幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「対話の技」井上信子著 神田橋條治対話 ”対話精神療法”

2019-03-27 01:28:00 | 本の紹介
・いのちの目的はいのちを燃やすこと。ただ生きること。だから「いのちの灯」を弱らせるかかわりはすべて、治療でもなく教育でもない。わが身から発することばが、雰囲気が、いつも相手を勇気づけ、強め、しかし侵入的でないように祈るようになった。

・対話精神療法とはなにか
 神田橋條治はヒトの脳に記録されている「進化の歴史」を、精神疾患の、さらには精神分析治療の、基盤であると想定した。そして従来のフロイト理論を「脳機能のメタファー」と位置づけた。その視点から彼は精神療法の技法上の工夫・改変を重ね、そこに集積された技法群を<対話精神療法>と総称している。

・資質-対-文化
 生き物はみな、己の資質と環境との間に、調和を図りつつ生きている。

・対話精神療法では、個々の脳が自己の資質と相性の悪い言葉文化の学習成果を排除できるように援助することが治療者のメインの仕事である。超自我の力を緩めて、文化順応的に動いている自我が生得的な自我機能(自律性)を取り戻すように導くということになろう。

・訴えを聴いたら、それを何らかの病的症状に対する対処行動と考えられないか、と思って見ることを習慣にすることを神田橋は勧めている。さらに彼は、明らかな動作のかたちで現れるもののほとんどは対処行動と考えられ、対処行動と判断したら次には、何に対する対処行動であり、どのように成功・不成功な結果になっているか、に注目することを城跡とするようアドヴァイスしている。ここでいう対処とはすべて「対自的対処」のことである。すなわち、症状とは「心地よくない」ものなので、生体はそれを取り除くか、心地よくするために何らかの対処を試みると考えられるのである。例を挙げて説明しよう。
クライエントが「おなかが痛い」と訴えたとする。それに対してカウンセラーが<なにか悪いものでも食べたの?>と訊けば、これは原因を探していることになる。そうではなくて<おなかが痛いのを、どんなふうにしたの?>と、対処行動を訊くようにする。・・・というふうに話をすすめることで、クライエントは対処の成功/不成功を認識するのである。

・臨床家がケースを理解しようとするとき、つぎの三つの視点の間をあちこちと移動しながら推論を組み立ててゆく。
1)クライエントとその周辺との関わりの様相、具体的には対人関係や飼育しを観察する。このとき臨床家は客観的な観察者の機能をおこなっている。
2)クライエントの身になった気分で、クライエントの体験世界に思い入れ、疑似体験を試みる。この時の臨床家はイメージ機能に専心している。
3)クライエントと自分との関わりの現場で、自信に生じてくる感情反応を手がかりに、クライエントの精神世界やその健康度を推察する。逆転移を用いての推察である。

・わたしが拠って立つ対話精神療法は「かわいい子には旅をさせよ」という思いの、治療者とクライエントのふたりでする独歩実験を奨励する。

・若い人たちには、「自分の気持ちのなかにある自分と、外に現れている自分が一致していない」ことを悩む時期がしばしばある。一致していない自分を、裏表のある正確だと嫌悪したり、二重人格でないかと疑って苦しむことも多い。しかしこれは「自分」という概念が育ってくるときの、実は順調な、普遍的な進み方なのかもしれない。

・「対話精神療法の初心者への手引き」神田橋條治著

・「嫉妬は相手の敗北宣言なんだよ」

・井上さんは探し求めてボクに会い、ボクを師とした。Dsannha長年持ち続けた問題についてこの人と思い定めて井上さんを治療者として選んだ。・・・。
人は選ぶことを介して育つだけでなく、選ばれることを介して育つプロセスもあることをDさんが知る日は近い。

・「どのような技術の世界でも、一歩先を歩いている者は、後進の師となるべきである。その心組みが自身を育てる」

・あるケースカンファレンスで、初めて会った「鬼」の言名をとるY教授に、めった斬りにされたことがある。『豊かな内閉(不登校の状態)を生き抜かせないで学校に返すなど・・・それはきみに哲学がないからだ!』がとどめのひと刺しだった。泣いて泣いて、Y先生を恨んだあとに・・・みずからの生き方の弱さからくる、治療の欠陥が見えてきた。ようやく立ち直ったときの心模様は「この試練、生かせぬような器ではない」という自己信頼感だった。
けれど実はこれは「討ち死に」後のY先生の手当に負うところも大きい。
先生はその一件のあと、そっと会場に戻り、ひとりスライドを片付けていたわたしに語りかけられた。『僕がなぜあんなに厳しくしたか、わかるな』「ぐっ、そんな一言で失地挽回させてなるものか」とわたしの声にならぬ声。ところがそれに続いたY先生の親身な一言であえなく降参。『力があるから鍛えたのだ』と。くやしいけれど頬は見る間に白糸の滝。そこに先生は間髪を入れずに次の課題提示、最後の包帯は、その課題達成の暁には『面倒みるよ』の一巻きだった。参った! ・・・それからの私は猛勉強した。そして大きく育った。
導かれる側が「この人は力量がある、信頼できる、この人の言うことなら、聴ける」と思ったとき、はじめて指導者に権威が生ずる、これが真の権威である。すなわち「導かれた者が敬服すること」、これが権威。

・整体協会の創始者、野口晴哉氏のことば
「褒めることは的にピッタリ当たらねば甘くみられる。叱ることは三分的を外さねば逆らう。傷口に直接触れられるのは痛いものである。その痛さから新しい気力がおこるのであるから、傷口の深さまで見定めねばならないが、的中必ずしも心を拓かない」

・精神療法のクライエントには、いろいろな理由で発達が止まり、なにか越えられないところがある。しかし・・・越えた。超えるということが起こった瞬間に、その人の中で最も価値のある光輝くものになるのは、実は、この越えさせないように邪魔をしていいた何かが、なんだ、別な言い方で言うと、価値あるものだけが妨げる力を持ち得るのです。

・「つまづきの石」は、それが意識化された瞬間に「宝石」にかわる可能性を秘めてもいる。

・こころを病む人の多くは、結果として、自分で自分を責めすぎる。「だめだ・・・こんな自分は生きている価値がない」と。そしてそのように人生を終わらせてしまう人がいる。結果が原因となるような、この悪循環は転換しなければならない。その転換点は、重要な他者による存在の肯定である。

・重要な他者との関係が安定すると人は積極的に生き始める。
 「安定」の中身はふたつある。
1)目の前に大切な人がいなくてもそのイメージがこころのなかに存在して「見守られている」と子どもが感ずることである。
2)存在の肯定、すなわち「ありのままにその個性を認める」ことである。

・充実しているとき、人は、自分の達成度を他人と比べて「劣っている」だの「だめ」だのと思い患わないものである。この状態を心理学では<自己受容>という。自己受容している人ほど他者受容の程度も高い。さらに、他人と比較して優劣を競わないから、他者の独自性、すなわち自分との違いが面白くなる。これが「異質な個性の受け容れと喜び」という、これからの地球人に要請される感性の誕生である。

・ゲーテの言葉
「涙とともにパンを噛み締めた者にしか人生はわからない」

・自尊心タイプ/評定別 自己評定値   他者評定値
High-High           上位25%       
High-Low       上位25%    下位25%
Low-High       下位25%    上位25%
Low-Low            下位25%
これら質的に異なる四つの自尊心タイプの子どもたちの、クラス内での友好関係を、級友から「好ましい人」として選ばれた回数からみると、LH>HH>LL>HLであった。つまり、実力があるのに自分なんてたいしたことないという姿勢のLH群は友だちから「謙虚な人」と見られ、「自信に満ち溢れている」HH群よりも好感がもたれるということであり、またHL群は、その見せかけと実績の大きな差から「自分を知らないやつ」と判断され、「自分はだめだ」と認めているLL群より友だちから拒否さてるということであろうと推測された。

・自尊心を安定させ高めるには何が必要か?
 ・資質を生かす「何ができる?」
 ・自我を強める「ほぉ なるほど!」
 こうして自分の資質に気づき独自の花を咲かせた人は、永遠にほんものでいられるのではないだろうか。

・生かされつつ生かす(最も重要と考えていること)

・「発想の航跡」神田橋條治著

・「大切なことは言葉では伝えられない。だから、ずっとそばにいなさい」

感想
自分をいかにうまくコントロールするか。
心身一如
身体も養生する。そして気持ちの持ち方も”いい気持ち”を維持することにより、心身を良い状態に保てるのでしょう。
そのためには、いろいろな知識やノウハウを生かすことなのだと思います。