幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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阿川佐和子さん「サワコの朝 小松政夫さん」 "ギャグは人間観察から”

2017-03-25 08:06:18 | 生き方/考え方
芸能生活50周年。1942年生まれ。福岡県、7人の5人目。自動車のトップセールスマンに。宇植木等さんの付き人募集に横暴。ギャグは人間観察から学んだ。

“白け鳥”のギャグは40年前。伊東四朗さんと一緒にやっていた。本番前に2度の入念なリハーサルを。伊東四朗との間に生まれる瞬間芸。本番に工夫した。

18歳で家で同然で東京に出た。複写機械の会社。わざとコピー機を置いて帰って、使ってくれましたか? 彼氏のコピーしませんか? それを取引先の怖い部長がこっちを見て、「空手チョップだ」と。そして声をかけて「おまえはコピー機みたいなせこい機械を売るんじゃない。車を売れ! 俺が教えてやる」と言われて車の販売をした。

1曲目、石原裕次郎さんの「明日は明日の風が吹く」。車のセールスマン時代を思い出す曲。
先輩がいつも歌っていた。トヨペットのセールスマンがそれぞれ面白かった。婦人担当のセールスマン。ものすごく二枚目。お客様エンジンがかからないと苦情電話。声を変えて対応。そして直ぐに行って、わざと真っ白なワイシャツをオイルで汚して、直して。「どうか一つ今後ともよろしくお願いします」。そうしたらお客様からお礼の品を持って来て、親切にして貰えたことを他の奥様仲間に伝え、そうしたらそんな親切な人から購入したいと。そういう紹介は確実に車が売れた。当時はプラグが濡れてかからないだけなので、すぐに直った。

植木等の付き人、運転手を募集と小さな囲み記事。倍率600倍。植木等さんが検査入院していた。植木等さんから「君は父親を小さい時に亡くしているから、私を父親と思ってよい」「親父と呼ばせていただきます」。
伊東四朗さんは当時転覆トリオをやっていた。「小松は重箱の隅をいつもつついている」と伊東さんが言っていた。それを上手く工夫させていた。

淀川長治さんのものまね。50年前にメガネに眉毛を動かすのをやった。本物と対決する企画があったが直前になくなった。淀川さんが「私は映画以外で話をしたくないんです」。淀川さんと偶然出会って少しだけ話をさせた貰った。その時、手を握って「私は手を握らないと話せないのですよ。心が伝わらないのですよ」と言われた。

これからも喜劇を大切にしたい。劇がついている。最後にほろっとさせる。

2曲目は、フランク永井さんの「有楽町で逢いましょう」。有楽町はどんなところかと想像していた。東京に来た時にすぐに有楽町に行った。
フランク永井さんはハンサム。イケメンとハンサムは違いますからね。これからもハンサムでいてくださいね(サワコさん)。

感想
新しいことにチャレンジしていく。
一つの仕事で成果を出す人は他の仕事でも成果をだされるように思いました。
いろいろな人から良い点を学びながら、ご自分の血と肉にされて来られたのだと思いました。