幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「マーティン・ルーサー・キング 非暴力の闘士」黒﨑真著 ”夢の実現に命をかけて取り組む!”

2018-08-15 15:36:15 | 本の紹介
・われわれは愛という武器で闘う。

・キングは生まれながらにして非暴力の人ではなかった。もしキングが非暴力の人であったとするならば、それは、彼が人生の途上で非暴力の意味と意義を深く学び、それを自分の生き方にまで高めるべく努力しつづけたからに他ならない。

・マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、1929年1月15日の正午頃、ジョージア州の州都アトランタの「スィート・オーバン」の名で知られる黒人コミュニティに生まれた。キングはこの土地で、人生最初の19年間を過ごした。家庭環境、黒人教会、黒人コミュニティは、アメリカ南部の人種関係に強く影響されながら、彼の人格形成に決定的な影響を与えることになる。

・キングは、三世代にわたる牧師の家系に生まれた。

・南部の黒人教会は、そのルーツを奴隷制下の「見えざる教会」と呼ばれる秘密の礼拝集会にさかのぼる。説教では旧約聖書の「出エジプト物語」がよく引用された。自分たちの苦難と未来を「出エジプト物語」に重ねることで、黒人奴隷はいずれ到来するはずの解放と自由を疑似体験し、過酷な奴隷制を生き抜く霊的活力としたのである。

・自分が愛の神を容易に想像できるのは、「愛が常に中心にあり、愛情あふれる人間関係がいつも存在した家庭で育ったためである」と語っている。

・姉と一緒に五歳で洗礼を受けた。教会には友達もたくさんいて、日曜学校で一緒に遊んだ。会衆と共に歌い、祈り、説教を聴くことを繰り返すうち、黒人コミュニティの痛みや喜びは、キング自身のものとなっていった。

・1947年夏、4年生になるとき、キングは「社会に奉仕せよと促す内的衝動」を抑えきれなくなり、牧師職を決意したと両親に告げる。

・ボストン大学時代のいま一つ重要な出来事は、コレッタ・スコットとの結婚である。

・いずれ奴隷制を根絶するものと信じていた。問題は、その解放は「いつ」、そして「どのように」もたらされるのかであった。第一は、神の介入を待つという態度である。第二は、神の意志(福音)を積極的に伝えるため、公然たる行動に出るという態度である。

・「マーティン・ルーサーよ、大義のために立て、正義のために立て、見よ、私はお前と共にいる。世の終わりまで共にいる」。私は闘い抜けと呼びかけているイエスの御声をも聞いた。彼は私を決して一人にはしないと約束してくださった。

・抗議者が暴力に訴えたらどうなるか。敵に諸集団は自分たちを守るため一層強固に結束する可能性が高まる。対話の可能性も閉ざされる。敵の暴力は道徳的正当性を得やすくなり、第三者の支持を勝ち得るのも難しくなる。さらに、もし暴力に訴える場合、参加者は武器を扱える若い男性が中心となる。相手を殺傷する覚悟がいるtがめ、目的と手段をめぐり道徳的葛藤が生じやすく、参加者は限定される。ゆえに、大衆運動として成立しにくい。

・非暴力は大衆が参加できる。目的と手段をめぐる道徳的葛藤はより少ないからである。

・14歳の黒人少年エメット・ティルが惨殺体となってタラハシ川に捨てられているのを発見された。犯人の食品雑貨店の店主と義理の兄は、殺害動機をこう話した。黒人のガキが妻に、「バイ、ベイビー」と生意気な口をきいたうえ、「白人のガールフレンドがいる」と言ったからだ、と。白人女性と黒人男性の性的接触という「最大のタブー」を想起させる者は、たとえ少年であっても死に値するのである。ティル殺害は一般の白人による犯行であったこと、全員白人からなる陪審員が即座に犯人を無罪にしたことは、このようなリンチがKKK特有の暴力ではなく、また個人的な暴力でもなく、白人共同体による暴力であったことを物語っている。黒人に対する際限のない暴力を、南部の白人全体が容認していたのである。

・ジェームズ・ローソンのワークショップ
1)参加者が自尊心を獲得し、不正に抵抗しなければならないことを確信する段階である。
2)不正を正し和解を勝ち取る方法として非暴力の有効性を認識する。
3)実践する。

・キングが非暴力の6原理
1)非暴力は勇気ある人の生き方である。
2)非暴力は友情と理解を勝ち取ろうとする。
3)非暴力は人ではなく不正を打ち倒そうとする。
4)非暴力は自ら招かざる苦しみが教育し変容させると考える。
5)非暴力は憎悪の代わりに愛を選ぶ。
6)非暴力は宇宙が正義の側に味方すると信じる。

・フリーダム・ライド(黒人が制限されているバスの席に自由のための乗車運動)とシット・イン運動(店内の「白人専用」ランチカウンターに座ってコーヒーを注文する。当然ながら、注文のコーヒーは出てこない。支配人が無視し続けるなか閉店まで座り続ける)

・人種差別は社会問題であり、福音とは関係ないと沈黙し、結局のところ現状維持に加担してきた白人牧師と白人教会に対する嘆きを、キングはこう書く。
 「私は教会をキリストの体だと思っています。しかし、ああ、私たちは社会的問題の無視によって、また非順応者になることの恐れから、とんなにその体を汚し、傷つけてきたことでしょう」。しかし、この手紙が単なる糾弾と失望に終わらないよう、一部の例外的な南部白人の勇敢な行動も賞賛し、またアメリカの建国理念が自由である限り黒人の自由運動を押しとどめることはできない点を強調しつつ、失望を希望に結び付けて筆をおく。

・仕事と自由のためのワシントン行進
「今こそ自由を」「平等の権利を」「投票権を」「仕事を」「統合教育を」「警官の暴力停止を」「まともな住宅を」とプラカードに書かれていた。

・「私には夢がある」(1963年)マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2368/
私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
今日、私には夢がある。
私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。
今日、私には夢がある。
私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。
これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができ るだろう。この信念があれば、われわれは、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるだろう。この信念があれば、われわれ は、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう。
まさにその日にこそ、すべての神の子たちが、新しい意味を込めて、こう歌うことができるだろう。「わが国、それはそなたのもの。うるわしき自由の地 よ。そなたのために、私は歌う。わが父祖たちの逝きし大地よ。巡礼者の誇れる大地よ。あらゆる山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。」
そして、米国が偉大な国家たらんとするならば、この歌が現実とならなければならない。だからこそ、ニューハンプシャーの美しい丘の上から自由の鐘を 鳴り響かせよう。ニューヨークの雄大な山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。ペンシルベニアのアレゲーニー山脈の高みから、自由の鐘を鳴り響かせよう。
コロラドの雪に覆われたロッキー山脈から、自由の鐘を鳴り響かせよう。カリフォルニアのなだらかで美しい山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。
だが、それだけではない。ジョージアのストーン・マウンテンからも、自由の鐘を鳴り響かせよう。
テネシーのルックアウト・マウンテンからも、自由の鐘を鳴り響かせよう。
ミシシッピのあらゆる丘と塚から、自由の鐘を鳴り響かせよう。そしてあらゆる山々から自由の鐘を鳴り響かせよう。
自由の鐘を鳴り響かせよう。これが実現する時、そして自由の鐘を鳴り響かせる時、すべての村やすべての集落、あらゆる州とあらゆる町から自由の鐘を 鳴り響かせる時、われわれは神の子すべてが、黒人も白人も、ユダヤ教徒もユダヤ教徒以外も、プロテスタントもカトリック教徒も、共に手をとり合って、なつ かしい黒人霊歌を歌うことのできる日の到来を早めることができるだろう。「ついに自由になった!ついに自由になった!全能の神に感謝する。われわれはつい に自由になったのだ!」

・国家権力による暴力、すなわちFBIによる脅迫である。FBIがキングの監視をを始めたのは1956年、本格化するのは1962年からである。

・キングを暗殺したレイ(強盗常習犯)は「自分ははめられた」と訴えた。犯行は金目当てであったという、それは金を出す者の存在を示唆するが、調査委員会は、「共謀者はレイの兄弟や報奨金を触れ回る集団に限られ、市州、連邦にまで至る政府機関はキング暗殺とは無関係」と結論づけた。

・キングは財産をほとんど遺さなかった。1965年まで老朽化した借家に住んだ。

・キングの死は、メンフィスの清掃労働者のストライキを後押しした。市内の白人牧師たちが沈黙を破って運動に加わり、市当局は清掃労働者の労働組合と最低賃金の引き上げを認めた。

・ジョンソン大統領は上院の公正住宅法案を下院が迅速に可決するよう要請し、1968年公民権法がジョンソン大統領の署名により成立した。

:「自由への大いなる歩み」「黒人はなぜ待てないか」「汝の敵を愛せよ」「良心のトランペット」キング著

感想
自由の権利、公平な社会を得るために、キング牧師を初め、多くの人の命をかけた努力があったことがわかりました。

キング牧師を殺害した黒幕は捕まっていません。

人々が知識を持ち、行動することが公正な社会を築くのでしょう。
それにしても、”詩織さんを準強かん”した山口氏が何も罪に問われない社会を認めてしまうのはとても怖い社会のように思います。