・ひとたび取調べの場で自白し、それが一つの物語として織り上げられ調書化されて、裁判に持ち出されれば、そこに一つの事件が立派に立ち上がってします。
・刑事訴訟法第319条には「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は監禁された後の自白その他任意にされたものでない疑いのある自白は、これを証拠とすることができない」とある。これまで任意性のチェックによって自白が証拠から排除される裁判事例は非常にかぎられてる。
・足利事件では、早朝からまる一日かけた任意取調べで、菅家さんは自白に落ちた。最初こそはっきりと否認していたが、夜10時半ごろ、涙を流して自白し、未明に逮捕、そこからは犯行の流れを具体的かつ詳細に語ったことになっている。この事件は、決定的な物的証拠でもって無実が証明されたため、捜査にあたった警察・検察に多大な衝撃を与えた。
・新たな虚偽自白過程モデル
・取調官が被疑者を犯人と確信し、無実の可能性を与えない取調べがえんえんと続くなか、「有罪方向への強力な磁場」ができる。
・いくら言っても聞いてもらえない無力感に襲われ「犯人になる」。
・被疑者を犯人と思い込んで手持ちの証拠をもとに追及し<犯人と調査官>という「偽の人間関係」ができあがる。
・みずから容疑を引き受け、想像で「犯人を演じる」。
・取調べの終結で「偽の人間関係」から抜ける。
・自分を無実と信じてくれる人と信頼関係を確立することで否認に転じる。
・調査官は、被疑者を無実とわかっていて落としているのではなく、被疑者を犯人だと思い込んだまま、無実の可能性を考えずに追及する。その結果として被疑者が自白に落ちれば、自白したからにはやはり犯人に違いないと、取調官は思い込んでしまう。
・無実の人の方が落ちやすい逆説
無実の人は、いくら言っても取調官は聞いてくれない。だから無力感に陥るのである。その点、開き直って嘘で否認している真犯人は無力感にさいなまれることはなく、それだけで自白に落ちにくい。
・予想される刑罰に現実感がない。何しろ自分はやっていないのである。刑罰は将来の可能性であって、たったいま現実に味わっている取調べの苦しさを回避するためになら、その将来の可能性に目をつむってしまうことがありうる。あるいは、ここで自白したとしても、さすがに裁判になれば、裁判官たちはわかってくれるはずと思う。
・長期間の取調べの果てに
警察で48時間、つづいて検察で24時間の取調べがあって、その後も必要があれば10日間の勾留が認められ、さらに必要ならば10日の勾留延長が認められる。その間、計23日間の勾留延長が認められる。
・清水事件(袴田事件)の第一審判決について、この判決を書く立場にあった熊本典道裁判官が、事件から40年以上が経過した時点で、「自分はこの事件について無実の心証をもったが、二人の先輩裁判官を説得しきれず、やむなく死刑判決を書くことになった」と告白している。この判決は、後に高裁、最高裁をへて確定し、袴田さんを死の淵に追いやったというだけでなく、同時にその後の熊本氏を一生苦しめることになった。熊本氏は、この判決から半年後に裁判官を辞め、弁護士になるが、その後もこの判決を悔いて、その人生をすっかり狂わせてしまったことが知られている。
・「おりゃ犯人になったろ」
仁保事件は1954年に山口県の仁保で起きた一家六人殺しの大事件である。岡部さんはそこであれこれ考えている。しかし、事件そのものを知らないために具体的なことが語れない。自白転落から四日目、岡部さんは苦しくなって否認に戻り、その苦しさを取調官に次のように訴えている。
「よし、おりゃ犯人になったろ、犯人だ。犯人になったんや、おれがやったやにや思うて、ものすごい自分で犯人になりすまして・・・」
無実の人が自白に落ちたとき、そこからは犯人になったつもりで「犯人を演じる」ほかない、その心情がここに端的に語られている。
・「供述の起源」という発想
出来上がってくる自白は、言わば両者(被疑者と取調官)の「合作」である。ただ、その合作を主導するのはあくまで取調官である。「供述の起源」を洗い出すという視点に立つ。
・「無知の暴露」と「秘密の暴露」
「秘密の暴露」は、それまでの捜査過程で明らかになっていなかった秘密が、その真の体験者の供述のなかではじめて暴露されることを言う。「無知の暴露」が明らかになれば、端的に言って、その供述者が問題の出来事を自分のものとして体験していないことを示す。「秘密の暴露」の、ちょうど裏返しである。
・大量の事実を語れない
・順行的行動として「ありえない不自然さ」
・「ありえない自白」をありうるかのように繕う。
・「賢いハンス」効果
1891年のこと、ドイツはベルリンで計算のできる賢い馬がいるということで評判になったことがある。馬の名はハンス。飼い主の出す計算問題に、蹄を叩く回数で正しく答えるという。その謎が解かれたのが1907年のことである。ハンスの様子を見守っている人々はみな、「正解」を知っている。回答数になると、見ている者がみな無意識に、身体をわずかに動かしてしまう。ハンスは観客のその微妙な動きを見て、それを手掛かりに蹄を叩くのを止めていたのである。
・真犯人の登場で無実が証明された氷見事件
起訴後、裁判で柳原さんは否認せず、自白を維持して、結局、懲役三年の実刑判決を受け、二年あまり服役した後、2005年1月13日に出所した。ところが2006年8月1日に鳥取県で氷見市の事件と同じ手口の強姦事件で犯人が逮捕され、その余罪追及のなかで、翌年の1月17日、氷見市の二つの事件も自分がやったと自白し、再度捜査した結果、その自白が真実であることが裏づけられた。真犯人の登場によって柳原さんの無実が証明されたのである。これを受け手、富山地検が再審を請求し、2007年10月10日、富山地裁が柳原さんに再審無罪の判決を言い渡した。有罪方向へ傾く磁場は、取調べの場から公判廷にまで連綿とつづいていたのである。そこで自分の無実を主張する勇気をもてなかったからと言って、彼を責めるわけにはいかない。
・冤罪の深い根を断つために
虚偽自白を知らなければ、虚偽自白を見抜けない。
・「自白の心理学」で引いた広津和郎氏のことばをふたたび思い起こしておきたい。「忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず」。
感想;
一度自白するとそれを裁判で覆すことは非常に難しいということです。
やっていないときは絶対虚偽の自白はしないことです。
しかし、身体的/精神的に負担が大きく、そこから逃れたいために虚偽の自白をしてしまうようです。
取調官は犯人でない可能性を少しでも考慮せずに、犯人だと疑いもせずに責めてくるので受ける方も精神的にまいってしまうようです。
虚偽の自白は取調官が作成したストーリーで、事実が不明で作成しています。
そのため、どこかに矛盾することが作成したストーリーに残っていることになります。
逮捕されると、虚偽自白しないと思っていてもしてしまうリスクがあるということです。
そのためには、この本を読んだりして、虚偽自白がどれほどその後の裁判に大きく影響し、それを否定することがほとんど不可能だということを知っておくことが必要なんだと思いました。
・刑事訴訟法第319条には「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は監禁された後の自白その他任意にされたものでない疑いのある自白は、これを証拠とすることができない」とある。これまで任意性のチェックによって自白が証拠から排除される裁判事例は非常にかぎられてる。
・足利事件では、早朝からまる一日かけた任意取調べで、菅家さんは自白に落ちた。最初こそはっきりと否認していたが、夜10時半ごろ、涙を流して自白し、未明に逮捕、そこからは犯行の流れを具体的かつ詳細に語ったことになっている。この事件は、決定的な物的証拠でもって無実が証明されたため、捜査にあたった警察・検察に多大な衝撃を与えた。
・新たな虚偽自白過程モデル
・取調官が被疑者を犯人と確信し、無実の可能性を与えない取調べがえんえんと続くなか、「有罪方向への強力な磁場」ができる。
・いくら言っても聞いてもらえない無力感に襲われ「犯人になる」。
・被疑者を犯人と思い込んで手持ちの証拠をもとに追及し<犯人と調査官>という「偽の人間関係」ができあがる。
・みずから容疑を引き受け、想像で「犯人を演じる」。
・取調べの終結で「偽の人間関係」から抜ける。
・自分を無実と信じてくれる人と信頼関係を確立することで否認に転じる。
・調査官は、被疑者を無実とわかっていて落としているのではなく、被疑者を犯人だと思い込んだまま、無実の可能性を考えずに追及する。その結果として被疑者が自白に落ちれば、自白したからにはやはり犯人に違いないと、取調官は思い込んでしまう。
・無実の人の方が落ちやすい逆説
無実の人は、いくら言っても取調官は聞いてくれない。だから無力感に陥るのである。その点、開き直って嘘で否認している真犯人は無力感にさいなまれることはなく、それだけで自白に落ちにくい。
・予想される刑罰に現実感がない。何しろ自分はやっていないのである。刑罰は将来の可能性であって、たったいま現実に味わっている取調べの苦しさを回避するためになら、その将来の可能性に目をつむってしまうことがありうる。あるいは、ここで自白したとしても、さすがに裁判になれば、裁判官たちはわかってくれるはずと思う。
・長期間の取調べの果てに
警察で48時間、つづいて検察で24時間の取調べがあって、その後も必要があれば10日間の勾留が認められ、さらに必要ならば10日の勾留延長が認められる。その間、計23日間の勾留延長が認められる。
・清水事件(袴田事件)の第一審判決について、この判決を書く立場にあった熊本典道裁判官が、事件から40年以上が経過した時点で、「自分はこの事件について無実の心証をもったが、二人の先輩裁判官を説得しきれず、やむなく死刑判決を書くことになった」と告白している。この判決は、後に高裁、最高裁をへて確定し、袴田さんを死の淵に追いやったというだけでなく、同時にその後の熊本氏を一生苦しめることになった。熊本氏は、この判決から半年後に裁判官を辞め、弁護士になるが、その後もこの判決を悔いて、その人生をすっかり狂わせてしまったことが知られている。
・「おりゃ犯人になったろ」
仁保事件は1954年に山口県の仁保で起きた一家六人殺しの大事件である。岡部さんはそこであれこれ考えている。しかし、事件そのものを知らないために具体的なことが語れない。自白転落から四日目、岡部さんは苦しくなって否認に戻り、その苦しさを取調官に次のように訴えている。
「よし、おりゃ犯人になったろ、犯人だ。犯人になったんや、おれがやったやにや思うて、ものすごい自分で犯人になりすまして・・・」
無実の人が自白に落ちたとき、そこからは犯人になったつもりで「犯人を演じる」ほかない、その心情がここに端的に語られている。
・「供述の起源」という発想
出来上がってくる自白は、言わば両者(被疑者と取調官)の「合作」である。ただ、その合作を主導するのはあくまで取調官である。「供述の起源」を洗い出すという視点に立つ。
・「無知の暴露」と「秘密の暴露」
「秘密の暴露」は、それまでの捜査過程で明らかになっていなかった秘密が、その真の体験者の供述のなかではじめて暴露されることを言う。「無知の暴露」が明らかになれば、端的に言って、その供述者が問題の出来事を自分のものとして体験していないことを示す。「秘密の暴露」の、ちょうど裏返しである。
・大量の事実を語れない
・順行的行動として「ありえない不自然さ」
・「ありえない自白」をありうるかのように繕う。
・「賢いハンス」効果
1891年のこと、ドイツはベルリンで計算のできる賢い馬がいるということで評判になったことがある。馬の名はハンス。飼い主の出す計算問題に、蹄を叩く回数で正しく答えるという。その謎が解かれたのが1907年のことである。ハンスの様子を見守っている人々はみな、「正解」を知っている。回答数になると、見ている者がみな無意識に、身体をわずかに動かしてしまう。ハンスは観客のその微妙な動きを見て、それを手掛かりに蹄を叩くのを止めていたのである。
・真犯人の登場で無実が証明された氷見事件
起訴後、裁判で柳原さんは否認せず、自白を維持して、結局、懲役三年の実刑判決を受け、二年あまり服役した後、2005年1月13日に出所した。ところが2006年8月1日に鳥取県で氷見市の事件と同じ手口の強姦事件で犯人が逮捕され、その余罪追及のなかで、翌年の1月17日、氷見市の二つの事件も自分がやったと自白し、再度捜査した結果、その自白が真実であることが裏づけられた。真犯人の登場によって柳原さんの無実が証明されたのである。これを受け手、富山地検が再審を請求し、2007年10月10日、富山地裁が柳原さんに再審無罪の判決を言い渡した。有罪方向へ傾く磁場は、取調べの場から公判廷にまで連綿とつづいていたのである。そこで自分の無実を主張する勇気をもてなかったからと言って、彼を責めるわけにはいかない。
・冤罪の深い根を断つために
虚偽自白を知らなければ、虚偽自白を見抜けない。
・「自白の心理学」で引いた広津和郎氏のことばをふたたび思い起こしておきたい。「忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず」。
感想;
一度自白するとそれを裁判で覆すことは非常に難しいということです。
やっていないときは絶対虚偽の自白はしないことです。
しかし、身体的/精神的に負担が大きく、そこから逃れたいために虚偽の自白をしてしまうようです。
取調官は犯人でない可能性を少しでも考慮せずに、犯人だと疑いもせずに責めてくるので受ける方も精神的にまいってしまうようです。
虚偽の自白は取調官が作成したストーリーで、事実が不明で作成しています。
そのため、どこかに矛盾することが作成したストーリーに残っていることになります。
逮捕されると、虚偽自白しないと思っていてもしてしまうリスクがあるということです。
そのためには、この本を読んだりして、虚偽自白がどれほどその後の裁判に大きく影響し、それを否定することがほとんど不可能だということを知っておくことが必要なんだと思いました。