・多くの学生は徴兵免除がある理系に押しかけ、終戦とともに文系に移っていったのである。そのひとりに堤(清二)がいたことは、間違いないであろう。
・戦場へ行って残虐な行為をしてしまうというのも、慣れてしまって、つまり言いかえれば正常な感覚がマヒしてしまえば十分に起こり得ると思った。だから戦争は怖い、戦場へ行っちゃいけないんだと思いましたね(堤)。
・敗走する兵士たにには十分な補給がなされなかったため、逃げ惑うジャングルの中で飢餓とマラリアなどの病気に苦しめられ、多くの日本兵は戦う前に死亡するか、病気で倒れることになった。そんな彼らの屍が積み重なり、いわゆる「白骨街道」と呼ばれる道が出来たほどだった(インパール作戦)。
・中内(功)たち兵士はルソン島の山中を敗走しながらゲリラ戦を戦わなければならなかった。その敗走中に、中内たちを苦しめたのは強烈な飢餓感であった。中内は蚤と蠅、蚊以外なら油虫でもミミズでも山ヒルでも食べられるものは何でも口にした。しかし、中内をもっとも苦しめたのは、戦友たちが想像を絶する飢餓感から死んだ傷病兵の人肉を口にする、つまり「人肉食い」の噂だった。このような苛酷な戦争体験から、中内は「頼れるのは自分だけ、自分しか信じられない」と人間不信に陥ったと言われる。
・「日向さん、本気ですか? あなたの息子さんが戦争に行って、戦死してみいいんですか?」それなのに徴兵制を復活させ、本格的に再軍備しようなんて話をするから、僕も熱くなって本気で反論した。人間と人間が殺し合うなんて、あんな悲惨なことは、どんなことがあっても避けないかん・・・(中内)。
・「戦争は悲惨で残酷なものです。あのような悲惨な事態を二度と起こしてはいけません」(ノモハン事件の戦闘に参加 ケース電気創業者・加藤馨)
・明細伝票で請求するやり方は、多くのお客に好評だった。口コミで広がり、まもなくラジオの修理依頼が殺到するようになった。もう一つは、無料修理のサービスである。「タダだから、喜んでもらえる」(加藤)。
・「私は、生きているのではなく生かされているのです」(ワコールのの創業者 塚本幸一)
・「(所属した小隊の)55名のうち私を含む3名だけが生き残った。結局、52名の戦友の犠牲のうえに、・・・、自分は生かされているのだと思うようになったのです。そう考えないかぎり、自分の生還の理由が理解できません」(塚本)。
・塚本によれば、塹壕の中から敵の様子を窺っていると、たまたま塚本が足元の何かを拾おうと屈んだとき、敵の銃弾が並んでいた友人の顔を打ち抜いたというのだ。そのとき、自分が死んでもおかしくなかったのだと。
・「白骨街道」を歩いたことで、インパール作戦は塚本幸一の心に深い傷跡を残したのだった。生き地獄としかいいようのない戦いだった。人柱となった戦友の背や白骨を橋にして渡った。そんな非道な行為はいかに極限状態の戦場とはいえ、まともな神経でできるものではない。さらに、塚本はインパール作戦の無謀さ、それを強いた陸軍上層部を非難して止まらなかった。
「なぜ、俺は生きているのだ」
「どうして、俺だけが生き延びたんだ」
・私の怒りは、わが子を殺すまで追い詰めた戦争の集団心理よりも彼らを置き去りにした日本軍に向かった。国民の生命と財産を守らない軍隊にどんな存在価値があるというのか。そもそも、海外に居留する日本人の生命と財産を守るためという大義名分のもと朝鮮や中国、アジアへ侵攻したのではなかったのか。
・満州を支配した日本軍は関東軍と呼ばれたが、その関東軍の将校だった神撫に記者が民間人を置き去りにした理由を質問した。元将校はそれも分からないのかと記者の不勉強を呆れたと言わんばかりに、そしてこどもを諭すように答えた。
「日本の軍隊は皇軍と言いますよね。皇軍の意味はご存じですか皇軍とは、天皇の軍隊という意味です。つまり、天皇を守るのが皇軍の務めです。だから、国民を守るのが日本軍の、皇軍の務めではありません」。
・日本の軍隊は(兵士の)人命軽視が甚だしい」(加藤)。
感想;
戦争体験者が語る”戦争”。
私たちはそれを忘れてはいけないのだと思います。
しかしながら、学校教育では教えていません。
本を読んで知りました。
ワコール創業者の塚本幸一はインパール作戦に参加。
母の弟はガダルカナル戦で戦死。
義父はシベリア抑留
時が過ぎると近くに戦争体験者がいなくなります。
きちんと次世代に戦争の悲惨さを伝えて行かないとまた同じ過ちを犯してしまいそうです。
・秘密保護法
・集団自衛権
・共謀罪 など
昔の治安維持法のように国民への自由な情報提供を取り締まったり、戦争に反対する人を取り締まったり、戦争ができる準備を少しずつ進めているように危惧しています。
昔も、気づいたら「戦争反対!」とは言えなくなっていたと義父が言っていました。
・戦場へ行って残虐な行為をしてしまうというのも、慣れてしまって、つまり言いかえれば正常な感覚がマヒしてしまえば十分に起こり得ると思った。だから戦争は怖い、戦場へ行っちゃいけないんだと思いましたね(堤)。
・敗走する兵士たにには十分な補給がなされなかったため、逃げ惑うジャングルの中で飢餓とマラリアなどの病気に苦しめられ、多くの日本兵は戦う前に死亡するか、病気で倒れることになった。そんな彼らの屍が積み重なり、いわゆる「白骨街道」と呼ばれる道が出来たほどだった(インパール作戦)。
・中内(功)たち兵士はルソン島の山中を敗走しながらゲリラ戦を戦わなければならなかった。その敗走中に、中内たちを苦しめたのは強烈な飢餓感であった。中内は蚤と蠅、蚊以外なら油虫でもミミズでも山ヒルでも食べられるものは何でも口にした。しかし、中内をもっとも苦しめたのは、戦友たちが想像を絶する飢餓感から死んだ傷病兵の人肉を口にする、つまり「人肉食い」の噂だった。このような苛酷な戦争体験から、中内は「頼れるのは自分だけ、自分しか信じられない」と人間不信に陥ったと言われる。
・「日向さん、本気ですか? あなたの息子さんが戦争に行って、戦死してみいいんですか?」それなのに徴兵制を復活させ、本格的に再軍備しようなんて話をするから、僕も熱くなって本気で反論した。人間と人間が殺し合うなんて、あんな悲惨なことは、どんなことがあっても避けないかん・・・(中内)。
・「戦争は悲惨で残酷なものです。あのような悲惨な事態を二度と起こしてはいけません」(ノモハン事件の戦闘に参加 ケース電気創業者・加藤馨)
・明細伝票で請求するやり方は、多くのお客に好評だった。口コミで広がり、まもなくラジオの修理依頼が殺到するようになった。もう一つは、無料修理のサービスである。「タダだから、喜んでもらえる」(加藤)。
・「私は、生きているのではなく生かされているのです」(ワコールのの創業者 塚本幸一)
・「(所属した小隊の)55名のうち私を含む3名だけが生き残った。結局、52名の戦友の犠牲のうえに、・・・、自分は生かされているのだと思うようになったのです。そう考えないかぎり、自分の生還の理由が理解できません」(塚本)。
・塚本によれば、塹壕の中から敵の様子を窺っていると、たまたま塚本が足元の何かを拾おうと屈んだとき、敵の銃弾が並んでいた友人の顔を打ち抜いたというのだ。そのとき、自分が死んでもおかしくなかったのだと。
・「白骨街道」を歩いたことで、インパール作戦は塚本幸一の心に深い傷跡を残したのだった。生き地獄としかいいようのない戦いだった。人柱となった戦友の背や白骨を橋にして渡った。そんな非道な行為はいかに極限状態の戦場とはいえ、まともな神経でできるものではない。さらに、塚本はインパール作戦の無謀さ、それを強いた陸軍上層部を非難して止まらなかった。
「なぜ、俺は生きているのだ」
「どうして、俺だけが生き延びたんだ」
・私の怒りは、わが子を殺すまで追い詰めた戦争の集団心理よりも彼らを置き去りにした日本軍に向かった。国民の生命と財産を守らない軍隊にどんな存在価値があるというのか。そもそも、海外に居留する日本人の生命と財産を守るためという大義名分のもと朝鮮や中国、アジアへ侵攻したのではなかったのか。
・満州を支配した日本軍は関東軍と呼ばれたが、その関東軍の将校だった神撫に記者が民間人を置き去りにした理由を質問した。元将校はそれも分からないのかと記者の不勉強を呆れたと言わんばかりに、そしてこどもを諭すように答えた。
「日本の軍隊は皇軍と言いますよね。皇軍の意味はご存じですか皇軍とは、天皇の軍隊という意味です。つまり、天皇を守るのが皇軍の務めです。だから、国民を守るのが日本軍の、皇軍の務めではありません」。
・日本の軍隊は(兵士の)人命軽視が甚だしい」(加藤)。
感想;
戦争体験者が語る”戦争”。
私たちはそれを忘れてはいけないのだと思います。
しかしながら、学校教育では教えていません。
本を読んで知りました。
ワコール創業者の塚本幸一はインパール作戦に参加。
母の弟はガダルカナル戦で戦死。
義父はシベリア抑留
時が過ぎると近くに戦争体験者がいなくなります。
きちんと次世代に戦争の悲惨さを伝えて行かないとまた同じ過ちを犯してしまいそうです。
・秘密保護法
・集団自衛権
・共謀罪 など
昔の治安維持法のように国民への自由な情報提供を取り締まったり、戦争に反対する人を取り締まったり、戦争ができる準備を少しずつ進めているように危惧しています。
昔も、気づいたら「戦争反対!」とは言えなくなっていたと義父が言っていました。