山陰好きだった電関人にとって、もっとも身近な客車急行は801・802レさんべだったと思う。
最後は20系+12系ハザの組み合わせになってしまったが、ゴーマルサン以降も40系+10系の夜行旧客らしき編成だった。
そのさんべが竹下区へ帰区直後DD13での構内入換を二世代分並べて・・・。
まずは美しい旧客編成時代をDD13338号機牽引で。
そして晩年の20系+12系ハザの編成をDD13234号機が入換。
まもなく終焉を迎えようとしている夜行列車、それが無くなると本当に列車の旅も味気のない平坦なものになってしまうのだろう。
上)1977年 竹下区にてDD13338+40系+10系 さんべ 下)1979年 竹下区にて DD13234+20系+12系ハザ さんべ
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DD51が牽引して山陰を走る写真はほとんど見ませんね。
上りの802レは7時5分にc終着米子についてしまいますから、
当然でしょうかね!?
一方だいせんは指定しかなく山陰出入りで周遊券で使えた客レは
急行ではさんべのみでした。
電関人もいろいろと思い出が残る列車です。
古くは、初めての夜行山陰一人旅で霙が降る出雲市に降り立ち、体調を崩して志半ばでまつかぜで博多に帰ったりと。
良い思い出も辛い思い出も運んでくれた列車です。
その昔、さんべ1号に2回ほど乗っていますが、昼間なのでDCでした。
客車のさんべは本線内はDD51の牽引だったのでしょうか、当時の走行写真はWEB上でもあまり見かけませんね。
もっとも、夜行列車だから今のようにデジタルカメラで簡単に撮るというわけにも行かなかったのでしょうね。
写真拝見すると4両目のハザシがスハ44に見えます。ならば門タケ?
いずれにしても、その後に出雲大社にお参りしましたが、願い叶わず。いろんな思いが過る列車です。