・修(身を修める)養(心を養う)
修身養心=身と心の健全な発達を図る
・修養の目的
いかに誹謗を受けても、自ら省みて潔しとし、自ら楽しみ、いかに逆境に陥っても、その中に幸福を感じ、感謝の念をもって世を渡ろうとする。
・年月を重ねただけでは人は老いない。未知への探求心、将来の希望を失ったときはじめて老いる。
・過去になした仕事を数えれば数えるほど、年を取るのである。青年はこれからの理想に富んでいる者でなければならない。
・人生は「織物」のようなもの。こんな人生にしたいという「志(縦糸)」と「実行(横糸)」があってはじめて“立派な織物”ができる。
・人は「己に克つ」ことで成功し、「自らを愛する」ことで破れる。
・人はややもすれば影を追い、影に克とうとして、その実体を省みないことがある。濁水を見ると、泥だけを捨てようと努めずに、水までこぼしてしまう。
・人からよく思われたいとか、自分の値打ち以上に高く評価されたいとかいう考えがあるからこそ怖じ気づく。自分の値打ちを真価だけしか表に出さないとしたら、少しも怖じ気づくことはない。
・「思い立ったことから着手す」のが克己の近道
・「心配」ではなく「心がけ」を蓄えよ。日頃の心がけさえあれば、大事に際しても泰然自若としていられる。
・小事を積んではじめて大事を行う力ができるのである。
・孔子「70にして心の欲するところに従えども矩(のり)を踰(こ)えず」
心の欲するように生きるが、それは分別をわきまえる範囲とのこと。
・前に進むことだけが「勇気」ではない。時にはじっと耐えることもまた「勇気」。「進む勇気」と「退く勇気」が揃ってこそ、真の勇気が得られる。
・最悪の事態に備えて「心配の免疫」とつくっておく。
・歩いていればホコリをかぶるし、雨にも降られる。他人から「悪口」を言われてもそれと同じことで、意に介する必要はない。
・白隠禅師(夜船閑話)
禅師の檀家の娘が、夫なき身で妊娠した。親は責めたら娘が「禅師の胤を宿した」と。親はありがたいと。親は自慢げに世間に吹聴した。禅師をそしって生臭坊主と言う人も。禅師に尋ねると「ああ、そうかい」とただ一言。ところが数年経て、娘も自分の正しくなかったことを心に恥じ、「実は、この子はある人の胤で、禅師の子であると言えば責めも少なく、世間もさほど責めないであろうと思った」と。禅師を責めた人が禅師におわびしらた禅師は「ああ、そうかい」と答えただけであったという。
・「屈辱に耐える力」が人生の幅を広げる。
・心の平衡を失う三種
1)怒気
2)悲観
3)自暴自棄
・憎むとも 憎みかえすな 憎まれて 憎み憎まれ 果てしなければ(古歌)
・知識よりも「知力」を養い、これを心の蔵に多く蓄えることを心がけよ。そして、よりいっそう大切なのは「徳」の貯蓄である。
・こと足れば 足るに任せて こと足らず 足らでこと足る 身こそ安けれ
・苦しみはいつまでも続くものではない。少し爪先立って前方を眺めれば、一条の光明が前途に輝き、希望の光が見えるものである。
・咲かざれば 桜を人の 折らましや 桜の仇は 桜なりけり
・逆境、逆境といって、逆境にいてその逆境を利用することを考えない人が多い。
・見ればただなんの苦もなき水鳥の足に暇なきわが想いかな(隠退した水戸黄門)
・「災いの種」に自分で水と栄養を与えていないか
・苦しみはいつまでも続くものではない。だから逆境にある人はつねに「もう少しだ、もう少しだ」と思って進むがよい。いずれの日か前途に光明を望むことは疑いない。
・語るなと 人に語れば その人は また語るなと 語る世のなか
・「菜根譚」「人生の福境禍区はみな念想よりつくりなす」
・どんな小さなことでも、たとえ三日坊主でも、「自分にいいこと」をする。その積み重ねが「非凡な自分」をつくる。
・鳥羽天皇「奥山の おどろがもとを ふみわけて 道ある世そと 人に知らせん」
すなわち道というのは、おのおのの心にあるので、そのおのおのの心の到るところがすなわち道である。
感想;
新渡戸稲造は、多くの本から多くのことを学ばれたようです。
この本は新渡戸稲造が学んだ多くの本のエッセンスをまとめたもののように感じました。
自分では読み切れない本を、本を通して学べるところがありがたいことです。
https://blogs.yahoo.co.jp/seizoh529/45388367.html?__ysp=5b%2BD44KS44Gw5b%2BD44Gu5LuH44Go5b%2BD5b6X44Gm
心をば 心の仇(あだ)と 心得て 心のなきを 心とはせよ
心こそ 心迷わす 心かな 心に心 心せよ
心より 心を得んと 心得て 心に迷う 心なるかな
修身養心=身と心の健全な発達を図る
・修養の目的
いかに誹謗を受けても、自ら省みて潔しとし、自ら楽しみ、いかに逆境に陥っても、その中に幸福を感じ、感謝の念をもって世を渡ろうとする。
・年月を重ねただけでは人は老いない。未知への探求心、将来の希望を失ったときはじめて老いる。
・過去になした仕事を数えれば数えるほど、年を取るのである。青年はこれからの理想に富んでいる者でなければならない。
・人生は「織物」のようなもの。こんな人生にしたいという「志(縦糸)」と「実行(横糸)」があってはじめて“立派な織物”ができる。
・人は「己に克つ」ことで成功し、「自らを愛する」ことで破れる。
・人はややもすれば影を追い、影に克とうとして、その実体を省みないことがある。濁水を見ると、泥だけを捨てようと努めずに、水までこぼしてしまう。
・人からよく思われたいとか、自分の値打ち以上に高く評価されたいとかいう考えがあるからこそ怖じ気づく。自分の値打ちを真価だけしか表に出さないとしたら、少しも怖じ気づくことはない。
・「思い立ったことから着手す」のが克己の近道
・「心配」ではなく「心がけ」を蓄えよ。日頃の心がけさえあれば、大事に際しても泰然自若としていられる。
・小事を積んではじめて大事を行う力ができるのである。
・孔子「70にして心の欲するところに従えども矩(のり)を踰(こ)えず」
心の欲するように生きるが、それは分別をわきまえる範囲とのこと。
・前に進むことだけが「勇気」ではない。時にはじっと耐えることもまた「勇気」。「進む勇気」と「退く勇気」が揃ってこそ、真の勇気が得られる。
・最悪の事態に備えて「心配の免疫」とつくっておく。
・歩いていればホコリをかぶるし、雨にも降られる。他人から「悪口」を言われてもそれと同じことで、意に介する必要はない。
・白隠禅師(夜船閑話)
禅師の檀家の娘が、夫なき身で妊娠した。親は責めたら娘が「禅師の胤を宿した」と。親はありがたいと。親は自慢げに世間に吹聴した。禅師をそしって生臭坊主と言う人も。禅師に尋ねると「ああ、そうかい」とただ一言。ところが数年経て、娘も自分の正しくなかったことを心に恥じ、「実は、この子はある人の胤で、禅師の子であると言えば責めも少なく、世間もさほど責めないであろうと思った」と。禅師を責めた人が禅師におわびしらた禅師は「ああ、そうかい」と答えただけであったという。
・「屈辱に耐える力」が人生の幅を広げる。
・心の平衡を失う三種
1)怒気
2)悲観
3)自暴自棄
・憎むとも 憎みかえすな 憎まれて 憎み憎まれ 果てしなければ(古歌)
・知識よりも「知力」を養い、これを心の蔵に多く蓄えることを心がけよ。そして、よりいっそう大切なのは「徳」の貯蓄である。
・こと足れば 足るに任せて こと足らず 足らでこと足る 身こそ安けれ
・苦しみはいつまでも続くものではない。少し爪先立って前方を眺めれば、一条の光明が前途に輝き、希望の光が見えるものである。
・咲かざれば 桜を人の 折らましや 桜の仇は 桜なりけり
・逆境、逆境といって、逆境にいてその逆境を利用することを考えない人が多い。
・見ればただなんの苦もなき水鳥の足に暇なきわが想いかな(隠退した水戸黄門)
・「災いの種」に自分で水と栄養を与えていないか
・苦しみはいつまでも続くものではない。だから逆境にある人はつねに「もう少しだ、もう少しだ」と思って進むがよい。いずれの日か前途に光明を望むことは疑いない。
・語るなと 人に語れば その人は また語るなと 語る世のなか
・「菜根譚」「人生の福境禍区はみな念想よりつくりなす」
・どんな小さなことでも、たとえ三日坊主でも、「自分にいいこと」をする。その積み重ねが「非凡な自分」をつくる。
・鳥羽天皇「奥山の おどろがもとを ふみわけて 道ある世そと 人に知らせん」
すなわち道というのは、おのおのの心にあるので、そのおのおのの心の到るところがすなわち道である。
感想;
新渡戸稲造は、多くの本から多くのことを学ばれたようです。
この本は新渡戸稲造が学んだ多くの本のエッセンスをまとめたもののように感じました。
自分では読み切れない本を、本を通して学べるところがありがたいことです。
https://blogs.yahoo.co.jp/seizoh529/45388367.html?__ysp=5b%2BD44KS44Gw5b%2BD44Gu5LuH44Go5b%2BD5b6X44Gm
心をば 心の仇(あだ)と 心得て 心のなきを 心とはせよ
心こそ 心迷わす 心かな 心に心 心せよ
心より 心を得んと 心得て 心に迷う 心なるかな