妻が自治医大に車で行きたいが、駐車場への入り方がわからないので、Googleのストリート・ビューで駐車場への入り方を見ていました。ところがなかなか希望する道に進めないので、私にどうしたら見られるのかと尋ねて来ました。 ストリート・ビューはほとんど使ったことがないので、「わからない」と言うと、「他の人には親切なのに」と機嫌が悪くなりました。 そこで、妻が見ているストリート・ビューを操作してみましたが、上手く行きません。妻の機嫌がさらに悪くなって来ました。 そこで、Googleの自治医大周辺の衛星写真を見ました。拡大すると車が1~2mmくらいに見え、駐車場がわかりました。それを妻に見せてその駐車場に道からどう入るかを説明しました。分かったようで、機嫌が少し持ち直しました。 妻は薬を貰いに医者に行ったら、4時から7時半までかかってとても疲れたと言っていたので、それが機嫌を悪くしていたようです。 時間は夜の10時を過ぎていましたが、流しには一日の食器や鍋、フライパンが積まれたままでした。朝6時半に起きて顧問の会社に行き一日行き、夜に趣味の教室に行ったので、私も疲れていました。どうしようかな?と迷いながら、妻の機嫌が悪い状態を選択するか、自分が疲れるけど妻の機嫌がよくなる方を選択するか?専業主婦だから家事は妻の役割と思う気持ちがやはりあるのも否定できません。 シェイクスピアの To be or not to be. ではないですが。理性が勝ち、食器洗いをしました。理性が勝ったのは、趣味の教室に行ったからでもありました。 このように理性がいつも勝つと良いのですが、感情に負けてしまうことも多々あります。ボランティアで出かけた日や、ボランティアに出かける前日は、理性が勝ちます。(笑) 趣味やボランティアに時間を使うということは、その時間、家族と一緒の時間を減らすことにもなります。趣味やボランティアができることは、家族のおかげでもあります。そう考えると、疲れていて、感情的に手伝うのは大変だなと思っても、理性で手伝おうと考えます。本当は、感情と理性が一体化して、感情と理性で心から手伝えるとよいのですが。 最近読んだ本、エリザベス・キューブラ・ロス女史の最後の本「ライフレッスン」に、”怒りの感情は怒りに任せるのではなく、そういう感情を持っていると認識し、行動をどうするかは別である。怒りに任せてしまう(感情のまま行動する)か、怒りはそのままにして行動には怒りを反映させないかは自分の選択である”とありました。怒りを行動に表す人は、何かが怒らせたから自動的に怒ったのではなく、自分が怒りを行動に表すを選択したから怒っているのだと説明がありました。なるほど。自分の行動は自分が選択しているのです。