http://digital.asahi.com/articles/ASK2Q6VXZK2QUTIL07F.html?rm=504
ハノイ=島康彦、鈴木暁子2017年3月2日 天皇、皇后両陛下との接見後、涙ぐむ元残留日本兵家族のグエン・ティ・スアンさん=2日午後1時4分、ハノイ、代表撮影
ベトナムを訪問中の天皇、皇后両陛下は2日、終戦後も日本に帰らずベトナムの独立運動に関わった「残留日本兵」のベトナム人妻ら家族と首都ハノイのホテルで対面した。60年以上、生き別れた日本人の夫や父を思い続けた家族に、天皇陛下は「やはり平和が大事ですね」と繰り返し述べた。
特集:皇室とっておき
「コンニチハ」。元残留日本兵の妻グエン・ティ・スアンさん(93)は両陛下に日本語であいさつした。「体がとても弱っていますが、初めて両陛下が訪問して下さったので頑張ってここまで来ました」。天皇陛下は腰をかがめて耳を傾け、「いろいろご苦労もあったでしょう」と話した。
スアンさんは夫との間に4人の子をもった。だが1954年、夫はひとりで日本に帰国。スアンさんは農業や売り子をして働き、子どもを育てた。
皇后さまは涙ながらに話すスアンさんの前にしゃがみ込み、ずっと手を握って話を聞いた。「苦労していた日々のことを新聞で読みました」と言い、歩み寄って小さな体を抱きしめた。後ろに立っていた長女のフオンさんにも「長い間お母さまをお助けになって」とねぎらった。スアンさんも帰り際、皇后さまに「アリガトウゴザイマス」と言って駆け寄り、抱き合った。
残留日本兵の父を持つゴー・ザ・カインさん(72)は東日本大震災のとき、ベトナムで支援活動に動いた。皇后さまに「祈ってくださったのですね」と声をかけられると、涙があふれて言葉が出なくなった。
「我々は常に日本のことを考えております」と話すカインさんに、天皇陛下は「平和というものが大事だと思います」と話した。陛下は、日本ベトナム友好協会顧問を務める杉原剛さん(95)の息子クアンさんらに対しても、この言葉を繰り返した。
両陛下は予定の15分の倍近くの時間をかけ、すべての家族に言葉をかけた。
最後に残留日本兵の父をもつチャン・ドク・ヒエウさんが「ベトナムの日本兵の家族に特別な感情をもっていただき心から感謝します。子孫まで伝えます」と話すと、両陛下は静かにうなずいた。
懇談後、スアンさんは記者団に「とても感動的でした。戦争を経て様々な困難にあいましたが、両陛下に感謝します」と話した。(ハノイ=島康彦、鈴木暁子)
◇
〈ベトナム残留日本兵〉 1945年の終戦時にベトナムには約8万人の日本軍人がいたが、うち約600人は帰還せず、フランスの再統治に抵抗する「ベトナム独立同盟」(ベトミン)に協力、戦闘力強化を指導した。残留兵の多くはベトナム人の女性と家族をもったが、54年以降、東西冷戦を背景に旧日本兵は日本へ送還される。だが当初家族帯同が認められず、多くの家族が引き裂かれた。
両陛下、ドクさんと面会=「ベトちゃんドクちゃん」弟
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-170303X897.html
【ハノイ時事】ベトナムを公式訪問中の天皇、皇后両陛下は2日夜、滞在先のハノイのホテルで開かれた日本大使夫妻主催のレセプションで、結合双生児として生まれた「ベトちゃんドクちゃん」の弟、グエン・ドクさん(36)と面会された。
ドクさんは1981年、米軍がベトナム戦争中に枯れ葉剤を使用した地域で、兄ベトさん=2007年死去=と下半身がつながった状態で生まれた。日本の支援もあって88年にベトナムの病院で分離手術を受け、現在はその病院で事務員として働いている。
ドクさんと対面した皇后さまは「お元気でいらっしゃることをみんなどれだけ喜ぶことでしょう。ご家族一緒にお元気でね」とほっとした様子。天皇陛下もドクさんや同席した妻テュエンさん(34)と笑顔で握手を交わし、「ベトさんが亡くなったことは残念なことでした。しかし、ドクさんがこうして元気にされていることをうれしく思います」と伝えた。
「自分は日本とベトナムの懸け橋として、両国間の交流の強化に貢献できればと願っています」と両陛下に伝えたというドクさん。日本への思いを込め、双子の子供にフー・シー(富士)とアイン・ダオ(ベトナム語で桜)と名付けたことを振り返り、「両国関係のためにこれからも頑張っていきたい」と力を込めた。
感想;
天皇陛下が考えられている”国の象徴”としての活動を実践されているのだと思います。
それができなくなったら、退位したいとのお気持ちなのだと思います。
平和を維持する。それは武力で国を守ることではなく、国と友好関係を築くことなのだと思います。
武力では国家間の問題は解決できず、多くの死者と破壊になります。
歴史は繰り返しています。
歴史から学ぶことをせずに、また戦争ができる国に変えようと政府はしています。
また戦争で多くの人が亡くなってしか気づかないのでしょうか。
天皇陛下の地道な平和活動、戦争を二度と起こさないための活動、それを実践されたいのだと思います。
そのお気持ちをもう少し、有識者会議や政府が考えて貰えると良いのですが。
皇太子がやればよいとのことですが、やはり天皇と皇太子では重みが違うと思います。
とても残念です。
変えるには、やはり一人ひとりが声を上げないとダメなんでしょうね。
ハノイ=島康彦、鈴木暁子2017年3月2日 天皇、皇后両陛下との接見後、涙ぐむ元残留日本兵家族のグエン・ティ・スアンさん=2日午後1時4分、ハノイ、代表撮影
ベトナムを訪問中の天皇、皇后両陛下は2日、終戦後も日本に帰らずベトナムの独立運動に関わった「残留日本兵」のベトナム人妻ら家族と首都ハノイのホテルで対面した。60年以上、生き別れた日本人の夫や父を思い続けた家族に、天皇陛下は「やはり平和が大事ですね」と繰り返し述べた。
特集:皇室とっておき
「コンニチハ」。元残留日本兵の妻グエン・ティ・スアンさん(93)は両陛下に日本語であいさつした。「体がとても弱っていますが、初めて両陛下が訪問して下さったので頑張ってここまで来ました」。天皇陛下は腰をかがめて耳を傾け、「いろいろご苦労もあったでしょう」と話した。
スアンさんは夫との間に4人の子をもった。だが1954年、夫はひとりで日本に帰国。スアンさんは農業や売り子をして働き、子どもを育てた。
皇后さまは涙ながらに話すスアンさんの前にしゃがみ込み、ずっと手を握って話を聞いた。「苦労していた日々のことを新聞で読みました」と言い、歩み寄って小さな体を抱きしめた。後ろに立っていた長女のフオンさんにも「長い間お母さまをお助けになって」とねぎらった。スアンさんも帰り際、皇后さまに「アリガトウゴザイマス」と言って駆け寄り、抱き合った。
残留日本兵の父を持つゴー・ザ・カインさん(72)は東日本大震災のとき、ベトナムで支援活動に動いた。皇后さまに「祈ってくださったのですね」と声をかけられると、涙があふれて言葉が出なくなった。
「我々は常に日本のことを考えております」と話すカインさんに、天皇陛下は「平和というものが大事だと思います」と話した。陛下は、日本ベトナム友好協会顧問を務める杉原剛さん(95)の息子クアンさんらに対しても、この言葉を繰り返した。
両陛下は予定の15分の倍近くの時間をかけ、すべての家族に言葉をかけた。
最後に残留日本兵の父をもつチャン・ドク・ヒエウさんが「ベトナムの日本兵の家族に特別な感情をもっていただき心から感謝します。子孫まで伝えます」と話すと、両陛下は静かにうなずいた。
懇談後、スアンさんは記者団に「とても感動的でした。戦争を経て様々な困難にあいましたが、両陛下に感謝します」と話した。(ハノイ=島康彦、鈴木暁子)
◇
〈ベトナム残留日本兵〉 1945年の終戦時にベトナムには約8万人の日本軍人がいたが、うち約600人は帰還せず、フランスの再統治に抵抗する「ベトナム独立同盟」(ベトミン)に協力、戦闘力強化を指導した。残留兵の多くはベトナム人の女性と家族をもったが、54年以降、東西冷戦を背景に旧日本兵は日本へ送還される。だが当初家族帯同が認められず、多くの家族が引き裂かれた。
両陛下、ドクさんと面会=「ベトちゃんドクちゃん」弟
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-170303X897.html
【ハノイ時事】ベトナムを公式訪問中の天皇、皇后両陛下は2日夜、滞在先のハノイのホテルで開かれた日本大使夫妻主催のレセプションで、結合双生児として生まれた「ベトちゃんドクちゃん」の弟、グエン・ドクさん(36)と面会された。
ドクさんは1981年、米軍がベトナム戦争中に枯れ葉剤を使用した地域で、兄ベトさん=2007年死去=と下半身がつながった状態で生まれた。日本の支援もあって88年にベトナムの病院で分離手術を受け、現在はその病院で事務員として働いている。
ドクさんと対面した皇后さまは「お元気でいらっしゃることをみんなどれだけ喜ぶことでしょう。ご家族一緒にお元気でね」とほっとした様子。天皇陛下もドクさんや同席した妻テュエンさん(34)と笑顔で握手を交わし、「ベトさんが亡くなったことは残念なことでした。しかし、ドクさんがこうして元気にされていることをうれしく思います」と伝えた。
「自分は日本とベトナムの懸け橋として、両国間の交流の強化に貢献できればと願っています」と両陛下に伝えたというドクさん。日本への思いを込め、双子の子供にフー・シー(富士)とアイン・ダオ(ベトナム語で桜)と名付けたことを振り返り、「両国関係のためにこれからも頑張っていきたい」と力を込めた。
感想;
天皇陛下が考えられている”国の象徴”としての活動を実践されているのだと思います。
それができなくなったら、退位したいとのお気持ちなのだと思います。
平和を維持する。それは武力で国を守ることではなく、国と友好関係を築くことなのだと思います。
武力では国家間の問題は解決できず、多くの死者と破壊になります。
歴史は繰り返しています。
歴史から学ぶことをせずに、また戦争ができる国に変えようと政府はしています。
また戦争で多くの人が亡くなってしか気づかないのでしょうか。
天皇陛下の地道な平和活動、戦争を二度と起こさないための活動、それを実践されたいのだと思います。
そのお気持ちをもう少し、有識者会議や政府が考えて貰えると良いのですが。
皇太子がやればよいとのことですが、やはり天皇と皇太子では重みが違うと思います。
とても残念です。
変えるには、やはり一人ひとりが声を上げないとダメなんでしょうね。