メンヘラ―のアイドルとして、彼女の日記が多くの読者を惹きつけた。
3歳の時に両親が離婚
最初父親と暮らしたが、母が再婚して母にひきとられた。
しかし、義父と上手く行かず、父親と暮らすようになった。
・私がリストカットと出会ったのは、中学一年の頃
・初めて自殺未遂をしたのはこの頃、何もかもに希望が持てなくなって、どん底をさまよっていました。学校に行くのも辛い。何より自分があんなにまで嫌われるのは、すごく苦しい。このまま嫌われ続けるなら、私はいなくなっていまった方が良い。常にこんな風に考えていました。『完全自殺マニュアル』を本屋で購入したのもこの時期です。飛び込んだり、首を吊ったりするのは確実そうだけど、痛そうでイヤだ。とんだ甘えん坊です。そこで私は、眠るように死ねるのではないかと思って服薬自殺を企てました。トラベルミンシニアとボブスールという薬局で売っている精神安定剤をそれぞれ20錠と30錠、朝日が射し込む明け方にがたがたと震えながら飲み干しました。そして、眠りにつきました。起きたのはそれから一時間後、ものすごい吐き気で眠っていられませんでした。トイレで吐いて吐いて、何もかも吐き尽くしました。
・私が自分を始めてリストカッターだと認識したのは中学三年生の頃、「女の人がストレスのはけ口に手首を切るのって、リストカットって言うんだって」
・不健康なリストカット 高校一年生の頃、血管を切ったようでした。・・・ステキと思ってしまう私がソコにいました。
・入院 あまりの貧血の辛さに、そして現実から逃避したいが為に私は入院を希望するようになりました。
・「世の中には生きていたくても死んでしまう人、先天的な障害を持って苦しんでいる人達が沢山居るんだよ」という誰かから聞いた言葉を頭の中で反芻していましたが、「それがなんじゃぁぁ!」という黒い思考が、正しいかもしれない論理をかっ飛ばして、・・・
・今回は「あや」という偽名で献血です。もう一つの渋谷の献血ルームには「明子」で行きます。新天地開拓で、新宿の献血ルームに行きます。本名で。
・放課後は友人とカラオケ2時間しました。
・改めて私の持っている薬を眺めてみると、
ホリゾン5mg、PZC、ランドセン、ヒルナミン25mg、レボトミン5mg、エリミン、レキソタン5mg、ユーロジン2mg、リズミーmg、エバミール、ハルシオン0.25mg、デバス1mg、メレリル10mg、メイラックス2mg、サイレース1mg、アビリット50mg、チロシン(スマドラ)、カラン(スマドラ)、アミネプチン(スマドラ(、フェログラデュメット(鉄剤)等。
・またしてもAちゃん(彼)と遊ぶ私です。
・まず私におめでとう。ペン習字検定3級合格。
・1999年3月30日 南条あや、向精神薬による中毒で死去。享年18歳。
3月30日:
12時 : あやは親友のYさんに携帯電話で「これから死にに行く」と言った。必死で止めようとするYさんにあやは居場所さえ言わず、押し問答が30分くらい続いた。
「じゃあ、自殺に失敗したらメールするね」と最後に言い残すと電話を切った。
Yさんと婚約者と父親は懸命にあやの居場所を探したが見つからず、午後3時、国立東京医療センターに収容されたことがわかる。
通っていた女子校の近所にあるカラオケボックスに一人で入店していた。飲み物を2度頼み、粉末にした向精神薬を大量服用。3時間のうちに意識の喪失、心停止を迎えた。
司法解剖の結果判明した死因は、意外なものだった。あやの心臓は肥大しており、弁に穴が開いていた。そのため、3時間で心停止が起ったのだった。
彼女は最後まで携帯電話の電源を切っていなかった。おそらくは大量の薬を飲む最中も、目の前の携帯電話の着信音が鳴り続けていたことだろう。
死の前日に婚約者に送った詩4編
名前なんかいらない
起きなくてはいけない時間に起きて
しなくてはならない仕事をして
名前を呼ばれるなら
誰にも名前を呼ばれたくない
何もかもを放棄したい
そして私は永遠に眠るために今
沢山の薬を飲んで
サヨウナラをするのです
誰も私の名前を呼ぶことがなくなることが
私の最後の望み。
終止符
私はいつでも追いかけられている
この世の中の喧騒とか
義務なんてチンケなものじゃなくて
自分自身に
誰も助けてくれない
助けられない
私の現在は錯乱している
きっと未来も
ならば
終止符をうとう
解放という名の終止符を
頭痛
頭痛の原因は
分かりきっていることで
治そうとも思わない
この痛みは私にかせられた償いの一部
あの子を殺したから
私が殺したから
私は軽くからかっているつもりでも
あの子には自らの命を絶つほどに辛いことだったんだ
生涯私はこの頭痛と付き合ってゆく
あの子の痛みを一部
ほんの一部。
私のことを
私が消えて
私のことを思い出す人は
何人いるのだろう
数えてみた
・・・
問題は人数じゃなくて
思い出す深さ
そんなことも分からない
私は莫迦
鈍い痛みが
身体中を駆け巡る。
詳細は下記のサイトに記載されています。
南条あやの日記ブログや著書:「卒業式まで死にません」まとめ ~本名:鈴木純の父親や婚約者情報、18歳で自殺した真相も
感想;
小学6年、中学でいじめに遭っっています。
それがきっかけでリストカットを始めたようです。
高校時代は友だちとよくカラオケに行っているのが書かれています。
血を見ると落ち着くとのことで、リストカット、時に瀉血、そして献血を繰り返しておられました。
また、薬のオーバードーズ(OD)を繰り返していました。薬を集めるために先生にいろいろお願いされたりとか。
前いた会社の薬も2品ありました。その一つの服用がODでした。
1日量6~15mgを1日2~3回に分けて経口投与する 薬。
ところが一回に20mgも。そして他の薬も一緒に。
薬の影響を受けながら生活されていたようです。
「卒業式まで死にません」は彼女がよく口にしていたとのことです。
20歳になったら結婚しようと約束していた彼もいて、友だちもいて、どうして?との疑問が湧いてきます。
高校卒業後は皆が進学就職と飛び立つのに、フリーターを予定していたとのことです。
卒業後の目的があれば生きられたようにも思います。
彼との結婚は生きるための目的になっていなかったのか、それとも辛く苦しくて逃れようとされたのか。
あるいは、この程度ODでは死なないと思われたのか・・・。
こんなにたくさんの薬を飲まれていて、医者の指導はなかったのかと思ってしまいました。
彼女の日記が多くの人を惹きつけたこと、それだけ苦しんでいる人が多いのでしょう。
3歳の時に両親が離婚
最初父親と暮らしたが、母が再婚して母にひきとられた。
しかし、義父と上手く行かず、父親と暮らすようになった。
・私がリストカットと出会ったのは、中学一年の頃
・初めて自殺未遂をしたのはこの頃、何もかもに希望が持てなくなって、どん底をさまよっていました。学校に行くのも辛い。何より自分があんなにまで嫌われるのは、すごく苦しい。このまま嫌われ続けるなら、私はいなくなっていまった方が良い。常にこんな風に考えていました。『完全自殺マニュアル』を本屋で購入したのもこの時期です。飛び込んだり、首を吊ったりするのは確実そうだけど、痛そうでイヤだ。とんだ甘えん坊です。そこで私は、眠るように死ねるのではないかと思って服薬自殺を企てました。トラベルミンシニアとボブスールという薬局で売っている精神安定剤をそれぞれ20錠と30錠、朝日が射し込む明け方にがたがたと震えながら飲み干しました。そして、眠りにつきました。起きたのはそれから一時間後、ものすごい吐き気で眠っていられませんでした。トイレで吐いて吐いて、何もかも吐き尽くしました。
・私が自分を始めてリストカッターだと認識したのは中学三年生の頃、「女の人がストレスのはけ口に手首を切るのって、リストカットって言うんだって」
・不健康なリストカット 高校一年生の頃、血管を切ったようでした。・・・ステキと思ってしまう私がソコにいました。
・入院 あまりの貧血の辛さに、そして現実から逃避したいが為に私は入院を希望するようになりました。
・「世の中には生きていたくても死んでしまう人、先天的な障害を持って苦しんでいる人達が沢山居るんだよ」という誰かから聞いた言葉を頭の中で反芻していましたが、「それがなんじゃぁぁ!」という黒い思考が、正しいかもしれない論理をかっ飛ばして、・・・
・今回は「あや」という偽名で献血です。もう一つの渋谷の献血ルームには「明子」で行きます。新天地開拓で、新宿の献血ルームに行きます。本名で。
・放課後は友人とカラオケ2時間しました。
・改めて私の持っている薬を眺めてみると、
ホリゾン5mg、PZC、ランドセン、ヒルナミン25mg、レボトミン5mg、エリミン、レキソタン5mg、ユーロジン2mg、リズミーmg、エバミール、ハルシオン0.25mg、デバス1mg、メレリル10mg、メイラックス2mg、サイレース1mg、アビリット50mg、チロシン(スマドラ)、カラン(スマドラ)、アミネプチン(スマドラ(、フェログラデュメット(鉄剤)等。
・またしてもAちゃん(彼)と遊ぶ私です。
・まず私におめでとう。ペン習字検定3級合格。
・1999年3月30日 南条あや、向精神薬による中毒で死去。享年18歳。
3月30日:
12時 : あやは親友のYさんに携帯電話で「これから死にに行く」と言った。必死で止めようとするYさんにあやは居場所さえ言わず、押し問答が30分くらい続いた。
「じゃあ、自殺に失敗したらメールするね」と最後に言い残すと電話を切った。
Yさんと婚約者と父親は懸命にあやの居場所を探したが見つからず、午後3時、国立東京医療センターに収容されたことがわかる。
通っていた女子校の近所にあるカラオケボックスに一人で入店していた。飲み物を2度頼み、粉末にした向精神薬を大量服用。3時間のうちに意識の喪失、心停止を迎えた。
司法解剖の結果判明した死因は、意外なものだった。あやの心臓は肥大しており、弁に穴が開いていた。そのため、3時間で心停止が起ったのだった。
彼女は最後まで携帯電話の電源を切っていなかった。おそらくは大量の薬を飲む最中も、目の前の携帯電話の着信音が鳴り続けていたことだろう。
死の前日に婚約者に送った詩4編
名前なんかいらない
起きなくてはいけない時間に起きて
しなくてはならない仕事をして
名前を呼ばれるなら
誰にも名前を呼ばれたくない
何もかもを放棄したい
そして私は永遠に眠るために今
沢山の薬を飲んで
サヨウナラをするのです
誰も私の名前を呼ぶことがなくなることが
私の最後の望み。
終止符
私はいつでも追いかけられている
この世の中の喧騒とか
義務なんてチンケなものじゃなくて
自分自身に
誰も助けてくれない
助けられない
私の現在は錯乱している
きっと未来も
ならば
終止符をうとう
解放という名の終止符を
頭痛
頭痛の原因は
分かりきっていることで
治そうとも思わない
この痛みは私にかせられた償いの一部
あの子を殺したから
私が殺したから
私は軽くからかっているつもりでも
あの子には自らの命を絶つほどに辛いことだったんだ
生涯私はこの頭痛と付き合ってゆく
あの子の痛みを一部
ほんの一部。
私のことを
私が消えて
私のことを思い出す人は
何人いるのだろう
数えてみた
・・・
問題は人数じゃなくて
思い出す深さ
そんなことも分からない
私は莫迦
鈍い痛みが
身体中を駆け巡る。
詳細は下記のサイトに記載されています。
南条あやの日記ブログや著書:「卒業式まで死にません」まとめ ~本名:鈴木純の父親や婚約者情報、18歳で自殺した真相も
感想;
小学6年、中学でいじめに遭っっています。
それがきっかけでリストカットを始めたようです。
高校時代は友だちとよくカラオケに行っているのが書かれています。
血を見ると落ち着くとのことで、リストカット、時に瀉血、そして献血を繰り返しておられました。
また、薬のオーバードーズ(OD)を繰り返していました。薬を集めるために先生にいろいろお願いされたりとか。
前いた会社の薬も2品ありました。その一つの服用がODでした。
1日量6~15mgを1日2~3回に分けて経口投与する 薬。
ところが一回に20mgも。そして他の薬も一緒に。
薬の影響を受けながら生活されていたようです。
「卒業式まで死にません」は彼女がよく口にしていたとのことです。
20歳になったら結婚しようと約束していた彼もいて、友だちもいて、どうして?との疑問が湧いてきます。
高校卒業後は皆が進学就職と飛び立つのに、フリーターを予定していたとのことです。
卒業後の目的があれば生きられたようにも思います。
彼との結婚は生きるための目的になっていなかったのか、それとも辛く苦しくて逃れようとされたのか。
あるいは、この程度ODでは死なないと思われたのか・・・。
こんなにたくさんの薬を飲まれていて、医者の指導はなかったのかと思ってしまいました。
彼女の日記が多くの人を惹きつけたこと、それだけ苦しんでいる人が多いのでしょう。