歌手。好きな港町はしいて言えば神戸。カラオケは行かない。音楽は仕事を離れるとやらない。ずーと逢いたかった、どんな人だろうかと。
心配性とか。毎回不安。歌の時は不安。コミカルは不安でない。20歳でクールファイブに加入。デビュー曲「長崎は今日も雨だった」が大ヒット。独特のビブラートで多くの人を魅了。これまで語ってこなかった人生の秘密にサワコさんが迫る。
長崎の佐世保出身。外人が多かった。ジュークボックスがあり、前を通るだけで曲が流れてきた。1曲目「朝日のあたる家」。当時は英語の訳はわからなかったので、今日本語のテロップを見てこんな意味だったかと。
高校を中退した。勉強は苦手。このままだと卒業もできないと思った。友だちがギターをしていて自分もやろうと。でもギターは痛い。皆ベンチャーズにあこがれていて、ギターをやっていた。「あれ?歌う人がいない」と思って、歌うことにした。歌謡曲はやるつもりはなかった。キャバレーやクラブから、「落ち着いた曲をやって欲しい」と言われて歌謡曲を始めた。食べるために歌謡曲を選択した。
クールファイブは、人気なグループだった。憧れのグループだった。そのグループから誘われた。歌でレッスン受けたことはなかった。ムード歌謡、「知りすぎたのね」の歌い方は止めようと思った。同じものをやってもだめだ。
東京でデビュー。最初の曲は「長崎は雨だった」の作詞は有名な佐伯先生。「今日は夜霧の歌によく似ていた。佐伯先生に「よく作っていただけましたね?」と言ったら、「仕方なかったんだよ」。大きな事務所だったからできたことだったかと。
直立不動を守っている。初めから歌っていた。クールファイブも動かずに歌っていた。スタンドマイクが下から出てきたときは、はいつくばって歌った。次から次とヒットした。
5曲目「噂の女」でビブラートを。それまではうなっていなかった。ゆっくりなビブラート。猪俣公章さんからいつまでたってもOKがでない。だったら先生、歌ってください。森進一さんのような歌い方だった。「あれ森進一さん?」。「そうなんだ。森進一さんのための曲だった」と。森進一さんに会って、その話をした。森進一さんが歌ったら、上手かった。やはり森進一さんの歌だった。
藤圭子さんとは一年間だけの結婚だった。隠れて逢うのが面倒くさかった。籍だけ入れた。しかし、事務所などのこともあり、派手な結婚式になった。お互い知らない世界に入ってしまった。結婚というものの自分の想像と彼女の想像が違った。今でも結婚できるのではないかと思っている。そんな気持ちでいる。離婚後に出会った時に彼女から「今度ニューヨークに行く」と言われた。作られたイメージから離れようとしたのかなと思う。その後、彼女から「自分の子どもは天才だ」と連絡が来た。それを忘れていた。娘さんの声がお母さんにそっくり。血というか、嬉しいというか、いろいろなストーリーがあって、宇多田ヒカルさんが生まれたと思う。自分のコンサートで藤圭子さんの歌を亡くなられてから歌うようにしている。コンサートは1回/年。忘れ去られないように。
2曲目「恋するフォーチュンクッキー」。雑誌などの対談で会う。この歌が60年代の佐世保を思い出させる曲。昔のお年寄り、年寄ると鼻水がでる。笑うと涙がでる。今年の暮れもクールファイブで活動する予定。
新曲「倖せの約束-男のありがとう」2016年11月発売
心配性とか。毎回不安。歌の時は不安。コミカルは不安でない。20歳でクールファイブに加入。デビュー曲「長崎は今日も雨だった」が大ヒット。独特のビブラートで多くの人を魅了。これまで語ってこなかった人生の秘密にサワコさんが迫る。
長崎の佐世保出身。外人が多かった。ジュークボックスがあり、前を通るだけで曲が流れてきた。1曲目「朝日のあたる家」。当時は英語の訳はわからなかったので、今日本語のテロップを見てこんな意味だったかと。
高校を中退した。勉強は苦手。このままだと卒業もできないと思った。友だちがギターをしていて自分もやろうと。でもギターは痛い。皆ベンチャーズにあこがれていて、ギターをやっていた。「あれ?歌う人がいない」と思って、歌うことにした。歌謡曲はやるつもりはなかった。キャバレーやクラブから、「落ち着いた曲をやって欲しい」と言われて歌謡曲を始めた。食べるために歌謡曲を選択した。
クールファイブは、人気なグループだった。憧れのグループだった。そのグループから誘われた。歌でレッスン受けたことはなかった。ムード歌謡、「知りすぎたのね」の歌い方は止めようと思った。同じものをやってもだめだ。
東京でデビュー。最初の曲は「長崎は雨だった」の作詞は有名な佐伯先生。「今日は夜霧の歌によく似ていた。佐伯先生に「よく作っていただけましたね?」と言ったら、「仕方なかったんだよ」。大きな事務所だったからできたことだったかと。
直立不動を守っている。初めから歌っていた。クールファイブも動かずに歌っていた。スタンドマイクが下から出てきたときは、はいつくばって歌った。次から次とヒットした。
5曲目「噂の女」でビブラートを。それまではうなっていなかった。ゆっくりなビブラート。猪俣公章さんからいつまでたってもOKがでない。だったら先生、歌ってください。森進一さんのような歌い方だった。「あれ森進一さん?」。「そうなんだ。森進一さんのための曲だった」と。森進一さんに会って、その話をした。森進一さんが歌ったら、上手かった。やはり森進一さんの歌だった。
藤圭子さんとは一年間だけの結婚だった。隠れて逢うのが面倒くさかった。籍だけ入れた。しかし、事務所などのこともあり、派手な結婚式になった。お互い知らない世界に入ってしまった。結婚というものの自分の想像と彼女の想像が違った。今でも結婚できるのではないかと思っている。そんな気持ちでいる。離婚後に出会った時に彼女から「今度ニューヨークに行く」と言われた。作られたイメージから離れようとしたのかなと思う。その後、彼女から「自分の子どもは天才だ」と連絡が来た。それを忘れていた。娘さんの声がお母さんにそっくり。血というか、嬉しいというか、いろいろなストーリーがあって、宇多田ヒカルさんが生まれたと思う。自分のコンサートで藤圭子さんの歌を亡くなられてから歌うようにしている。コンサートは1回/年。忘れ去られないように。
2曲目「恋するフォーチュンクッキー」。雑誌などの対談で会う。この歌が60年代の佐世保を思い出させる曲。昔のお年寄り、年寄ると鼻水がでる。笑うと涙がでる。今年の暮れもクールファイブで活動する予定。
新曲「倖せの約束-男のありがとう」2016年11月発売