ウィキペディアより引用
1942年8月6日、ナチスのいわゆる「ユダヤ問題最終解決」の名の下、孤児院の200人の子供たちは、孤児院を出て、緑の旗を立てて、集荷場と名付けられたユダヤ人をゲットーから移送するための駅まで行進し、親衛隊によりトレブリンカ強制収容所(正しくは「トレブリンカ抹殺キャンプ」)に移送された。コルチャックは、子供たちを見捨てて自分だけが助かることを拒否し、恐らく1942年8月6日、ナチスにより到着のその日に、子供たちと共にガス室で殺害された。
コチャック先生は、孤児院の責任者でした。子供たちが殺されることはわかっていました。子供たちが不安で死んでいくのを見過ごすことが出来ませんでした。
ロゴセラピスト協会論集第5号にコチャック先生のお話が紹介されていました。その中に、駅構内で火事が発生した時の例えの話がありました。我先に逃げる人、倒れている人を踏んで逃げる人もいるかもしれません、逃げ遅れている人を助けようとする人もいるかもしれません。どれを選択するかはその人によります。その違いは、各自が持っている人生の意味の違いではないかと説明されています。ロゴセラピーでは、その意味についても学んで行きます。ロゴセラピストは人にロゴセラピーを教える前にロゴセラピーの生き方を実践することが求められています。自分が実践していなくては教えられないからです。ロゴセラピーは「夜と霧」ヴィクトル・フランクル著で知られているフランクルが始めました。人生は様々な出来事が起きて来ます。それにYesと言い、それを受け容れてそこにその意味を見出す生き方をしていきます。その生き方は価値を生み出していきます。