幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 神田伯山さん」 ”面白くなければ、人は集まらない”

2020-03-07 08:05:20 | 生き方/考え方
講談界のスーパースター。真打になった。
1983年生まれ、大学卒業後講談界。100年に一人の天才と。
44年間空席だった神田伯山を襲名。
なぜ百年に一人の天才と言われるかをサワコがひも解く。

伯山(はくざん)。44年前に亡くなった。この名前は復活できないと言われた。弟子で実業家の杉山さんがいて、この名前を5代目から預かっていた。5代目から名前をおまえにあずけると言われていた杉山さんが内の人間国宝の師匠と話をしていた。虎屋の羊羹を持って羽織袴姿で会った。どうせくれないだろうと思って、誰が持つのが良いのかを怒るくらいで詰めた。くれないかくれるかを決めて欲しい。そうしたら「あげます」と言われた。
はっきり言う子だなと思って、5代目もはっきり言う人だったらしい。

今まで個人商店だったのが、真打と格が上がると皆がお披露目パーティとか、頭が下がる思いをした。

1曲目、植木等さんの「無責任一代男」
中学時代ラジオを聞いて、こんな楽しい歌があるのかと思った。
甘い声でいいですね。この収録を頑張らないといけないという気持ちが失せますね。
中学まで明るく楽しく。中学になると気になると気が抜けたような。
“恋愛”してこなかった少年時代がウジウジしていた。ちょっとひねていた。
談志師匠の落語が好きだった。談志師匠は講談が好きだったので、談志師匠が好きなものをためした。それで講談も聞いた。昔はガラガラだった。今は立ち入り禁止の場所で12時半から21時半まで寝ながら聞いて、面白い人だと起きて聞いた。

釈台、張り扇。竹で出来ていて、高価な和紙で出来ている。
これで叩くとリズムができる。これがないと話しにくい。
落語はダメな人間、心配な人間。
講談は立派な人が主人公。
赤穂浪士は47人を称えるのが講談。
逃げた250人を取り上げるのが落語。
講談が2500くらいある。落語の9倍くらいある。

「畦倉重四郎」の講談のビデオ一部紹介。大岡越前に「こいつだけは許さない」と言われた人物。
喉大丈夫かなと。迫力ありますね(サワコ)。
年取ると大きな声を出さずに迫力を出せるようになる。

講談は絶滅の危機を迎えた。昭和30年代。面白くないからすたれた。
講談は面白いが、伝え方がよくなかった。
講談師は先生なのが芸人だったか。
お客さんに受けようと思わなかった。
大衆芸能に舵を切った。
プロデューサー感覚を持った。
観客と近づくには、人の意見を聞かずに、自分が良いと思ったことをやった。
講談者が自分の話をしないといけないと思ってした。
落語は会話の『』で進む。講談はナレーションだけど、『』の会話を増やした。講談はアレンジしてよい。
演技力が培われたのはお婆ちゃんの声。お婆ちゃんと一緒によくいた。親戚中の嫌われ者だった。力があり集めると文句を言っていた。小学生の時ケガして、お婆ちゃんに言ったら、「泣いてもだめだよ。もうだめかもしれない」と寝転がっていた。お金を持っていて、ぽんと百万くれて演芸見てきなさいとか。不思議なお婆ちゃんだった。

自分のためにやっていない感覚が少しある。有名になりたいとか。もちろんその気持ちはなくはないが、それよりも講談界が発展すればよいなと思っている。
懇談専門寄席が平成2年まであった。365日講釈師がやれる場所があれば。今は50数人。それが200人になればできる。それもプロデュースしている。それは30年後くらい。夢があるのが良い。

感想
古い伝統はそれに縛られていることもあります。
それも大切ですが、変わっていくことも大切なのでしょう。

講談を面白くするために様々な工夫をしてファンを集められています。

そして大きいのは自分が有名になりたいよりも”懇談”を広げたいとの思いを強く持っておられます。
その思いも、人気の一つなのかもしれません。