幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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紀藤弁護士&江川紹子氏にツッコまれた爆笑・太田が釈明「向いている方向は違わない」 ”犯罪集団に属している真面目な信者も犯罪行為の加担者の一部だということに太田光さんは気付いていない!”

2022-09-04 15:36:18 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/ca718fc81c4491a15971723d94619b758e981822 9/4(日) 12:45 東スポWeb

 TBS系「サンデージャポン」が4日放送され、MCの「爆笑問題」太田光が専門家から疑問視されたことを釈明した。

 太田は同番組の前週8月28日放送で、岸田文雄首相が自民党は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と〝絶縁〟すると宣言したことに、「旧統一教会は反社と確定するのかと岸田さんに聞きたい。今は宗教法人と認められている」と冷静な対応を求めた。マジメに信仰している信者もいるとして、そういった信者を「どうやって救済するの? すごい偏見で見られちゃうわけで」と持論を述べた。

 これに長年、教団の問題を追及している専門家が異論を唱えた。紀藤正樹弁護士は29日、ツイッターで、太田の発言を念頭に「宗教法人格悪用の団体に国民も政治も何も対策を取れず言えなくなる」と投稿。ジャーナリストの江川紹子氏も「カルトは、『教えが間違っている』から問題視されてるわけではなく、その『行為』が問題視されます。統一教会も同じです。太田さんは、それを知りながら、知らないフリをしてませんか?」と投稿した。

 これを受け、4日放送では太田が釈明。2人の意見と「そんなに違っていると思っていない」と語る。自身と紀藤弁護士らとは〝ギャップ〟があるとみた。

 紀藤弁護士らについて「この問題をずっとやってきて被害者に寄り添ってきた」と被害者救済で尽力してきたと指摘。かたや自身は、「サンジャポ」で20年以上、MCを務めているが、同番組で教団の問題を「1回たりとも取り上げなかった」と振り返った。

 教団を追及すると「ある意味、無邪気に、信教の自由は大丈夫なのかなと思った」と、信教の自由の侵害を懸念しかねないとの思いがあったと告白。「でも、それ(懸念)が(追及の)障害になっていたんだよという思いが強い人(紀藤弁護士ら)はそういうことを言ってほしくない」と紀藤弁護士らを思いやった。

 その上で、自身と紀藤弁護士らは「大きな意味で向いている方向は違わないと思う」とまとめた。太田はマジメに信仰している現役信者を心配し、紀藤弁護士らは被害者の救済に尽力している。

感想
真面目な信者がいたと仮定しても、それは騙されていてまだ気がつかない被害者であるということです。

真面目な信者は霊感商法を認めたり、手を染めているわけです。
つまり、加害者になっており、真面目な信者というのでしょうか?
仮に霊感商法に手を染めていなかったとしても、その違法な団体を献金で支えているのです。
暴力団に加入して、あの人は真面目な人だから・・・は通じるでしょうか?

宗教法人であれば何をしても良いのでしょうか?
宗教法人として認められている目的を既に逸脱しています。
まさにオウム真理教がそうでした。
本来、宗教法人が認められない団体なのです。
オウムが宗教法人の時には何も得居なかったのでしょうか?

太田光さんはもっと理解を深められた方が良いと思います。
ご自分の発言がどれだけ影響力を持っているかわかっておられるはずです。
思慮浅いから、大橋巨泉さんから注意されたのです。
その注意の重みを今一度理解しようとされることだと思います。

「他者と比べる自分 社会的比較の心理学」高田利武著 ”避けられないなら、比較を上手く活用したい”

2022-09-04 02:18:00 | 本の紹介
・目次
他者と比べる自分―さまざまな比較
社会的比較と自己
社会的比較による自己評価
上方比較―優れた他者との比較
下方比較―劣った他者との比較
社会的比較における集団と個人
社会的比較の発達
自尊心と社会的比較
社会的比較の個人差
社会的認知と社会的比較
社会的比較と文化
日本人の自己認識と社会的比較

・宮沢賢治の詩「サキノハカといふ黒い花といっしょに」
サキノハカといふ黒い花といっしょに
革命がやがてやってくる
ブルジョアジーでもプロレタリアートでも
おほよそ卑怯な下等なやつらは
みんなひとりで日向へ出た蕈のやうに
潰れて流れるその日が来る
やってしまへやってしまへ
酒を呑みたいために尤らしい波瀾を起すやつも
じぶんだけで面白いことをしつくして
人生が砂っ原だなんていふにせ教師も
いつでもきょろきょろひとと自分とくらべるやつらも
そいつらみんなをびしゃびしゃに叩きつけて
その中から卑怯な鬼どもを追ひ払へ
それらをみんな魚や豚につかせてしまへ
はがねを鍛へるやうに新らしい時代は新らしい人間を鍛へる
紺いろした山地の稜をも砕け
銀河をつかって発電所もつくれ

自分を他者と比較することに対する、賢治の憎悪に近い否定的感情をこの詩の中に読みとることができるでしょう。それは「卑怯で下等」などとされているのです。

・賢治はつぎのようなことも書いています。これは、雑誌への詩(賢治のいう「心象スケッチ」)の寄稿の求めに対して、彼が書いた返事の一節です。
・・・そのスケッチの12篇、どうせ禄でもないものですが、差し上げようかと思ひました。そしたらこんどは、どれをだそうかと云ふことが、大へんわたくしの頭を痛くしました。これならひとがどう思ふか、ほかの人たちと比較してどうだらうかなどといふ厭な考がわたくしを苦しめます。わたくしは本当にそんなに弱いのですから、笑ってもようございます・・・

ここでも賢治は、人がどう思うかを考えたり自分と他者とを比較することを「厭な考」としています。また、人との比較を考える自分を、「弱い」人間であるといっています。しかし、比較をいとわしく思いながらも、他者との比較から自由になれない賢治の姿が、ここには現れています。この宮沢賢治の例は、どんなに自分と他者とを比較することを嫌う人でも、実は他者との比較を行っていることを示している、といえるでしょう。後にみるように、自分でも意識しないうちに比較を行っていることもあるのです。
私たちが社会の中で他の人々とともに生きていく限り、自分と他者とを比較することは避けられないことのようです。その意味で、社会生活や対人関係の中で「自分を他者と比較する」ことは、好むと好まざるとにかかわらず、普遍的に存在しているのです。

・自分と他者とを比較することを総称して、社会的比較と呼びます。

・日常生活での社会的比較の種類
比較の対象     %
 学業      26.3
 社会的技能    6.8
 性格      14.4
 身体的特徴   14.1
 金銭       4.1
 ライフスタイル 12.2
 意見       2.6
 運動能力    13.0
 友人関係     1.3
 その他      4.3

比較の方向
 上方比較    30.4
 同等比較    26.4
 下方比較    43.2

比較の相手
 親友      31.4
 友人      26.3
 知り合い    19.0
 見知らぬ人   14.9
 恋人       1.3
 架空の人物    2.4
 家族       2.7
 有名人      0.9
 その他      1.1

比較相手の性別
 同姓      69.4
 異性      23.4
 同姓と異性    5.6
 不明       1.7

・「僚友」(この詩は、賢治が花巻農学校を退職し困難な農民活動の中に入った後、かつての勤務先を訪れたときの作品だといいます。この宮沢賢治の詩をもって本書のページを閉じることにしましょう)

わたくしがかってあなたがたと
この方室に卓を並べてゐましたころ、
たとへば今日のやうな明るくしづかなひるすぎに
……窓にはゆらぐアカシヤの枝……
ちがった思想やちがったなりで
誰かゞ訪ねて来ましたときは
わたくしどもはたゞ何げなく眼をも見合せ
またあるかなし何ともしらず表情し合ひもしたのでしたが
……崩れてひかる夏の雲……
今日わたくしが疲れて弱く
荒れた耕地やけはしいみんなの瞳を避けて
おろかにもまたおろかにも
昨日の安易な住所を慕ひ、
この方室にたどって来れば、
まことにあなたがたのことばやおももちは
あなたがたにあるその十倍の強さになって
……風も燃え……
わたくしの胸をうつのです
……風も燃え 禾草も燃える……

結局のところ、社会的比較による自己認識に潜む葛藤から私たちは逃れることができないことを自覚しなければならない、と賢治は教えてくれているようです。

感想
比較することで自分を知ることになります。
劣っていると知ると、学ばなければならないとのエネルギーになるか、自分はダメだと自己否定になるかは自分次第です。

比較しなければ良いと言われてもつい比較してしまいます。
逃れらないなら、比較を上手く活用することなのでしょう。

宮沢賢治の詩「雨にも負けず」は有名ですが、このような詩も書いていたのですね。