餘部鉄橋でのブルトレ。
その末期には随分と盛り上がったものだが、
そもそも出雲1往復時代は早朝通過で撮影できなかったのが2003レできて明るい時間の通過になった。
海側の山からの俯瞰も試みようとしたが道がなく、このアングルが精一杯だった。
このころの出雲3号は、既に食堂車の営業をしていなかったようでオシにはブラインドが下ろされている。
冬から春にかけての餘部は、なかなかいい天気に恵まれず一度だけ晴れた日に餘部ユースのベランダから撮ったものがあるけど、
200㎜の手持ちでブレていた。
この写真もスキャンコンディションが悪く・・・。
1981年(?)3月 山陰本線 鎧~餘部 2003レ出雲3号
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旧客の鈍行も、特急並みに長い編成でした。
今は単行が基本で利用人口の激減振りが分かります。
寝台列車は、当時博多発のあさかぜもそうでしたがまだまだ
東京への出世列車の観が色濃く残っていました。
山陰は何度か行ったものの、生活列車主義に拘っていたためか、ブルトレは全然撮っていないんです・・・。
いなばの東京発車時刻が20:40。
それも災いしたのかもしれませんが、東京ブルトレで
食堂車非営業ってのがいただけなかったのがはっきり記憶にありますね。
繋がっているのに使われない食堂車が国鉄末期の象徴ですね。
私も夏場ですが同じアングルで撮ってます(^O^)
ニッセイのおばちゃんシリーズのCF、懐かしいです。私的には津軽鉄道を舞台にした作品が大好きでした!
その民宿覚えています。実はそこへ泊ってみたかったのですが、
貧乏学生は、夜行かYHが精一杯でしたもので・・・。
真下から狙った写真を撮っていないのが今も悔やまれます。
明治の竣工以来、百年、老朽化とは言え、架けかえは残念でした。
2005年5月、この地方へ約一週間ほど出張したのですが、どうせならと餘部橋梁下の民宿に逗留。
朝練で「出雲」をいろいろなアングルで撮ることができたのは、今でもいい思い出です。
この滞在期間中、餘部橋梁の架けかえのニュースを報され運命を感じました。
蒸機をやられていた方々からすると、DD51だらけの山陰本線には
魅力のかけらもなかったと思います。
逆に、蒸機が餘部の鉄橋を渡る確か以前保険会社(ニッセイ?)のコマーシャルで
そんなシーンを使っていたのが記憶にあり、その幻想を
抱きながら餘部の鉄橋に通いました。
DD51牽引の出雲も,乗った事はあっても,ついにまともに撮らず終い...
考えてみると,いろいろなものを撮り逃していますね。
まぁ,とても全部を撮る事は出来ませんが...