サワコの朝
梨園の家に生まれ、小さい時から踊りなど習うが、弟は舞台に立てるが、自分は立てない。それがわかって習い事をすべて止めて中高はスポーツに熱中した。高校の時は歌手になりたくてグループを作って、ボーカルをやった。レベッカが好きだった。
そんな時、大地喜和子さんがぽつんとしていたら、うちの劇団(文学座)でやってみたらと誘われた。
お芝居をしている内に、歌よりも芝居が好きになった。
母が頼み込んでテレビの役にでたが、母が頼み込んで出るのが嫌になり、頼まれる役者になりたいとの思いが出てきた。
蜷川幸男さんに使って貰った。「お前は顔でなく技だ。美人は美人の役しかないできない」と言われた。
お母さんは別嬪だねと、周りからよく言われていた。言われるのは嫌ではなかったが、私は別嬪ではないと言われているように感じていた。
樹木希林さんに、「百姓が似合う役者はいないからそれをやった方がよい、土に根付いた役をやって行くのがよい」と言われた。
21歳の時に本「赤目四十八瀧心中未遂」に感動し、読書カードで作家 車谷長吉さんに熱い思いを送った。主人公をぜひやりたいと。28歳の時に、車屋さんがそのカードを持っていて、主人公の役にと言われ回って来た。7年目のめぐり合わせだった。濡れ場のシーンもあり、母が大反対した。日本アカデミー最優秀主演賞をいただいた。
母から「映画の最後の黒いスクリーンの最初の名前が載るのは快感よ」と母に言われた。その映画で女優の最初に名前が出て来て、母の言っている意味が理解できた。
その後、来る役が濡れ場の役ばかりだった。そんな時映画い「キャタピラー」の役が来た。文字とセリフが光っていた。これは私がやらないと思った。しかし、結婚していて濡れ場のシーンがあったの迷ったので、夫に相談したら「鏡を見たら。顔が輝いている」と言われた。
主人が監督に「この映画はベルリンがよい」と伝えた。監督はカンヌをターゲットにしていた。ベルリンで賞をいただいた。
今このような仕事をさせて貰って、歌舞伎の家に生まれたが女性に生まれて良かったと思う。
お酒飲んで路地で寝てしまったこともあった。弟に電話したら、場所を伝えていなかったのに、弟が見つけて家まで連れて帰ってくれた。弟は優しいです。弟は歌舞伎を継ぐことできっと悩みを抱えながらと思います。
藤山直美さんに出逢って、この人には何でも話せると思った。藤山直美さんから「いつピークになるかわからない。必ず花が咲くから」と言われた。藤山直美さんはアドリブでぶつかって来る。そして笑わせようとする。笑ってはいけない役だったので、爪を立てて笑いを堪えていた。
子どもが2歳になったが、歌舞伎が好き。青い目が入っているが。(笑い)
感想;
寺島しのぶさんを初めて見たのは、NHK大河ドラマの「琉球の風」でした。藤純子さんの王女の役の娘役でした。演技は当時は下手な印象を受けました。とびぬけて美人でもないのに何故出ているのだろうと思ったら、藤純子さんの娘だとわかり、納得したのを覚えています。母親の七光りで出ているのだと思いました。インタビューでは、やはり母親が頼んで出して貰っていたとのことでした。でも、それが本人には辛かったと。
その次に寺島しのぶさんを知ったのは、濡れ場のシーンでの裸の役で出たことでした。歌舞伎の家に生まれた女優さんが裸の役に体当たりするんだと。「愛の流刑地」での豊川悦司さんとの大胆なベットシーンは話題になりました。
いつも思うことですが、外から見るだけでは、その人の本当の考え方や生き方はわからないということです。寺島しのぶさんは歌舞伎の家に生まれた女性として、歌舞伎で生きられない運命の下、つまり人生から突きつけられた状況下、その状況に反発しながらも結局受け入れてどう生きて行くかを模索し精一杯生きてこられたのだと思いました。