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ゴーン容疑者逮捕 仏で“疑問の声”相次ぐ "何故、ゴーン会長一人を問題にしているのか?”

2018-11-23 16:08:08 | 社会
https://www.msn.com/ja-jp/news/video/ゴーン容疑者逮捕-仏で“疑問の声”相次ぐ/ar-BBPWQil?li=BBfTvMA&ocid=spartanntp#page=2 日テレNNN24 2018/11/21

日産自動車の会長、カルロス・ゴーン容疑者の逮捕を受け、フランスでは、日本でのゴーン容疑者の扱いや日産に対する疑問の声が相次いでいる。

フランスの有力紙「フィガロ」は21日、現在、勾留されているゴーン容疑者の待遇について、「おそらく近親者との接見もままならない上、日本語で話さなければならず、その苦痛は想像がつく」とする記事を掲載した。
また、日本の捜査については、日本に住む外国人金融関係者のコメントを紹介し、「わずかな証拠で偉大な経営者を逮捕し、その人生を台無しにすることがなぜ許されるのか」などと伝えている。
ルノーの社員からは日産の内部調査への疑問の声も上がっている。
労働総同盟・ルノー支部 ガッシュ代表「日産の報道発表の内容に疑問を抱いている。(日産の)告発の裏に他の戦略があったのではないか」
フランスメディアでは、ゴーン容疑者の高額な報酬への批判が続く一方で、事件の背景として、日産社内でのゴーン容疑者と日本側の経営陣との間の溝を指摘する論調も目立ち始めている。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/ゴーン逮捕は勇み足%EF%BC%9F-日産のクーデターに加担した東京地検特捜部の受難/ar-BBPWCxt?li=BBfTvMA&ocid=spartanntp#page=2
ゴーン逮捕は勇み足? 日産のクーデターに加担した東京地検特捜部の受難 AERA


“異変”があったのは、今年の初夏だった。
 日産自動車(横浜市)は5月18日、「役員人事について」と題したプレスリリースを発表した。その内容は、最高財務責任者(CFO)のジョセフ・ピーター氏が退任し、専務執行役員の軽部博氏が昇格するというものだった。ピーター氏は、兼任していた子会社の日産フィナンシャルサービスの会長も退任した。退社の理由は明らかにされていない。季節外れの人事に、「社内で何かあったのか」と関係者で話題になったという。

 それから約半年。衝撃のニュースが日本中を駆け巡った。日産会長のカルロス・ゴーン容疑者(64)が、有価証券報告書に自らの報酬を過小に報告したとして、金融商品取引法の容疑で11月19日に逮捕された。ゴーン容疑者は、日産の子会社を通じて会社の資金を私的に流用し、その額は約50億円にのぼるとされる。
 
 冒頭のピーター氏の辞任とゴーン容疑者の逮捕が、どう関係しているかは不明だ。だが、日産社内では、ピーター氏の辞任の前後から疑惑の社内調査が始まっていた。関係者はこう話す。
「日産の中では、ごく限られた人物が内部告発を把握し、ひそかに調査をはじめた。そこで重大な違法行為がわかった」

 金融商品取引法の最高刑は懲役10年。しかし、この逮捕には疑問がのこる。まず、有価証券報告書の虚偽記載はゴーン容疑者の単独で実行できるとは思えない。一緒に逮捕されたグレッグ・ケリー容疑者(62)も日産の代表取締役。有価証券報告書の改ざんには、外国人である2人だけでなく、総務部や財務部など他の社員の協力があったと考えるのが自然だ。

 ところが、逮捕されたのは2人だけ。それでも日産の西川広人社長は19日夜の緊急会見で、不正に関する内部調査はすでに終了したと説明した。そのうえで、調査結果を「検察当局のみなさんとシェア」したという。前出の関係者はこう話す。
「検察への情報提供のなかで、日産と東京地検特捜部は司法取引をした」
 司法取引──。これが今回の事件を読み解くキーワードである。日本版司法取引は、今年6月に導入された。贈収賄や談合などの経済犯罪のほか、薬物や銃器犯罪などの組織犯罪がおもな対象だ。司法取引が国内で適用されるのは、今回で2例目。司法取引によってゴーン容疑者の逮捕が実現したことから、前向きに評価する声も出ている。

 しかし、今回の司法取引の手法は正しかったのか。元東京地検特捜部検事の郷原信郎氏は、こう話す。
「日経新聞によると、『過小』と判断された役員報酬は、株価に連動した報酬40億円を有価証券報告書に記載していなかったとのことです。日産関係者が記載するよう指摘したところ2人は拒否したとのことですが、これが事実だとすると、ゴーン氏とケリー氏の報酬は日産から現金で支払われていたことになる。最終的には会社が組織で不記載にしていたということです。2人の刑事責任が重いのは当然としても、他の日産幹部も刑事責任を問われることは避けられません」

 それでも他の日産幹部が逮捕される気配はない。そこには、日産社内外の複雑な政治力学がからみあっているようにみえる。

 西川社長は、会見で繰り返し「ルノーのトップが日産のトップを兼任するのは、ガバナンス上問題があった」と説明した。ルノーは、日産の株式の43%を保有していて、日産の経営に強い影響力を持つ。さらに、経営不振が続くルノーは、日産との提携強化を望んでいる。一方、日産の経営陣には、ルノーが送り込んだ外国人の役員が多くいる。この現状について、会見で西川社長は「ゴーン会長に権限が集中していた」と説明。現在の体制を「負の遺産」と表現して、断罪した。

 事件発覚後の行動もすみやかだった。ゴーン容疑者の逮捕が明らかになったのは、19日夕。同日22時には西川社長による記者会見が開かれた。翌20日午前には、同社の川口均専務執行役員が首相官邸を訪問。菅義偉官房長官に、騒動を起こしたことを謝罪した。22日には取締役会議が開かれ、ゴーン容疑者とケリー容疑者が解任される見通しだ。

 すべてが計算されているかのような展開に、会見でも記者から「クーデターではないか」との質問が出たほどだ。西川社長は即座に否定したが、額面通りに受け止める人はいない。前出の郷原氏は言う。
「問題は、日産社内で通常のガバナンスに基づいてゴーン氏を追い落とすことができないので、特捜部の力を借りてクーデターを起こし、特捜部もそれに加担したように見えることです」

 ただ、ゴーン氏を逮捕しても、特捜部が裁判で有罪に持ち込める見通しは立っていない。捜査関係者は言う。
「特捜部は、ゴーン容疑者とケリー容疑者のどちらにも調べができていないようだ。先進国では、取り調べに弁護士が同席するのは当たり前。それができないのは日本ぐらいだ。今後もほとんど取り調べはできないのではないか」

 さらに、「人質司法」の問題もある。日本は、外国に比べて身柄拘束の期間が長い。森友問題では、籠池泰典氏と妻の諄子氏が約10カ月にわたって勾留された。外国からは時代遅れの捜査手法として批判されている。特捜部もこのことを認識しているはずだ。ある特捜部OBは「人権問題に敏感なヨーロッパから批判を浴びるような長期勾留はできないだろう」と話す。また、今回の事件は「特別背任罪」での立件も視野に入っているが、海外の子会社を通じて資金が流れており、捜査の難航も予想される。

 ゴーン容疑者については、かつて一緒に仕事をした人からすら「金に執着のある人。逮捕はさもありなんだ」と言われるほど、批判も多かった。ヴェルサイユ宮殿での結婚式など、派手な生活についても報じられている。一方、ルノー・日産・三菱自動車という自動車メーカー3社の調整役で、日本とフランスの間で敵が多かったのも事実だ。今回の逮捕によって、ルノーと日産の提携にも影響が出ることは避けられず、事件の背景はさらに複雑なものになっている。

 東京地検特捜部は、前例のない「大物外国人の逮捕」と「役員報酬の虚偽記載」という、これまでに通ったことのない“茨の道”を歩もうとしている。そもそも、ゴーン氏が釈放された後、日本から離れたらどうするのか。公判すら開けない可能性もゼロではない。郷原氏は言う。
「はたして今回の問題に検察が関与したことは正しかったのか。司法取引が活用されたと言われていますが、虚偽記載の事実は客観的に明らかで、司法取引の対象となる『捜査協力』が考えられないので正式の司法取引はできません。日産の経営幹部との間で『ヤミ取引』が行われた可能性があります。22日には取締役会議でゴーン氏の解任が決議されるとのことですが、検察との関係いかんでは特別利害関係人に当たる可能性があり、解任決議に加われないことになります」

 特捜部からと思われる情報が次々に報道機関にリークされているが、真相は明らかになっていないことが多い。ゴーン容疑者は、釈放後に何を語るのか。特捜部の行動が“勇み足”だったかどうかは、その時にわかるだろう。(AERA dot.編集部・西岡千史)

感想
ゴーン氏が不正があったことは事実のようです。
しかし、その不正は日産自動車が会社として容認して実施してきたことではなかったのでしょうか?
自分達がやってきたけど、自分の罪を逃れるために司法取引をして、ゴーン氏を生け贄にしているように思えてなりません。
自分達も、不正を容認あるいはその片棒を担いできたことの責任をとることではないでしょうか?
そうしないとまた同じことが起きてしまいます。

不正検査、排ガスの不正、経営トップが不正を行う会社だったので、末端までも不正を行ってしまっていたように思います。

最初の不正にNoと言える強さ、それが今の役員にはなく、社員も不正にNoと言えなかったのでしょう。

「やったぜ日産」このCMのキャッチフレーズが甦ってきます。
46年間もずっと日産自動車だっただけにとても残念です。
そんな会社を支援していたのかと・・・。


「殿様の通信簿」磯田道史著 ”松の廊下の刃傷事件(吉良上野介対浅野内匠頭)の背景”

2018-11-23 15:57:07 | 本の紹介
・「土芥寇讎記」 幕府隠密の“秘密情報”
 ・おそらく幕府高官が隠密の「探索」に基づいて書いたもの
 ・元禄三(1690年)ごろに書かれたもので、当時の大名243人の人物評価を載せた稀有な書物であること
 ・現存するのは東京大学史料編纂所所蔵の一冊だけである

・水戸黄門
 中国では黄色は皇帝の色で、宮廷の門は黄色に塗ってあった。その黄色い門のうちを支配する役職が、黄門侍郎で、日本では、中納言がこれにあたるとされた。

・「通信簿」をみるかぎり、光圀の成績は、悪くない。家来にも領民にも憐み深く、気前のいい殿様で、みな安心している。一応、そう書かれている。「土芥寇讎記」の大名評価は辛辣なものが多く、光圀のように「善政」をたたえられる大名は少ない。

・一藩に13人の藩主がいて、藩の数は約250。13×250=3250.つまり「大名の経験者」は三千人以上いた。

・「足利・織田の子孫は優遇する。豊臣の子孫は殺す」。吉良家は足利の子孫である。そのため、吉良家は「高家」となり、破格の優遇をうけた。ひとえに血統の良さによる。高家は禄高は少ないが、官位はずば抜けて高い。吉良家の家禄はわずか4200石にすぎない。ところが、吉良上野介の官位は、恐ろしく高い。従四位上・左近衛権少将という破格のものであった。「浅野内匠頭の従五位下と、たいして変わらないのではないか」。あるいは、そう思われるかもしれない。たしかに、吉良の位階は、浅野より三ランク高いだけである。しかし、この三ランクの差は大きい。天と地ほどの差である。当時、加賀百万石の前田綱紀と位と同じであった。つまり、4200石の旗本吉良家は、百万石の前田家と位のうえでは同格だったのである。江戸城のなかで、大名の席順は、石高でなく官位できます。そのため、「官位」は、大名の最大の関心事になっていた。吉良上野介が、赤穂五万三千石の浅野内匠頭を馬鹿にしきっていたのは、ひとえにこの官位の差によるものであった。おそらく、吉良は内匠頭を遠慮なく罵倒したのであろう。そして、あの刃傷事件がおきてしまったのである。
浅野がこだわり、一歩も譲らなかった「自意識」とは、城持大名という強烈な誇りであった。

・内匠頭は「昼夜、閨房にあって、(女と)たわむれ」とあるように、昼間も「奥」にひきこもって出てこず、奥向きのおなごと、いちゃついている。当然、政治にはならない。それで「政道は幼少の時より成長の今に至るまで、家老の心に任せている」というように、結局、家老の大石内蔵助らが政治をみていた。「内匠頭が閨房で女と戯れ、ちっとも政務に出てこない。仕方なく、大石が筆頭家老として藩政を取り仕切っていた。それで、藩士は大石の言うことをきく習慣ができていた」とういうことも考えられるのである。「殿さまの通信簿」は、最後に、内匠頭の人物評をまとめている。なかなか手厳しい。注目すべきことに、大石の態度についても激しく批判している。
内匠頭は「女色にふけるの難」があり、「婬乱無動」だと、はっきりいっている。そのうえ、このままでは「家を滅ぼす」という、恐ろしい預言まで残している。そして、批判の矛先は、大石たち家老に向けられている。「なぜ若い主君が色に溺れるのを黙ってみているのか、なぜ諫めないのか」ととがめ、家老の大石内蔵助と藤井又左衛門を、不忠の臣として、名指しで批判している。

・江戸時代をはじめ、「名君」は四人いる。一人は水戸の徳川光圀、もう一人は金沢の前田綱紀、会津の保科正之、そして、岡山の池田光政である。いずれも儒学を好み、みずから藩政をみちびいて、治績をあげた。

・前田利家「絶対に、子のことを悪くいってはいけない。なかでも、他人のまえで自分の子を悪しざまにいうのが一番いけない」という。子どもに悪いところがあったら、「こうしたほうがよい」と、子ども本人に丁寧に教えてやればよいだけだ、というのである。親子が仲違いしてしまっては、元も子もない。

・「利長様はご自身で毒を飲まれた」 江戸時代、加賀藩では、この話は公然の秘密であった。前田利長は徳川との対決をさけるため、毒を飲んで自分の存在を消し、それで晴れて前田家は徳川方として豊臣攻めに加わることができた。加賀藩ではずっと、そのように信じられてきた。利長は父利家から「秀頼公を御守りするよう」に遺言されていた。(せがれ)利常は徳川から秀忠の娘を貰って婚姻関係があった。

・島津の兵力が大きいのは「兵農分離」というものが不完全で、たくさんの郷士がいたからである。延岡藩(内藤氏)は士族比率が全人口の3.44%である。ところがその南の高鍋藩(秋月氏)では18%になり、佐土原藩(島津氏)は35%、飫肥藩(伊東氏)では20%、宮崎県内の鹿児島藩領では31%となっていて、10倍ぐらい士族の比率がちがう。明治に士族の制度ができたとき、日本の士族の十人に一人は鹿児島藩士であった。

・家康が武田が残した人を煎るための釜を見つけ、背いたらこの釜で煎るぞと脅しのために活用しようと運ばせた。そこへ作左衛門が来て、この窯を粉々に打ち砕いた。奉行の話によれば、作左衛門は、釜を壊しながら、こう、捨てゼリフを吐いたという。
「帰って、家康公の申せ。釜で煎り殺すような罪人が出来るようでは、天下国家を治めることは生り申さず、そのようにいって、作左衛門が砕いた、と」
天下人であった信長が斃れ、いまや家康は三河・遠江に駿河・甲斐。信濃を加えた「海道一の弓取り」となっている。(まかり間違えば、天下を治めることも・・・)。誰にも口にしたことはないが、それを考え始めていた。それは楽しい空想であったが、恐ろしくもあった。だから、家康には作左衛門の言葉が突き刺さった。明らかに、作左衛門は、天下を治めることについての理念を語っている。どうも、それは、これまで家康が経験し実践してきたものとは異なるらしい。暴力と恐怖。これでしか、人々の放埒を押しとどめることはできない。この釜を見せしめにつかってみようと考えたのだが、作左衛門が、その釜を打ち砕いてしまった。釜を打ち砕いただけでなく、作左衛門は「強ければ従い、弱ければ叛く」という家康のこれまでの政治上の理念まで打ち砕こうとしている。天下を治める理念は、そういうものとは違う。作左衛門は、そういう途方もない哲学的命題を、家康の胸につきつけてきた。その作左衛門をいかに処罰するか・・・。家康はいま、それを考えている。家康は口をひらき、作左衛門に処分を言い渡した。
「作左衛門。過日、安倍川の煎人釜をはこべ、と命じたのは、わしの間違いであった。昨日、そのほうが、釜をこわして途中でいった口上は奉行からきいた。わしの間違いに、気づいてくれたこと、かたじけなく思う。この後も、なお、頼みに存ずる」 咎めなし。
作左衛門は、片目がつぶれた顔を家康にむけ、火傷のあとがのこる拳を握り締めて、大声でいった。「かかる尊慮にあらせられなば・・・国家は万代不易に候」。その声は、浜松城の殿中にこだまし、強く、そして重々しく、響いた。
家康が天下を取ったのは、このときから数えて、およそ二十年後のことである。その天下は本田作左衛門が「万代不易」と予言したように、永くつづいた。
ただ、家康が天下人になったとき、作左衛門はもうこの世にいなかった。

・われわれは、殿様ではない。殿様ではないけれども、地球規模でみれば、日本人は、とても人類普通の生活をしている人々とはいえないのもたしかである。どうやら、われわれは、自分たちが思っている以上に、この世界について、大きな影響をおよぼしている人々なのかもしれない。
この国の人々は、この世界にたいして、何ごとかができるほどの大きな責任をもっているなどと、大上段にかまえてしまうと、少々、げんなりしてしまうが、二百年以上もまえに、はじめて現代人と同じような生活を経験してしまった人々の伝記を書きおえて、私が思い至ったのは、なぜか、そのことであった。

感想
おもしろかった。
歴史がイキイキとしてくるのを感じました。

赤穂浪士の仇討。
加賀百万石の前田家がなぜ取り潰されなかったのか。

前田家は関ケ原の合戦の報奨として、四国全体の転藩を言われたが断っているとのこと。
四国に移っていたら、日本の歴史も変わっていたかもしれません。
四国は加賀よりも国を豊かにできる可能性が大きかったので。

それにしても、徳川家康はしたたかなかつ優れた知能の持ち主だったようです。