幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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<防衛大>任官拒否者の卒業式締め出し 詐欺事件が契機 ”安倍首相の指示で実施”

2017-03-18 10:56:38 | 社会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170317-00000044-mai-soci 毎日新聞 3/17(金)
 防衛大学校は2014年春から、自衛官にならない任官拒否者の卒業式への参加を認めていない。毎日新聞が情報公開請求で入手した内部資料によると、この「締め出し」のきっかけは、13年に発覚した複数の防大生による詐欺事件だった。19日にある今年の卒業式でも、任官拒否者は排除される。

 防大は第2次安倍政権下の14年春から、首相や防衛相らが出席する卒業式とは別に、任官拒否者を集めて「卒業証書授与式」を開いている。

 防大出身のある幹部自衛官は「任官拒否であろうと同期。なぜ別の卒業式にするのか理解できない。価値観はいろいろ。任官拒否は悪いことではない」と指摘。自衛官OBも「任官拒否し民間で活躍している人は多い。やっかみとしか思えない」と話すなど「締め出し」に首をかしげる。

 卒業式出席の可否を検討した14年2月の内部資料には、「任官拒否者と同等に扱うことにより、任官の意義が薄れる可能性」「任官拒否を是認する雰囲気が残る」とあった。任官拒否の増減は景気動向に左右される傾向があり、将来の幹部自衛官を手放したくない思いがにじむ。

 また、内部資料の中の「想定問答」では、13年に傷害保険金詐取で少なくとも10人の防大生が書類送検された事件があり(全員が起訴猶予処分)、これが卒業式分離の契機だと説明。「防大の根幹を揺るがす大事件で、遠因の一つに防大生としての誇りの欠如がある。これを機に綱紀粛正を図る」とある。

 任官拒否への風当たりは元々強い。防大生の学費は無料で、特別職国家公務員として月10万円ほどの「給与」もある。12年ごろは任官拒否者の学費返納制度の創設が検討されたこともある。

 防大創設当初も分離方式だったが、元警視総監の土田国保氏が1978年に学校長に就き、取りやめた。「防衛大学校五十年史」は「任官辞退者であろうと、本校で受けた教育を生かして国家社会のために働いてくれるはずだ、という確信が土田氏にはあった。同級生の絆を尊重し、青年の誇りと名誉を傷つけてはならない、との配慮もあった」と記述する。バブル期の91年春に任官拒否者は最多の94人になったが、分離は復活しなかった。

 内部資料によると、第1次安倍政権当時の07年3月にも任官拒否者の卒業式分離が防大内で検討されていた。この時は「在野で自衛隊の支持者として活躍してもらうためには、彼らの心情にも配慮する必要がある」などとして大学内の全関係部署が反対し、見送られた。だが、第2次安倍政権の14年2月に再検討され、卒業式分離が決まった。安倍政権以外の時期で「締め出し」が検討がされた形跡は内部資料からうかがえない。【町田徳丈】

感想
なんとまあ、心の狭いことを。
防衛大学の教育者は政治に左右されています。
本来は、教育は中立だと思うのですが。

阿部首相は本当に戦争ができる日本にしたいんだなと思います。
安倍首相を支持されている方は、子どもたちが戦死した日本を復活させたいのでしょうか?

原発避難訴訟、国の責任認める 「津波予見できた」 前橋地裁判決  ”画期的な判断”

2017-03-18 10:48:48 | 社会
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17H7Z_X10C17A3000000/ 日本経済新聞2017/3/17
 福島第1原子力発電所事故後に福島県から群馬県に避難した住民ら137人が国と東京電力に1人あたり1100万円(総額約15億円)の損害賠償を求めた集団訴訟の判決が17日、前橋地裁であった。原道子裁判長は請求の一部を認め、国と東電に賠償を命じた。「国は2002年には津波の到達を予見できた。国が事故を防げなかったのは違法」として国の責任を認めた。

廃炉に向けた作業が進む東京電力福島第1原発(2016年10月、福島県大熊町)
 全国20の地裁・支部で避難者ら計約1万2千人が起こしている集団訴訟で最初の判決で、原発事故をめぐり国の賠償責任を認めたのは初めて。東電も津波を予見できたと認定した。
 原裁判長は判決理由で、02年7月に政府の長期評価が巨大地震で津波が原発敷地を大きく上回ると試算していた点などを挙げ、「遅くとも02年7月から数カ月後の時点で、国は非常用配電盤を浸水させる規模の津波の到来を予見できた」と指摘。国には東電に対策を命じる権限があり、「東電に対策を取らせれば事故を防ぐことが可能だった」と結論づけた。
 また東電について「常に安全側に立った対策を取る方針を堅持しなければならないのに、経済的合理性を優先させたと言われてもやむを得ない対応だった」と厳しく批判した。
 主な争点は▽東電や国が津波を予見し、対策を取ることができたか▽国の指針にもとづく東電から避難者への賠償額が妥当か――の2点だった。
 東電や国は「02年7月の長期評価は科学的知見として不十分で、事故は予見できなかった」として過失を否定。国は「そもそも、東電に津波対策を命じる権限がなかった」とも主張していた。

感想
自民党の時代、その後の民主党の時代に対策をしてこなかった結果なのでしょう。
大切なことは問題を明確にしてこれからに生かすことなのですが・・・。

福島原発の事故は本当に防げなかったのが? 対策するチャンスはあったのかhttp://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/c0e5e428cc34e875e5a9417fa3f08740


「原発と大津波 警告を葬った人々」 添田孝史著 ”想定外ではなく、想定内だが対策しなかった!”
女川1号機の設置許可を申請したのは1970年、福島第一1号機の申請から4年後のことだ。
東北電力は土木工学や地球物理学など社外の専門家らを集めた「海岸施設研究委員会」を設けて議論した。

「明治三陸津波や昭和三陸津波よりも震源が南にある地震、
例えば貞観地震や慶長地震による津波の波高はもっとたかくなるだろう」といった検討の結果、敷地の高さを14.8mにすることを決めた。
同社副社長だった平井弥之助氏の存在が大きかった。
平井氏は東北電力を退いて電力中央研究所の技術研究所長の職にあったとき、「海岸施設研究会」に加わり、貞観津波を配慮せよと強く主張していた。
貞観津波は869年に発生した巨大な津波で、女川原発建設当時はその発生源がよくわかっていなかった。
平井氏の実家の近くに神社があり、現在の海岸線から7km以上内陸にあるが、そこにまで過去の大津波が到達したという文書が残されている。
平氏氏はその史実に触れて、「大津波に備える必要がある」と力説していた。
大島氏は、平井氏について
「法律による規定・基準を超えて、自然に対する畏れを忘れず自分の判断で技術者としての結果責任を果たすよう指導してこられた」とも述べている。
女川原発は海水ポンプも高さ14.8mの敷地内にあり、津波に対して強い設計になっていた。
一方、福島第一原発は海水ポンプの高さ4mの埋め立て地においており、これが水没すれば原子炉の冷却が出来なくなって炉心損傷を引き起こす恐れがあった。
女川原発は、福島第一原発より三倍以上津波に強く作られていたのだ。

(1997年3月各自自体に通知した)七省庁手引きの方針は、電力会社には、とても都合の悪いものだった。
この報告書では原子力の安全審査における津波以上の想定し得る最大規模の地震津波も加えることになっており、
さらに津波の数値解析は不確定な部分が多いと指摘しており、
これらの考えを原子力に適用すると多くの原子力発電所で津波高さが敷地高さ更には屋外ポンプの高さを超えるとの報告があった。

2002年3月、東電は福島第一原発で想定される津波の高さを5.7mに見直し、保安院に報告書を提出した。
これに合わせ6号機の非常用海水ポンプ電動機w20cmかさ上げする対策をとった。
もしも、七省庁手引きの方法にしたがって福島第一原発が津波地震を想定していたら、その高さは最大13.6mになった。
もしも土木学会手法が、当時の原発の約半分は達成していた「安全率二倍」を最低基準として設定していたら、福島第一原発の想定は約12mになっていた。

中央防災会議は2002年10月に「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会」を設置した。
2004年2月の第二回調査会では、冒頭で事務局は地震本部の長期評価で示された「海溝沿いの津波地震」を防災の検討対象としない、方針を示した。
過去に起こった記録がない、もしくは、記録が不十分な地震は、正確な被害想定を作ることが難しいからという理由だった。
これに対し、委員からの反対が続いた。委員らの反対を押し切り、事務局は宮城から茨城沖で津波地震が起こることを想定しないことにした。
それどころか、これまで起きたことが記録に残っている1611年三陸沖、1677年延宝房総沖も、
くりかえして起きていないためデータ不足という理由で、想定対象からはずしてしまう。
結局、津波地震は、明治三陸が起きた岩手沖を中心とした領域だけ想定することにした。
宮城県以南では警戒しないことに決めたのだ。
その結果、東北地方太平洋沖地震では、南にいくほど中央防災会議による想定を大きく超えた津波に襲われ、そこで死者が多くなった。
津波の犠牲者の8割は岩手県南部の陸前高田市以南で遭難した人たちだ。
七省庁手引きが公表される前に、電事連は報告書案を入手し、通産省を通じて事務局あった建設省に原発の津波想定を上回る水位にならないように圧力をかけていた。

1997年7月、電事蓮津波対応WGから通産省に送られた文書は、
「最大規模の津波の数値を公表した場合、社会的に大きな混乱が生ずると考えられるから、具体的な数値の公表は避けていただきたい」
「現状の津波予測には限界があり、予測には誤差がある旨強調されている。精度に限界があることを必要以上に強調しないでいただきたい」
「検討結果の公表に際しては、事前に公表内容の調整をさせていただきたい」など強い調子で要望している。
18,000人を超える死者と原発事故の大きな犠牲を払って、ようやく、1997年の七省庁手引きに想定方法に戻ったのだ。

2002年当時、福島県は東電の発電量の1/4を生み出していた。
福島の原発が止まれば経営への影響が大きい。原発の設備利用率が1%下がると利益が100億円減る。

福島第一原発の当時の想定6.1m。
東北大震災の4日前に東電と保安院は非公開の打ち合わせをしていた。
そこでは、地震本部の津波地震
1896年明治三陸沖タイプの場合 15.7m
1677年房総沖タイプの場合 13.6m

感想
事故が起きた時、想定外と言われましたが、事前に把握していました。
10~20年後に廃炉になる福島第一原発に、津波対策費100億円を投資したくないために、
学会や通産省に東電が働きかけて、対策を引き延ばししたでけのことでした。
まさに当時の東電のトップ層の責任は明確です。それを許した通産省、保安院も同罪ではないでしょうか?
一方、女川原発は東北電力は設計段階から津波の対応をしていました。設計は福島第一原発とほぼ同じ時期でした。
東北電力には貞観地震を考慮しなければならないという強い信念を持っている人がいました。
そしてそれを採用した東北電力の当時のトップ層の見識でした。
東電と東北電力、まさに人の違いでした。

共産党議員が大震災時の電源消失について質問した時、できていないので対応すると返答した当時の安倍首相も、何も対策をしなかったのです。
まさに判断ミスで日本を大災害をもたらした責任者のお一人ではないでしょうか。
人を責めることより、次に同じ問題を起こさないように反省をして問題点を次に生かすことが大切です。
どうも日本人はそれを忘れてしまうようです。

インパール作戦で5万人が病気と飢餓で兵士が亡くなりました。
ノモハン事件では5千人の兵士が無謀な計画のために亡くなりました。
反省も責任も取っていません。かつ、それについては学校で教えることをしていません。
決して風化させていはいけないと思います。

自民党と公明党は集団自衛権を強行採決しようとしています。
充分に議論されずに強行採決がされたら、決して忘れずに選挙で一票を投じなければと思います。
そうしないと国民の多数の声を無視した政治が今後も通ることになります。
ドイツのワイマール憲法をヒトラーが無視して行ったように、日本国憲法違反のことがまかり通ってしまいます。
それは法治国家ではなくなって、政権を握っている人の判断で何でもできてしまう日本になってしまいます。
戦争を決して国家間の問題解決にしてはなりませんし、それによって解決はしません。
結果は何百万人との人が亡くなります。同じ過ちを繰り返さないために一人ひとりが自分のできることをすることではないでしょうか。


阿川佐和子さん 「サワコの朝 小宮悦子さん」 ”声の高さを変える”

2017-03-18 10:14:14 | 生き方/考え方
フリーキャスター。かっての夜のライバル(ニュースキャスター同士)が対談を。
どんな話になるか、怖いところもある。私生活は聞かれたくない。

昔、芸能レポーターをやっていたこともある。
声は変らないですね?
1958年生まれ。1981年テレビ朝日入社。ニュースステーションの副キャスター。
スーパーJチャンネルのキャスター担当。
ニュースに恋した小宮さんがサワコさんに語る。

2010年に夜のニュース番組を離れて7年。テレビ朝日にアナウンサーとしてテレビ朝日に入った。マスコミの試験を受けていると受験仲間ができた。その仲間からテレビ朝日の試験を聞いた。たまたま日程が空いていたので受けたら受かった。コピーライターをやりたかった。
都立大に通って、授業料を自分で払っていた。フランスパン1本で一週間過ごしたこともあった。家がまずかったので大学に行けるような余裕がなかった。しかし、何のとりえもなかった。やっぱり自力で大学に行こうと思った。月給12万円時代に月10万円をアルバイトで稼いでいた。化粧品販売ではトップセーラー。たぶらかすのが上手(笑)。家庭教師などいろいろな仕事をたくさんやった。
レポーターでの位置取りが上手かった。取材現場は面白かった。
ワイドショーをやっていて、ロス疑惑が華やかな時、全てのカメラマンがスタンバイしていた。ど真ん中へ行った。たまたま空いていた。仕事に恋をしていたのかも。

1曲目。高校時代に聞いた荒井由実さんの「卒業写真」
ボーカルでバンドを組んでいた。女性一人。初恋はその頃。
幼馴染の人。中学まで一緒。りょうちゃんとの思い出とぴったしな柳の風景から見ていた。
一気に戻りますね。りょうちゃんはそのまま九州に引っ越した。初恋談義の時、番組で来てくれた。一回だけりょうちゃんにラブレターを出した。それを持ってくれていた。結婚して分かれていた時期だった。久米宏さんに「男性の好みが良い」と褒められた。褒められたのは後にも先にもその一回だけ。久米さんから声を下げよ。笑うなとも言われた。

5年目にニュースステーションが始まった。それまでニュースは読んだことはなかった。27歳の若手が抜擢。これははったりで行こうと、少し前のめりで。久米さんからも注意を受けた。禅問答みたいな言葉。「君ニュース読んで読まないでくれる」「パンダを見て可愛いと言うな。違う言葉で」。無駄な言葉が多すぎる。ふいに「えっちゃんどう思う?」とふってくる。どうこたえようかと迷っているうちにCMになったこともあった。
きれいなおみ足を斜めにされたのは?そういうテーブルだった。足が見られない時は少し踏ん張っていた。こんな感じ? そんなに広げていないです。

時代を担った女子アナで局アナは小宮さんだけだった。アナウンサー以上のものを求められた。小宮悦子になれと言われた。テレビ朝日と違うことを言っても良いと言われた。自分でどう思うかを。
櫻井よしこさんみたいにゆっくり話す人はいなかった。小池百合子さんとは顔が似ていると言われた。そうすると都知事に? 影武者ならできるかも。笑

「夜」と「夕方」の違いは? 夕方は忙しい。低くしていた声を少し高くした。低くしていると声が届かないので、声のトーンを変えた。パンダは可愛いと言えるようになった。
ナレーションやNPOとか、今は居場所が5つくらいある。人生を編んでいるような気持で仕事をしている。テレビのドラマをチェックするのが好き。今夢中なのは「カルテット」。「レモンありますね」注)の言葉。ドラマを見ないと意味が分からないが。
テレビは全てはニュースだと思っている。ドラマもその時代を映している。

2曲目。最近ゴスペルを始めた。ゴスペルは地声で歌う。地声はファルセットなので。自分の声と初めて使う。「joyful,joyful」(地声で紹介)
これを歌っている。クリスチャンでもないのに、神様への愛の歌(ゴスペル)。神様愛しているとの歌。もう一度ニュースへの復活はどうですか?ジョイフルジョイフル、小宮悦子です!
バカにしているでしょう? いえ、結婚2回もされているので尊敬しています。笑

注)
「レモンありますね」
http://www.kazu-log.com/entry/2017/01/18/quartetto-01
別府とすずめは唐揚げにレモンをぶちまけています。すると家森に「どうして唐揚げにレモンを掛けたの?」と激怒。
「唐揚げにはレモンするよって人と、しないって人がいるでしょ?」
「掛けた方が美味しいよ。」
「カリカリ度減るよ。」
「掛けた方が健康だよ。」
「唐揚げ食べるってことで健康はワキに置いてるでしょ。」
「レモンくらどうだっていいでしょ。」
巻は小声で何かを言います。
「え?巻さん、なんて?」
「レモンくらいってことはないと思います。どうして掛ける前に言わなかったですか?」
家森は「そう、それ!」と机を叩きます。
「レモンするってことは不可逆なんだよ。二度と元には戻れない。」
「…すみません。レモン掛けましかって聞けばよかったんだね..。違うんですか?」
「レモンするかどうかを聞くってことは二つの流派があって、君たちレモン掛ける時になんて聞く?」
「レモン掛けますか?」
「…。」
「そうなるでしょ、レモン掛けますか。はい。全然大丈夫じゃないのに。これ脅迫ですよ。」
「どう言えばいいんですか?」
巻「レモンありますね。」
家森「レモンありますよ。こう言うんだ。」
すずめ「ちょっと意味がわかんないだけど…(笑)」

感想
TPOによって、声の高さを変えることが必要なのだと知りました。
今は5つの居場所があるとのこと、それまではニュースキャスターとしてそれ1本だけの生活だったのが、今は様々な場所があるとのことでした。

居場所があるということはありがたいことだと思います。
アドラー心理学(個人心理学)は居場所があると人は心強く感じ、活動できると説明しています。
下記は個人心理学に関する本の紹介HP;
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/kojin.html