戦争国家体制づくりを進める「国賊」がいるとしたら、それは今上天皇に対する逆臣安倍晋三を真っ先に私はあげる。同時に、天皇の名前を政治利用する右翼反動主義者たちも、安倍に準ずる。




======転載開始=================
孫崎享のつぶやき
『日本外交:現場からの証言』第2回山本七平賞受賞作復刻プラス対米従属強める流れの解説増補。8月21日発売、
2015-08-16 06:113



『外交とは「異なる価値観と利益の調整」、そして交渉における勝利の概念はいかに相手から奪うかではなく「いかにして相手の信用を勝ち取るか」につきる。外交の修羅場をくぐり抜けてきた著者自身の豊富な実務経験から、日本外交の背後にあるものを探り、その本質を見極めた斬新な一冊。第2回山本七平賞受賞作品が、新たな装いで復刊。執筆当時から対米従属職を強めた流れの検証を追加』


第一章:二〇年ぶりに手にした、私の言論活動デビュー作。当時五〇歳だった現役外交官、孫崎享は何を考えていたか?!

外交について、世界について、過去の自分と対話してみることにした最近になって、創元社が、「一九九三年発刊の『日本外交 現場からの証言』を再発刊したい」と提案してきた。この本(PART2)は、同年、「第二回山本七平賞」を受賞した。私の言論活動はそのことがきっかけで始まっている。

 そこで、「創元社が、今なぜ、この本を再発刊したいと思ったのか」について考えてみることにした。

日本の社会が大きな危機に直面している今、外交について、世界について、過去の自分と対話してみるのもおもしろいと思ったからである。

 もう数年前になるが、NHKのBSチャンネルで、沖縄の普天間基地問題を論議したときのことである。

普天間にある米軍基地を「最低でも県外へ移転すべきだ」と主張する私に、櫻井よしこさんが、「孫崎さん、あなた外務省にいたんでしょ。防衛大学校の教授だったんでしょ。そのあなたがどうして、そんな発言をするんですか」と攻撃したことがあった。

 彼女は気づいていないようだったが、実は今、日本に不思議な現象が起きている。

 かつて、日本の支配構造の中枢に身をおいていた陣営の中から、政府の見解に対して真っ向から反対する人たちが次々と現れ始めているのだ。その現象の最たる代表は、集団的自衛権をめぐる論議である。

 なんと、政権の心臓部とも言うべき内閣法制局長官を務めた次の三名が、政府方針に異を唱えている。

大森政輔氏 (一九九六年一月~一九九九年八月 内閣法制局長官)

阪田雅裕氏 (二〇〇四年八月~二〇〇六年九月 内閣法制局長官)

宮礼壹氏 (二〇〇六年九月~二〇一〇年一月 内閣法制局長官)

 そして、大森氏と阪田氏が中心となって、二〇一四年五月に『国民安保法制懇』が発足した。

 その発足時の記者会見で、阪田氏は次のように述べた。

「集団的自衛権を行使できるようにするなら、十分に国民的な議論を尽くした上で、憲法改正で国民の意見を集約し、国民の覚悟を求める手続きが必要だ。憲法解釈というきわめて安易な手段による日本の針路の変更に異を唱える。憲法九条の解釈は六〇年にわたって政府みずからが言い続け、国会でも議論を積み重ねてきた。国民にもそれなりに定着している。一政権の手で軽々に変更することは立憲主義の否定であり、法治国家の根幹を揺るがすものだ」。

 その後、阪田氏は事情があって、『国民安保法制懇』の活動を止めた。ただ、『国民安保法制懇』は、メンバーの憲法学者〔愛敬浩二氏(名古屋大学教授)、青井未帆氏(学習院大学教授)、小林節氏(慶應義塾大学名誉教授)、長谷部恭男氏(早稲田大学教授)、樋口陽一氏(東京大学名誉教授)〕らが中軸となって節目ごとに見解を発表している。

 政府が法律を国会に出す際には、必ず内閣法制局の承認を得てから提出することが決まりとなっている。

いわば、警察が物理的力で内閣を支えるとしたら、内閣法制局は知的手段で内閣を支える機関である。

 そうした、政府にとってきわめて重要なブレーンである内閣法制局長官を務めた三名もが、政府方針に異を唱えているのだ。

それは、これらの人々が変わったからではない。政府の方があまりにもひどく変わったからだ。

それが故に、異を唱えているのである。

 この『国民安保法制懇』には、私も参加している。さらに、柳沢協二元内閣官房副長官補も参加している。

 柳沢氏は、防衛庁運用局長、防衛庁人事教育局長、官房長を歴任した人物で、いわば防衛庁の中枢を歩んできたエリートだ。

 櫻井よしこさんが「孫崎さん、あなた外務省にいたんでしょ。防衛大学校の教授だったんでしょ。そのあなたがどうして、そんな発言をするんですか」と攻撃したが、私が変わったのではない。外務省の方が変わった。政府の方が変わった。


だから、私だけではなく、元内閣法制局長官の大森氏、阪田氏、宮氏らも、変質した政府に対して異を唱えずにはいられないのだ。

 創元社から、『日本外交 現場からの証言』を再発刊したいと提案があってから、改めて手にとって読み返してみた。

 私の主張は、この本を書いたあの頃と何も変わっていない。二〇年以上前と同じ価値観で、今もなお日本外交を論じている私がここにいる。

 その中で最も核心的な点は、「日本は自分で国益を判断し行動すべきだ。同盟とはお互いの国益が合致したときに発生するもので、互いの国益が変化すれば当然、同盟も変化する」との主張だ。これこそ、まさに今日も、私が主張している論点である。

 かつて、日米開戦直前の一九四一年に、戦争突入を避けるため、何とか米国と合意ができないかと、四面楚歌の状勢の下、頑張った人物でいた。尊敬する外務省の先輩の一人、寺崎太郎氏である。戦後は、外務次官になっている。時代が違うので会ったことはない。

その彼の言葉を、PART2の中で次のように引用している。

外交には永遠の味方もなく、永遠の敵もいない。極端に言えば、国際情勢は一刻一刻変わっていて、しかもその性格は、白か黒かとかをはっきり定められるほど簡単ではない。

 本書は、彼の価値観を一つのテーマとして解説したようなものである。

 私に対して、しばしば、「外務省時代と違った発言をしているのでないですか」という非難がなされる。しかし、今の私は以前と変わらず、『日本外交 現場からの証言』の中にいる。

 創元社の編集者から、今回の話があったとき、「二〇年も経ちましたから、古くなった部分を新しい情報に修正して、追加してください」と言われたが、お断りした。

「そのまま復刻してください。時代とともに変わった部分は、別の章で新しく書かせてもらいます」そして、その方針で発行することが決まった。 

==================転載終了==============================