幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「生きるための選択」パク・ヨン三著 ”餓死を待つか、生きる道を探るか”

2017-03-17 08:42:58 | 本の紹介
北朝鮮からの脱北の記録です。北朝鮮の中国との国境沿いの村に両親と姉との4人暮らしでした。生活は苦しく、ソ連がロシアになり、それまで支援されていた肥料が入らなくなり、農産物の収穫量が減りました。また、食糧支援も来なくなり、それまで何とかぎりぎり生活できていたのができなくなりました。役員は汚職が当たり前になり、赤十字などの支援は軍を優先し、軍も自分たちの生活に流用した。著者の両親も仕事では食べていけなくなり、金属の流用(北朝鮮から中国へ)に手を染めた。見つかると重犯罪に該当する。しかし、著者が10歳の頃、父が逮捕された。それからさらに厳しい生活になり、野草や虫までも食べて上をしのいだ。しかし、北朝鮮にいたのでは死を待つだけとのことで、冬の鴨緑江の氷の上を渡った。渡行する場所の兵隊を買収しているので、買収した兵隊以外の兵隊に見つかると逮捕される。

姉が先に脱北した。それもあり、母と著者が脱北したが、そこは、人身売買だった。著者はまだ13歳だった。脱北を手配した者が、脱北した女性をレイプするのが当たり前の世界でした。
手配者は著者をセックスしたかったが、母が必死に頼み、母が代わりにレイプされた。女性は花嫁として売られていった。中国は一人っ子政策で、男の子が多く、花嫁不足になっていた。女の子が生まれても殺されることが起きていた。男は農村に労働者として売られていった。もし逃げ出したりすると、手配者は買った相手に購入代金を返さないといけないので、直ぐに見つけられるようにもしていた。

脱北しても生活することは厳しい環境だった。青島の教会がモンゴル経由で韓国に行くルートを支援していることを知り、それにかけることにした。ただ、モンゴルは中国、北朝鮮との関係もあり、国としては支援していることになっているが実際は見つけて中国に送り返すこともあった。中国に送り返されると、北朝鮮に送られ、刑務所か死が待っているだけだった。

著者はラッキーも重なり、母親と二人韓国に行くことあでき、支援により教育を受け直すことができた。北朝鮮ではほとんど教育を受けていなかったために14歳だったが8歳レベルの知識しかなかった。著者は必死に学び、高卒の資格を取り、そして大学に入ることができた。

ある時、脱北者の証言番組があり、それに出ると姉が見つかるかもしれないとのことで出た。しかし、姉の消息は不明なままだった。その後に米国でボランティアをするとの企画に参加することなどして英語力を磨いた。

姉は南ルートで脱出して韓国に辿りついていた。父は脱北したが、その時すでに癌に犯されていて治療を受けることもなく亡くなった。

インターナショナルスクールでの脱北の話をしたことにより、多くのインタビューや出演依頼が来ることになった。それにより、北朝鮮の状況や脱北者の中国での生活、韓国での生活を多くの人が知ることになった。

感想
国民には北朝鮮以外の世界を知らせていないので、自分たちの国が良いと思っているようです。
ただ、食べるものがないために飢餓で死ぬよりは、脱北朝鮮のリスクよりましだとの判断のようです。

中国に脱出したら、助かるのかと思っていましたが、また違った過酷な世界が待っているようです。

このように辛い自分の体験を話すことが北朝鮮に残した親族のためにもなること。
かつ、世界の支援を高めることになるのでしょう。
先ずは、知ることだと思いました。