・人生を省みて、時々思うことだが、私の人生は、はたして世間様のお役に立ったのだろうか。
徹底的に疑わしい。
医学を志したはずなのに、患者さんの苦痛を救い、命を扱う努力は一切せず、解剖学という、もはや手の施しようもない、手遅れの患者さんしか診てこなかった。
趣味は昆虫採集、たかが虫ケラをいくら丁寧に調べてみたところで、世間の親にたつはずがない。
閻魔様の前に出て、なにか人様のためになることをしたか、と訊かれたら、なにもした覚えはありません、と正直に答えるしかない。
なぜそんなことを気にするのか、現在の私はほぼ物書き業だが、どうした具合か、八十歳を過ぎてから、「世のため人のため」という台詞をつぶやくことが多くなった気がする。小学に二年生で終戦、その後の世間は高度成長、私のすることとはまったく無関係に、あれよあれよという間に世の中はひたすら変化していった。「世のため人のため」と言っても、なにが「世のため」でなにが「人のため」なのか、さっぱりわからない。価値観の変化などと言うは易いが、言われる方にしてみれば、「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」のままで八十年の歳月を、なんとなく無為に過ごしてきたといういう思いが先立つ。
・アップルの創始者スティーヴ・ジョブズは”Stay home”ではなく”Stay hungry" "Stay foolish"
とスタンフォード大学の卒業式の式辞で述べた。その中で彼は言う。
「夜には死ぬという前提で毎日を始める」
・東京大学の現役時代、各学部の代表が集まった会議の席上で、医学部出身の森亘総長から、当時の松尾浩也法学部長に御下問があった。東京大学の総則の中と、各学部の規則の中に、ほぼ同じ文面がある。ただし語尾が少し違う。森さんは「こういう語尾の違いは法学部的には解釈が違うのでしょうね」と尋ねたのである。これに対して、松尾法学部長は開口一番、「解釈せよと言われれば、いかようにも解釈はいたしますが」と答えた。
これが東京大学法学部の基本であるらしい。官僚が法律を作る時は、「いかようにも解釈できる表現」となるよう、鋭意努力するのであろう。
・母は開業医で、生涯それだけを続けた。一切の公職につこうとせず、医師会の役員ですら拒み続けた。母が95歳で大往生を遂げた後、朝鮮日報だったかの記者という人が来て、戦中に母が在日の人たちを差別なく親切に医療を行ってくれたという趣旨で、母の想いを尋ねてきた。
・『心を病んだらいけないの?』斎藤環/奥那覇潤共著
・大学に勤務していた間に二人の学生が自殺した。
一人は廊下で出会った時に「なにか話したそうだな」と感じたが、そのまま声を掛けずに通り過ぎた。間もなく自殺したという知らせが届いた。
もう一人は解剖の実習中に私が指導に回っていた時である。「実習が終わったら、先生のところにお話に行きます」とその学生はいい、そのまま夏休みになり、会う機会を失したまま休み中に自殺した。
死んだ二人の学生が私の気持ちの中に居座ってもはや半世紀を過ぎつつある。それでも消えていない。
近年小学生まで含めた若年者の自殺が多いという。先述したが、これはきわめて気になる。全体的な、いわゆる人間関係の問題だから。
全体として言うなら、死んだ二人(自殺)の学生に必要だったのは、話ができるような「場」だったのだろうと思う。社会が合理的、効率的、経済的になると、そういう場が日常からいつの間にか消えてしまう。
・『躁鬱大学』坂口恭平著
人生の悩みとは「他人が自分をどう思うか」に尽きると彼は書いていた。躁鬱人は「心が柔らかい」から、合わせることはできる。だが、無理に自分を周囲に合わせれば、いずれ破城する。それを避けるには、自分を徹底的に理解するしかない。
世の中には躁鬱人と非躁鬱人がおり、世間の現状を、躁鬱人が非躁鬱人の社会に少数派として混ざっている状況だと解釈する。そして、「躁鬱病が治らないには体質だから」とくる。体質という表現は、つまり「生まれつきそうなんだから、仕方がないだろう」とい自己肯定、言い替えれば開き直りである。
それなら自分を変えずに周囲に合わせないで上手にやっていくには、どういう状況を避ければいいか。「居心地が悪いと感じたら、すぐに立ち去る」といった具合である。
感想;
ヒトの壁
まさに人間関係のコミュニケーションが生き辛くさせているのでしょう。
「他人がどう思うか」を意識して、自分がやりたいことも躊躇しているのかもしれません。
ヒトの壁というより、ヒトの目を意識してしまうj自分の心の壁なのかもしれません。
どう思われても良いと開き直るには、それ相当の学びと経験が必要なのかもしれません。
スティーヴ・ジョブズ氏は周りの評価や人の目よりも、自分の感覚を大切にされ、イノベーションを起したのだと思います。
イノベーションは誰も気づかいないことですから、ヒトの目を気にしていると生まれることはないでしょう。
うつ病には、認知行動療法と対人関係療法が効果があると言われています。
まさに、人間関係をどう解釈し、どう上手く対応するかがうつ病にも重要なようです。
本を読む楽しみの一つが、他の本を知ることにもなります。
『心を病んだらいけないの?』と『躁鬱大学』を図書館に予約しました。
スティーヴ・ジョブズ氏の3つの話
1)点と点をつなげる
2)愛と敗北
3)死について
徹底的に疑わしい。
医学を志したはずなのに、患者さんの苦痛を救い、命を扱う努力は一切せず、解剖学という、もはや手の施しようもない、手遅れの患者さんしか診てこなかった。
趣味は昆虫採集、たかが虫ケラをいくら丁寧に調べてみたところで、世間の親にたつはずがない。
閻魔様の前に出て、なにか人様のためになることをしたか、と訊かれたら、なにもした覚えはありません、と正直に答えるしかない。
なぜそんなことを気にするのか、現在の私はほぼ物書き業だが、どうした具合か、八十歳を過ぎてから、「世のため人のため」という台詞をつぶやくことが多くなった気がする。小学に二年生で終戦、その後の世間は高度成長、私のすることとはまったく無関係に、あれよあれよという間に世の中はひたすら変化していった。「世のため人のため」と言っても、なにが「世のため」でなにが「人のため」なのか、さっぱりわからない。価値観の変化などと言うは易いが、言われる方にしてみれば、「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」のままで八十年の歳月を、なんとなく無為に過ごしてきたといういう思いが先立つ。
・アップルの創始者スティーヴ・ジョブズは”Stay home”ではなく”Stay hungry" "Stay foolish"
とスタンフォード大学の卒業式の式辞で述べた。その中で彼は言う。
「夜には死ぬという前提で毎日を始める」
・東京大学の現役時代、各学部の代表が集まった会議の席上で、医学部出身の森亘総長から、当時の松尾浩也法学部長に御下問があった。東京大学の総則の中と、各学部の規則の中に、ほぼ同じ文面がある。ただし語尾が少し違う。森さんは「こういう語尾の違いは法学部的には解釈が違うのでしょうね」と尋ねたのである。これに対して、松尾法学部長は開口一番、「解釈せよと言われれば、いかようにも解釈はいたしますが」と答えた。
これが東京大学法学部の基本であるらしい。官僚が法律を作る時は、「いかようにも解釈できる表現」となるよう、鋭意努力するのであろう。
・母は開業医で、生涯それだけを続けた。一切の公職につこうとせず、医師会の役員ですら拒み続けた。母が95歳で大往生を遂げた後、朝鮮日報だったかの記者という人が来て、戦中に母が在日の人たちを差別なく親切に医療を行ってくれたという趣旨で、母の想いを尋ねてきた。
・『心を病んだらいけないの?』斎藤環/奥那覇潤共著
・大学に勤務していた間に二人の学生が自殺した。
一人は廊下で出会った時に「なにか話したそうだな」と感じたが、そのまま声を掛けずに通り過ぎた。間もなく自殺したという知らせが届いた。
もう一人は解剖の実習中に私が指導に回っていた時である。「実習が終わったら、先生のところにお話に行きます」とその学生はいい、そのまま夏休みになり、会う機会を失したまま休み中に自殺した。
死んだ二人の学生が私の気持ちの中に居座ってもはや半世紀を過ぎつつある。それでも消えていない。
近年小学生まで含めた若年者の自殺が多いという。先述したが、これはきわめて気になる。全体的な、いわゆる人間関係の問題だから。
全体として言うなら、死んだ二人(自殺)の学生に必要だったのは、話ができるような「場」だったのだろうと思う。社会が合理的、効率的、経済的になると、そういう場が日常からいつの間にか消えてしまう。
・『躁鬱大学』坂口恭平著
人生の悩みとは「他人が自分をどう思うか」に尽きると彼は書いていた。躁鬱人は「心が柔らかい」から、合わせることはできる。だが、無理に自分を周囲に合わせれば、いずれ破城する。それを避けるには、自分を徹底的に理解するしかない。
世の中には躁鬱人と非躁鬱人がおり、世間の現状を、躁鬱人が非躁鬱人の社会に少数派として混ざっている状況だと解釈する。そして、「躁鬱病が治らないには体質だから」とくる。体質という表現は、つまり「生まれつきそうなんだから、仕方がないだろう」とい自己肯定、言い替えれば開き直りである。
それなら自分を変えずに周囲に合わせないで上手にやっていくには、どういう状況を避ければいいか。「居心地が悪いと感じたら、すぐに立ち去る」といった具合である。
感想;
ヒトの壁
まさに人間関係のコミュニケーションが生き辛くさせているのでしょう。
「他人がどう思うか」を意識して、自分がやりたいことも躊躇しているのかもしれません。
ヒトの壁というより、ヒトの目を意識してしまうj自分の心の壁なのかもしれません。
どう思われても良いと開き直るには、それ相当の学びと経験が必要なのかもしれません。
スティーヴ・ジョブズ氏は周りの評価や人の目よりも、自分の感覚を大切にされ、イノベーションを起したのだと思います。
イノベーションは誰も気づかいないことですから、ヒトの目を気にしていると生まれることはないでしょう。
うつ病には、認知行動療法と対人関係療法が効果があると言われています。
まさに、人間関係をどう解釈し、どう上手く対応するかがうつ病にも重要なようです。
本を読む楽しみの一つが、他の本を知ることにもなります。
『心を病んだらいけないの?』と『躁鬱大学』を図書館に予約しました。
スティーヴ・ジョブズ氏の3つの話
1)点と点をつなげる
2)愛と敗北
3)死について