幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 中園ミホさん」 "恋愛をして欲しい”

2016-12-24 09:06:18 | 生き方/考え方
脚本家として30年。 ドラマドクターXの脚本も。 
こんなせりふ言えないと何度も深夜に呼ばれたことがある。
花子とアン、派遣の品格の脚本など。 
働く女の人を描くのが好き。
“私は失敗しない”の言葉は?
キャラクターがなかなかできなくて、2か月ぐらい悩んだ。
柔道の松本薫さんが金メダルを取り、松岡さんがインタビューして「失敗したらどうしようと思っていたのですか?」と尋ねたら、「私は失敗しないので」の言葉が返ってきた。
それがヒントになった。

1曲目。10歳の時に母に連れて行かれて映画を見た。初めて見た大人の映画。ドキドキした。
「男と女」。映画を見ていなかったら映像の仕事はしていなかった。今でもその時のドキドキを覚えている。
曲にはのめりこむ。10歳の時に父を亡くした。19歳の時に母を亡くした。亡くなった前後の記憶がない。しかし、その当時見た映画は覚えている。

学校卒業して、ダメOL生活を1年数か月。FAXくらい送れるだろうとのことでFAXを5枚送れと言われた。FAX室に入ってやったが何度やっても送れない。そしたら課長が飛んできて、「向こうにFAXが100枚くらい届いているぞ。何をやっているんだ!」と言われた。当時、FAXとは紙が飛んでいくものだと思っていたので、なかなか飛んで行かないので何度もやっていた。

たまたま脚本教室に通った。たまたま脚本家の先生と一緒に歩いていた時、すれ違った人にひとめぼれになった。知り合いだったので、その人のストーカーになった。まだストーカーという言葉がない時代だった。その人が「明日もここに来てたら警察を呼びます」と言われたけど、また待っていた。そしたら警察が来た。この時初めて、こういうことをしていたら警察が来るんだと実感した。

脚本家になったらその人に会えると思った。次の日から、国立国会図書館に行き、その人の脚本を全て書き写しした。失恋していなかったら脚本家になっていなかった。

自分の書いた脚本を現場で変えられたり、この言葉が言えないと言われたことはしょっちゅうある。ある人から“あなたの代わりはいくらでもいる”と何度も言われる。

脚本家が一番偉いと思われているかもしれないが、そんなことはない。大石静香さんとお互い愚痴る。大石静香さんであってもそうでない。

占いは14歳から勉強していた。四柱推命と数奇学。一時は占いで収入を得ていた。
きちんと占うと半日かかるので、サワコさんを調べてきました。“わがまま、憎まれない、正義感が強くおべんちゃらが言えない。結婚観は高まっている。来年5月。それを逃すと2023年になる。” 手相を、結婚性はとっても良い。黒柳徹子さんと同じくらい晩婚。主演の役者の方をついみてしまう。脚本を書いたあるドラマの役者さんスタッフのを見た。そうしたら、運気の悪い人がいっぱいいた。しかしそのドラマは当たった。撮影現場ではトラブルがいっぱいあった。私の持論ですが、運気が悪い人が入っていた方が上手く行くと思うようになった。脚本家は1本だめでも次があるが、プロジューサーは悪いと飛ばされるし、女優さんはCMがなくなるし。そのため、やはり視聴率が大切だと思う。あれ?あのプロジューサーはどこに行ったの?と思うことが何度もあった。

恋愛ドラマは好きだけど、提案がなかなか通らない。恋愛ドラマがヒットすると、TV局も恋愛ドラマを作成するのではと思うので、他の作品でも恋愛ドラマがヒットすると嬉しい。
息子23歳、恋愛していない。恋愛しないのは、傷つくのが怖いのでしょうね。ストーカーするほどだったので、恋愛が苦しいのはよくわかっている。恋愛によって悲劇がある。死にたいと思うこともあった。だから命かけてやるものだと思う。
こういう恋愛のドラマはあります。言えないけど。これを書かずに死ねない。取材中。

一番好きな映画は「ゴッドファーザーパートⅡ」次はパートⅠ、三番目はパートⅢ。この曲を危機ながら脚本を書いている。
カバーしている曲は全て買っている。
ああいう脚本を書きたいと夢。唯一ケチをつけるなら女の人がはっきり描かれていない。ゴッドファーザーの女偏を書きたい。

感想
一途な思い。
ダメOLでも自分の道を探して生きる。
脚本家としても素晴らしいのですが、女性として、人としてとても魅力のある方でした。





「失敗の本質 戦場のリーダシップ篇」 野中郁次郎編著 ”「不都合な真実」の直観”

2016-12-24 03:24:32 | 本の紹介
フロネティック・リーダーの要件
1)「善い」目的をつくる能力
2)場をタイムリーにつくる能力
3)ありのままの現実を直観する能力
4)直観の本質を概念化する能力
5)概念を実現する政治力
6)実践知を組織化する能力

インパール作戦の牟田口廉也
立案・指揮した牟田口のリーダーシップ
現場感覚を持った軍人である程度の大局観も備えていたのだろうが、決定的に欠けていたのはジャッジメントの能力である。作戦は6月上旬には無理だと認識していたが、ずるずると判断を遅らせ一か月を無為に過ごしてしまった。雨季でもあり、その間に犠牲者(餓死含め)数を膨大にしてしまった。

駐モンゴル軍司令官を務めた根本博
駐モンゴル軍の司令官として終戦を迎えた。第一になすべき四万人の居留邦人の保護であると結論づけた。この最優先課題に対処するため、降伏後の武装解除にも応じず、対ソ戦闘を継続した。邦人を安全に脱出させたのち、根本は国民党軍に降伏した。根本は敵とも交流していた幅広い人脈が停戦時の大混乱時に正しく判断させたのではないか。

レイテ海戦の”謎の反転“の栗田健男
レイテ湾への突入を目前に艦隊を反転させ、戦局を打開する最後のチャンスを失った。栗田はジャッジメントを誤った。突入していたら米軍に多大な打撃を与えていた。栗田の目を曇らせたのは日本海海戦の成功体験に固執した帝国海軍の体質そのものだったのではないか。

キスカ撤退の木村昌福
二度目の出撃ではレーダーを装備した最新鋭の駆逐艦を動員し、九州帝大で理学を学んだ気象の専門家を同行させた。こうしてハードとソフトのリソースを最適配置したうえで、木村は運を待った。実際、二度目には濃霧が出た。重要なのは偶然を活かすための準備をしていたということである。見事なジャッジメントといえるだろう。

ドイツとの同盟を樹立する際、日本は現実を直視できないという愚を犯した。
日米通商航海条約をアメリカが完全廃棄し、くず鉄や石油などの対日輸出を許可制とした。これによって、対米戦争必至という方向へ流れ、三国同盟を結んだ。
一方、チャーチルは悪のナチスと手を組むことはしないと、当時破竹の勢いだったドイツとの戦いを選んだ。

作家の司馬遼太郎は日本陸軍の戦車兵だったが、ある時、ヤスリで戦車の砲塔を削ってみたところ、予想に反して、楽々削れることにびっくりしたという。材質が装甲用の特殊鋼ではなくただの手伝ったのである。司馬いわく、アメリカ軍に比べ日本軍の戦車が武装と防御面でいかに貧弱か、たいていの戦車兵は理解していたが、「こんな戦車で戦えるか」と口にする者は一人もいなかった。三国同盟を推し進めた将校のみならず、現場の兵士たちもリアリズム思考に欠け、都合の悪い現実を直視できなくなっていたのだろうか。

「不都合な真実」の直観がなかったら生まれなかった商品がある。
サントリーのウイスキー市場は1983年を境に縮小の一途をたどっていた。ウイスキーは二件目のバーやスナックで飲まれる酒だが、今の若い人は一軒目ですぐに帰ってしまっていた。
ある時、角ハイボールに鉄板焼きを組み合わせて成功している店があるとの情報が入った。角ハイボールを飲みながら鉄板焼きをつつく客で混雑していた。そのため、アルコール度を下げ、レモン果汁を加えた飲み方を料飲店を通して大々的に提案したところ、みごとに当たった。
任下阪は万物についての真実を知ることはできない。組織によって都合の悪い真実は頬かむりしたくなるのが人間だ。だが、それでは新たな知は生まれない。あらゆる場面で、なぜを五回問うトヨタのように、絶対の真実があると信じて、何度も執拗に問いを発し、試行錯誤を続けられる組織が最後には勝つ。

日本では、軍事に限らず組織の失敗において、真実の解明が難しい。2011年3月に発生した東日本大震災の政府や東京電力の組織的対応を見る限り、不透明な意思決定、不明瞭な情報公開、非常時とは思えない対応の遅さ、また、中央と現場との葛藤など、「不都合な真実」を組織ぐるみで隠蔽する体質が透けて見える。

アメリカは、即座にドイツの潜水艦作戦を分析して、イギリスの失敗を繰り返さないための教訓を抽出した。そして、大西洋でドイツのシーレン破壊に苦慮しながら、潜水艦111隻のうち51隻を太平洋に配備し、昭和18年秋以降、わが非武装輸送船のみを攻撃して、狙い通りに本を追い詰めていくのである。南方からの物資が滞るようになった。
一方、帝国海軍は潜水艦を艦隊決戦の補助戦力としか見ていなかった。

イギリスとアメリはレーダー用アンテナの実践配備に成功した。レーダーの有無がミッドウェー海戦の勝敗を分けたともいわれている。このレーダーは八木アンテナ(指向性アンテナ)の軍用への活用であった。一方、本家本元の日本では、八木がアンテナの軍用活用を提案したが採用しなかった。八木の提言から16年後にようやく欧米諸国(アンテナ活用でレーダー開発)の動きに気づくのである。シンガポールを陥落させた日本軍は、イギリスの陣地から押収した文書のなかに“SLC Theory”と書かれたノートと、鉄線と銅線を組み合わせた大きな檻のようなものを発見した。SLCは、search light controlの略で、電波警報機ではないかと推察がついたが、ノートに散見される“Yagi Serial Array”の意味がわからない。ノートの保有者の捕虜に「Yagiとは何か?」と尋問した。捕虜は怪訝な顔で、「このアンテナを発明したのは日本の研究者だ」と答えた。
 ジャワ島でも、オランダのフィリップ社製作の指向性アンテナの実践配備が発見された。この情報を知らされた海軍技術研究所は、八木アンテナの価値を見落としたことに、悔恨の念が沸き上がっていた。海軍は八木の提案を却下していた。電波を特定の方向に発受信させる八木アンテナは、奇襲・野戦を得意戦術とする帝国海軍にとてみずからの位置を敵に知らせるようなもので、軍事利用には不適切と見なしたのである。

科学技術の分野を見ても、ありとあらゆる手段を用いてこれを有効活用する体制を築いたアメリカに対し、日本は成功体験にこだわるあまり大局を見ることができず、有限であるヒト・モノ・カネなど諸資源の有効な戦略的運用を誤った。
これを総括して、コンプトン・レポートは、日本の敗因を次のように断言した。
「日本の軍事指導者が疑いもなく独善的で自信過剰な態度を取り続けたことにある」

満州事変ではさまざまの場面で下剋上と独断専行が繰り返された。こうした行動の多くが、本来ならば、刑罰や処分あるいは譴責の対象となるはずであった。しかし、どれ一つとして、そうしたことにならなかった。責任を問われるどころか、称賛をもって報われた。
コントロールの意思と能力が欠けていた。

太平洋戦争時においても日本は、実は二度負けている。ただし一度目の敗戦は、帝国海軍が真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲する四か月前、内閣総理大臣の直轄機関で行われたシミュレーションにおいてである。「もし日本が海戦したら」という前提の下で導き出された結論は「日本必敗」であった。近衛文麿首相以下、各大臣が居並ぶなか、「日本必敗」の結論を驚愕の表情で傍聴する人物がいた。時の陸軍大臣東条英機である。シミュレーションを担当したメンバーに対し、彼は一言、「口外してはならぬ」とくぎを刺したという。
東条英機陸相は「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまで机上の演習でありまして、実際の戦争というものは君たちの考えているようなものではないのであります。日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、止むにやまれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦というものは計画通りにいかない。以外なことが勝利につながっていく。・・・なお、この机上演習の経過を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります」

東京裁判で、当時参謀本部作戦部長だった石原莞爾は、
「東条と意見の対立がったのではないか」と聞かれ、
石原は「私には思想も意見もあるが、東条にそれがない。意見のない人間とは対立しようながない」と「言い放った」というのだ。

感想
指導者の力によって、物事は大きく分かれるということが、歴史が証明しています。
大切なことは、このように失敗/成功を省みて次に生かしていくことなのでしょう。