幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「ウィトゲンシュタイン入門」永井均著 ”わからないけど、そういうものが考えられていることを知る”

2019-03-10 01:51:28 | 本の紹介
・ウィトゲンシュタインの独我論
 「私に見えるもの(あるいは今見えるもの)だけが真に見えるものである」

・ある哲学者と問題を共有したとき、それによって世界の見え方が変わり、人生の意味が変わる。

・「私」の存在-私はなぜ、今ここにこうして存在しているのか。

・超越的(先駆的)主観
 素材としての世界に意味を付与することによって世界を意味的に構成する主観である。

・思想の値段は勇気の量で決まる。

・他の人がまったく語らなかった、彼らがいなければ誰も気付かなかったかもしれない、まったく独自の問題を、ただ一人で提起した人たちなのである。

http://www.ne.jp/asahi/village/good/wittgens.html
『論考』は、七つの根本命題から構成されている(一部省略)。
 1 世界は起こっていることの総体である。(*)
 2 起こっていること、すなわち事実とは、事態(事柄)が成立するということである。
 3 事実の論理的像が思考である。
 4 思考とは意味を持つ命題である。
 5 命題は要素命題の真理関数である。
 6 真理関数の一般的な形式は、〔 p,ξ , N(ξ)〕 である。
 7 語りえないことについては、沈黙しなければならない。

ウイキペディアより
後期ウィトゲンシュタインの最もラディカルな特徴は「メタ哲学」である。プラトン以来およそすべての西洋哲学者の間では、哲学者の仕事は解決困難に見える問題群(「自由意志」、「精神」と「物質」、「善」、「美」など)を論理的分析によって解きほぐすことだという考え方が支配的であった。しかし、これらの「問題」は実際のところ哲学者たちが言語の使い方を誤っていたために生じた偽物の問題にすぎないとウィトゲンシュタインは喝破したのである。

ウィトゲンシュタインの新しい哲学的方法論には、形而上学的な真実追究のために忘れ去られた言語の慣用法について読者に想起させることが必要だった。一般には、言語は単独ではなんら問題なく機能するということが要点である(これに関しては哲学者による訂正を必要としない)。このように、哲学者によって議論されてきた"大文字の問題"は、彼らが言語および言語と現実との関係について誤った観点にもとづいて仕事をしていたためにもたらされたのだということを彼は証明しようと試みた。歴代の西洋哲学者は人々から信じられてきたほど「賢い」わけではないのだ、彼らは本来用いられるべきコンテクストを離れて言語を用いたために言語の混乱に陥りやすかっただけなのだと。したがってウィトゲンシュタインにとって哲学者の本務は「ハエ取り壺からハエを導き出す」ようなものであった。すなわち、哲学者たちが自らを苦しめてきた問題は結局のところ「問題」ではなく、「休暇を取った言語」の例にすぎないと示してみせることである。哲学者は哲学的命題を扱う職人であるよりはむしろ苦悩や混乱を解決するセラピストのようであるべきなのだ。

感想
考えることが良いのでしょう。
哲学が好きな方は、いろいろと考えることが好きなようです。

思想の値段は勇気の量で決まると。
人生の彩も勇気で決まるかもしれません。
好きな人がいたら、「好き」と伝える。
やりたいことがあれば、どうなるかわからないがやってみる。
未知に挑戦する勇気があるかないかで人生が変わるように思います。
でもなかなかできないのが現実ですが・・・。