幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 林家たい平さん」 ”芯から落語が好きな人”

2019-03-30 08:10:08 | 生き方/考え方
レンタル子どもされていた。
サワコの朝とかけて ウナギのかば焼きと 土曜の朝には欠かせない

秩父の「打ち上げ花火」を演じて。これは中学からやっていた。
当時から受けていた。
1964年生まれ。教師を目指した武蔵野美術大学入学。落語の面白さに気づいて林家金平の内弟子。古典落語の名手
ひたむきな落語愛にサワコが迫る。

年間300以上寄席に上がっている。
15年目に笑点に出ている。先代圓楽師匠に何故指されなかったので直接尋ねたら、「君の名前が分からない」と言われた。
林家木久蔵さんは木久蔵ラーメンを早く来て打っている。
「ライバルは先月の売り上げ」と言っていた。
三遊亭小遊三師匠はあの年でスケベなことを言うのでモテている。
春風亭昇太さんが独身で一番モテる。
皆仲が良い。最初出るとき大先輩。皆売れているので、足の引っ張り合いがない。ここまで上がって来いと

1曲目、サザンオールスターズの「海」
秩父生まれで海がなかったので、海のあこがれが強かった。子どもの頃ものまねしていた曲。父はテイラー。家族でお客さんを楽しませていた。
最初の役割はお客さんの靴を隠すこと。
母も人を楽しませることが好きだった。

柳家小さん師匠の落語を聞いて心を打たれた。自分を試そうとして落語2つ覚えて、東北を旅して聞いてもらった。素人がやっている落語で久しぶりに笑ったと言ってくれた。林家こん平師匠に入門。落語に関してはこうしなさいがない。林家三平の流れとこん平の流れがあった。
林家三平師匠のところに住みこませてもらった。その時は三平師匠の7回忌だった。入ったときは行儀見習いだから。掃除洗濯。三平師匠の写真の整理を頼まれた。三平師匠の奥さん海老名香葉子さんの肩をもみながら、三平師匠の話を聞いていた。
行儀見習いの時はお給料はなかった。食べさせてもらった。銭湯に行くお金は貰っていた。365日は休みがなかった。絶対落語家になりたかった。1年経過して、ようやく弟子にして貰えた。林家チャイニーズタイペイだった。でもこれはよくないのでたい平と。ペイは〇がついている方が売れると。いっぺい、さんぺい。落語家になるなら勘当と父に言われた勘当させられた。後で、一人ぐらい反対する者がないと頑張れないだろうと意図的に反対したと後で知った。こんちくしょうと思っていた。

古典落語の優しさ、幸せを感じてほしい。古典落語の仲に生きている人々が好き。古典落語に出てくる夫婦が好き(サワコ)。
笑いでイライラを紛らわす。そのような言葉遊びでギスギス感を和らげていた。火箸とか船がもやうとか分からない言葉が出てきた。もやってあるんだよ、つないであるんだよと、言葉で説明するようにしている。説明が多くと野暮ったくなるし。残したい言葉は残していきたい。
若い人に落語好きな人が増えている。

2曲目、山下達郎の「ドーナツ・ソング」。娘も好きと。娘とドライブ中に聴く曲。ハッピーな好き。こん平師匠が倒れて。こんちゃんとこのたい平はいいねと言われるようになりたい。それが師匠への恩返しだと思っている。

感想
落語愛がとても大きな方なんだと思いました。
落語を通して人を楽しませることに生きがいを持たれているのだと。

1年間の行儀見習い。好きでないとできないことです。
好きこそものの上手なり
好きだけでなく、落語を楽しまれていると感じました。