幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

名護市辺野古で海上作業が再開 浮具のつり下げなど確認 ”沖縄県民の判断を真摯に受け止め工事再開へ?”

2018-11-01 10:16:50 | 社会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181101-00000007-ryu-oki 【琉球新報電子版】11/1(木)

 【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設計画を巡り、沖縄防衛局は1日午前、2カ月中断していた工事再開に向け、海上作業を始めた。

 午前8時53分、米軍キャンプ・シュワブの沿岸部・辺野古崎側で、重機がオレンジ色のフロート(浮具)などをつり下げる作業が確認された。
 防衛局は海上にフロートを設置などを進め、土砂投入など埋め立ての準備を進める。
 海上とシュワブのゲート前では、工事に反対する市民らが「民意を無視した工事をやめろ」と抗議した。
 8月31日に翁長雄志前県政が埋め立め承認を撤回し、新基地建設を進める法的根拠が失われた建設工事は中断していた。
 承認撤回の効力を失わせる執行停止の決定通知書が10月31日、国土交通省から沖縄防衛局に届き、工事が再開できる状況となっていた。県にも同日、執行停止の通知が届いた。

感想
安倍首相の沖縄県知事選挙結果を受けて、「真摯に対応する」と発言されました。
安倍首相の辞書の”真摯”の定義はなんなんでしょうか?
安倍一次内閣の時「美しい日本」を掲げられました。
安倍首相は日本語の”真摯”を美しない言葉にされているように思えてなりません。
安倍首相の”真摯”とは、言葉は美辞麗句を並べるが行動は言葉に関係なく、真摯に工事再開に取り組むのようです。

沖縄の基地負担の問題について今後どう減らしていくか、その中で辺野古をどうするか、その話し合いをすることが”真摯”だと思うのですが。

沖縄県民は普天間基地のリスクを抱えながらも、国が行っていることにNoと意志表示をされました。
もっと話し合って、何かお互いに譲れる道を探す、それが”真摯”だと思います。

「最後の瞽女 小林ハル 光を求めた105歳」語り/小林ハル、構成/川野楠己 ”苛酷な人生からの問いかけに応えて生きる”

2018-11-01 03:03:08 | 本の紹介
1900年~2005年。105歳没。
「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択される
「黄綬褒章」を授与
「第36回吉川英治文化賞受賞」

・ハルは五歳になって、瞽女(こぜ)の親方から瞽女唄を習い始めるまで、一歩外には出して貰えなかった。

・視覚障碍者が職業的に自立するためには、つい先年までは、鍼(はり)、あんま、マッサージの技術を身につけるか、琴、三絃の音楽の世界で生きる以外に、なんらの術がなかった。

・母は瞽女の教育を受けるまでに、たとえ盲目であろうとも女である、身の回りのことは、自分でできるように躾をして、女性として生きるうえで最小限のことは家で教えなければならないと考えた。それからというものは、母親の厳しい躾が始まった。その母もハルが10歳の時に亡くなった。

・21年間の年季修行をするため、その間の食い扶持や稽古料として、孫爺さまは、かなりのまとまった金を師匠の樋口フジに渡した。その上、ハル自身の不都合で、年季が明けないうちにやめるようなことが起きた場合は、「縁切り金」という破約金をこちらから出すことも約束させられた。

・「他の人たちは、花でも何でも見えるんんじゃ、だから、田園や畑に出て仕事もできる、けれどもお前は、目がよく見えないからそれができんのじゃ。女は娘になれば嫁に行くが、お前は目が見えんから嫁にも行かれんのだ。目が見えんものは、いつも人さまの厄介になっていかねばならんのじゃ、だからお前は、三味線を覚えて、瞽女になって村々を回って人さまのために働かなければならんのじゃ」と懇懇と諭すのだった。母の眼には涙が溢れ、声も震えていたが、ハルには、どうして母親がそんなに泣くのか、何が悲しいのか、理解するにはあまりにも幼すぎた。

・村に入ると、決められた瞽女宿にまず行って挨拶を交わし、今晩の宿をお願いする。許されると、そこに荷を降ろして、三味線だけを持って、村の家を一軒一軒訪ね、門付け(3~4分の「門付け唄」をうたう)して回る。この門付けは瞽女の一行がこの村に来たことを知らせる役割がある。

・自分たちの芸を上から下に一方的に施すのでなく、聞き手が喜んでくれるからと、苦労して峠を越え、谷を渡って来て、人前で精一杯芸を演じるのである。そこに送り手としての喜びがある。受け手も、自分たちのできる範囲内で、自然な形でその労に報いる。このことは、まさに道元禅師が説いた「正法眼蔵」の中の四摂法(ししょうぼう)に説かれている「布施・愛語・利行・同事」の心を見ことができるという。

・五軒も十軒も宿を断られ、やっとお寺のお御堂に泊まったこともあった。寺の朝食は遅いので遅れないように「朝ご飯は、食べたくありませんから」と言って、丁寧にお礼を述べて荷物を担いで玄関で迎えを待った。

・「三度のご飯をいただいて、部屋においてもろうだけでも喜ばねばなりません。他人からなんと言われようとも、盗人と言われなければ、そでいいです。本当のことは神さまや仏さまが見てよくしっていなさるんです。だから、言いたいことだっていっぱいあるけど、それを口に出したり、口を返すようなことをしたら、私も同じ罪になってしまう。私はみなさんのお陰で生きてこられたし、これからも長生きできれば、ありがたいと思っていますが、今度の世はどのようになっているかわからんけれど、次の世に来るときは、虫になってもいいから、明るい目をもらってきたいと願っています。そのために、あまり年をとってから苦しまないように
と思って、世渡りしてきましたね、神さまも仏さまも、それをきっと見ていてくださっとるでしょう」

・山の中に取り残されたハルは「そこに居ろ」と言われたので、やがてみんな戻って来てくれるであろうと疑わずにじっと立っていた。しかし、いつまで待っても誰一人帰ってこない。やがてあんなに啼いていたいた小鳥たちの声が止んで夜になってきた。ハルは、孫爺さまから心細いときは真言を唱えれば魔物は寄りつかない
と教えられていた。「ウンケンソワカ・・・」。一睡もせず身を縮めて、真言を唱えながら朝を待った。朝になり山道を二人の足音が登ってきた。ハルを見つけて驚きの声を上げた。「昨夜瞽女さんたちが村に見えて泊まっていかれたが、おめさんもその瞽女衆の仲間か、なぜこんな山の中に一人でいるのか」と聞かれても、ハルには、なぜ山の中に置き去りにされたのか、まったく見当もつかなかった。後で自分がお仕置きをされたことに気がついた。それは、師匠が教えたのではない孫爺さまが教えた「読売り」の「葛の葉」をうたったとい
うことである。師匠以外から教えられたものを演じては師匠の面目が立たない、というのである。

・「瞽女は、古く嵯峨天皇の姫君の相模宮が盲目で誕生された。これは下加茂明神が来世の盲人を不憫に思っ
て、盲者としてこの世に送られたという姫が七歳になったとき、夢の中に紀伊国那智山如意輪観音が現れて、諸芸を磨き、盲女と司と執るべし、とお告げがあった。そこで立派な弟子を養成した・・・」

・「あんた方は、唄の文句を字に書いておくすけ、瞽女唄を覚えられん。後でそれを読めばいいから雑作もないことだと思っているだろう。だから、なかなか覚えられないんだ。一度聞いたら一度で覚えろ。私どもは、これを字に書かないでおいて文句から節まで一緒に覚えたもんだ。それは容易なことではなかった。自分でも寝ても起きてもそのことだけを考えて、余計なことを思わないようにしてきたものだった。あんた方は、目が見えるすけ、なおさら覚えられないんだ。書いてあるからいいだと思って、そのときは早く済むけど、憶えていないんだ」

・瞽女の無形文化財保持者として3人目だった。
 伊平ソイ(タケ)、杉本キクイ

・つらかった寒稽古
 昼間の稽古のほかに、朝誤五時から七時までと、夜七時から十一時までの二回、家の裏手を流れる信濃川の土手に上がり、冷たい風に吹かれる中で思いきり声を出して歌う稽古をさせられた。晒の下着一枚に赤い木綿の腰巻をつけ、その上から寝るの単物を着る。そして素足にわらじ履きと姿で土手に出て、杖につかまるように雪の中に立つ。

・瞽女社会では、男の肌に触れることは、能動的であろうと受動的であろうと、絶対に許されない厳しい掟がある、これが守れないと、女性だけの集団つぉて組織を維持することは不可能になってしまう。

・「夜這い」や「いたずら」に出会ったことが何度もあるという。しかし、拒否をしてきた。

・ハルの有名な言葉に「良い人と組めば毎日が祭り、悪い人と組めば修行」

感想
盲目で生まれたために、隠すように育てられました。
5歳から瞽女の和尚さんから指導をうけるようになりました。
師匠からきつくされたので、弟子を持ったら優しくしようと思い、そうされました。

苛酷な運命、それは人生からの問いかけ、それにYESと言って生きられました。
人生の問いかけに必死に生きて来られ、多くの人に幸せな時間と生きるエネルギーを与え続けられました。
亡くなられてからも、多くの人に力を与えておられると思います。
まさに人生の意味を見いだされたようです。
神さまからの使命を果たされたのでしょう。
小林ハルさんに仏さまを見たように感じました。