ラジオのカリスマ。ラジオで長くパーソナリティ。
息子は4歳。ナレーターとして活躍。ラジオは34歳から。
1990年から8年間パーソナリティ。そして30年活躍。
エンタの神様のナレーター。
53歳で出産。8年間不妊治療。
仕事と出産の苦労を語る。
坂上さんがパーソナリティしているFM東京の番組に昔呼んでもらった(サワコさん)。顔出ししていなかったので、声を皆さん覚えていてくださった。
1曲目ブルーハイツ「TRAIN-TRAIN」
30歳の時、ヨーロッパを当てもなく旅行。友達がくれたカセットテープから聞こえてくれるこの曲を聴きながら。
新潟の放送局のアナウンサーで入った。大阪出身。全国のアナウンサーを受けたが落ちた。新潟が少し後から採用になり、新潟の放送局で3年働いた。その後、新潟を辞めてニュースキャスター4年して、もうすぐ30歳の時にいろいろ考えて一人旅に出た。当時、ベルリンの壁崩壊だったのでヨーロッパを旅行しようと思った。予定もなく旅行した。その時、何もしてなくても私生きていけるかもと思って、旅行後、東京に出た。
FM東京で番組を持つようになった。東京にいた先輩にも何かあったらお願いしますと頼んでいた。たくさん受けまくった。それでFM東京で採用になり、“坂上みきのパーソナリティ”としてスタートした。構成作家の方が書いているのを、自分でどういうかを考えて話した。一人語りは難しい。目から鱗の体験をした。リスナーには見えていないと思って丁寧に説明していた。佐藤雅彦さんがゲストに来られた。「私が紙をクシャクシャとしたら。そして『何をしているのですか?』と言ってください。リスナーに映像を描かせるのですよ。リスナーがそれぞれイメージする」と言われた。それからいい加減。すごく楽になった。
のべ1万人にインタビューしてきた。その時にどのようなことに注意をされますか?(サワコさん) 原田義雄さんがゲストに来られた。寡黙な人。なかなか話をされない。普通の質問はよくないと思い、それで「カラオケ行かれますか?」と尋ねた。そしたら黙ってしまわれた。しまったと思ったがまた質問するのはよくないと思い待っていた。そうしたら「赤いスイトピー」と一言。待つことが大切だと思った。城達也さんはいつもぴしっとしたスーツ着て、ラジオでも正装だった。スタジオを暗くして”ジェットストリート“と。あの言葉はそういうことをして出された言葉。それから私もきちんと着て、お正月は着物着ていた。
47歳の時、12歳年下のニュージランドの人と結婚した。出会ったのはもっと前。個人家庭教師で家に来てもらっていた。この人ならいいなと思った。なかなか子供ができなかった。医者に行ったが。医者からは「この歳からだとな」と言われた。一度妊娠したけどすぐダメになった。やったと思ったけどすぐがっかりした。二人目の時は不安になっても大丈夫、大丈夫と言い聞かせた。10年間の不妊治療だった。救ってくれた夫の言葉。「夫はニュージランド、12歳年下。もう普通じゃないからもう一つ増えても良いんでは」。
公になったら、友達からお祝いの電話や取材。9割方はお祝い。中にはそうでない人がいた。すれ違いの人が「産んでから大変だ」と言われた。今子育て中でその通り。高齢出産の周りの反応があった。
子どもを叱らないでおこうと思っても、言うことを聞かない。叱って、ごめんと思って子どもをハグしている毎日。目標は100歳まで生きよう。子どもが生まれた時、長生きしようと思った。
2曲目は「Quand,Quand,Quand」
新橋の横断歩道で、この曲がなんとなく流れていた。この曲が流れるとマンハッタンかと思うような景色に見えてきた。いい曲。心が穏やかになる。
子育てしていると髪を乱している。この曲を聴くと、「私はいい女、いい母親」と思わせてくれる。
感想;
53歳で出産。子どものために長生きしようと。
人生、目的をもって生きると、輝いているようです。
仕事でも何か目的を見出して、それがあると人生が変わるようです。
ロゴセラピーでは、意味を見つけるのではなく、人生の方から問いかけてくると考えます。
その人生からの問いかけの中に意味を見出し、その問いかけにYesと答えて生きると考えます。
その人生からの問いかけは一人ひとり違います。
坂上みきさんの生き方もまさに人生からの問いかけにご自分の意味を見出そうとそれて来られたように思いました。
息子は4歳。ナレーターとして活躍。ラジオは34歳から。
1990年から8年間パーソナリティ。そして30年活躍。
エンタの神様のナレーター。
53歳で出産。8年間不妊治療。
仕事と出産の苦労を語る。
坂上さんがパーソナリティしているFM東京の番組に昔呼んでもらった(サワコさん)。顔出ししていなかったので、声を皆さん覚えていてくださった。
1曲目ブルーハイツ「TRAIN-TRAIN」
30歳の時、ヨーロッパを当てもなく旅行。友達がくれたカセットテープから聞こえてくれるこの曲を聴きながら。
新潟の放送局のアナウンサーで入った。大阪出身。全国のアナウンサーを受けたが落ちた。新潟が少し後から採用になり、新潟の放送局で3年働いた。その後、新潟を辞めてニュースキャスター4年して、もうすぐ30歳の時にいろいろ考えて一人旅に出た。当時、ベルリンの壁崩壊だったのでヨーロッパを旅行しようと思った。予定もなく旅行した。その時、何もしてなくても私生きていけるかもと思って、旅行後、東京に出た。
FM東京で番組を持つようになった。東京にいた先輩にも何かあったらお願いしますと頼んでいた。たくさん受けまくった。それでFM東京で採用になり、“坂上みきのパーソナリティ”としてスタートした。構成作家の方が書いているのを、自分でどういうかを考えて話した。一人語りは難しい。目から鱗の体験をした。リスナーには見えていないと思って丁寧に説明していた。佐藤雅彦さんがゲストに来られた。「私が紙をクシャクシャとしたら。そして『何をしているのですか?』と言ってください。リスナーに映像を描かせるのですよ。リスナーがそれぞれイメージする」と言われた。それからいい加減。すごく楽になった。
のべ1万人にインタビューしてきた。その時にどのようなことに注意をされますか?(サワコさん) 原田義雄さんがゲストに来られた。寡黙な人。なかなか話をされない。普通の質問はよくないと思い、それで「カラオケ行かれますか?」と尋ねた。そしたら黙ってしまわれた。しまったと思ったがまた質問するのはよくないと思い待っていた。そうしたら「赤いスイトピー」と一言。待つことが大切だと思った。城達也さんはいつもぴしっとしたスーツ着て、ラジオでも正装だった。スタジオを暗くして”ジェットストリート“と。あの言葉はそういうことをして出された言葉。それから私もきちんと着て、お正月は着物着ていた。
47歳の時、12歳年下のニュージランドの人と結婚した。出会ったのはもっと前。個人家庭教師で家に来てもらっていた。この人ならいいなと思った。なかなか子供ができなかった。医者に行ったが。医者からは「この歳からだとな」と言われた。一度妊娠したけどすぐダメになった。やったと思ったけどすぐがっかりした。二人目の時は不安になっても大丈夫、大丈夫と言い聞かせた。10年間の不妊治療だった。救ってくれた夫の言葉。「夫はニュージランド、12歳年下。もう普通じゃないからもう一つ増えても良いんでは」。
公になったら、友達からお祝いの電話や取材。9割方はお祝い。中にはそうでない人がいた。すれ違いの人が「産んでから大変だ」と言われた。今子育て中でその通り。高齢出産の周りの反応があった。
子どもを叱らないでおこうと思っても、言うことを聞かない。叱って、ごめんと思って子どもをハグしている毎日。目標は100歳まで生きよう。子どもが生まれた時、長生きしようと思った。
2曲目は「Quand,Quand,Quand」
新橋の横断歩道で、この曲がなんとなく流れていた。この曲が流れるとマンハッタンかと思うような景色に見えてきた。いい曲。心が穏やかになる。
子育てしていると髪を乱している。この曲を聴くと、「私はいい女、いい母親」と思わせてくれる。
感想;
53歳で出産。子どものために長生きしようと。
人生、目的をもって生きると、輝いているようです。
仕事でも何か目的を見出して、それがあると人生が変わるようです。
ロゴセラピーでは、意味を見つけるのではなく、人生の方から問いかけてくると考えます。
その人生からの問いかけの中に意味を見出し、その問いかけにYesと答えて生きると考えます。
その人生からの問いかけは一人ひとり違います。
坂上みきさんの生き方もまさに人生からの問いかけにご自分の意味を見出そうとそれて来られたように思いました。