女優。ムロさんと初めて目を合わせた時に「やっと会えた」と感動的だった。
よく男前と言われる。1988年生まれ。神戸出身。
TBS「大恋愛 僕を忘れる君と」
アルツハイマーを患う役だったので、演技できるだろうか? 間違えた病状を見せてはいけないと思って、先生や監督とよく話を聴いて。トキオの松岡さんを振って、ムロさんを選ぶのはなんでだろうと? ムロさんの優しさがじわじわと出て来る。友だちからいつも言ってこないのに感動したと。母からも「ありがとう」と連絡が入った。大石静さん脚本「オードリー」で13歳で1分ほど出演していた。私も覚えていなかった。佐々木蔵之介さんが覚えていて、大石静さんに「子役が戻ってきたね」と。「大恋愛」も大石静さん脚本。
1曲目19の「以心伝心」。 16歳で上京。その時に3人の友だちに置き土産としてカラオケで歌った曲。
旅立つ恵梨香に歌われたら泣いちゃう(サワコ)。
この業界に興味を持ったのはNG集を見て、楽しいだろうな。小学校5年生の時。それなりに楽しかったのだが、愉しめていなかった。それで両親に言ったら、オーデションを受けに行くぞと父親に言われ行ったら受かった。大阪の事務所だった。
自分で興味を持てるものを持つことができた。
雑誌のグラビヤやっていた。水着を着るのに違和感を持っていた。辞めようと事務所の社長に言ったら、「恵梨香に興味を持っている人がいる」と。それが今の事務所の社長。父親も上京した方が良いと背中を押してくれた。勉強は苦手だった。全ての科目が苦手だった。全校で下から2番目でショックを受けた(サワコ)。私は気にならなかった。他のことに興味を持っていた。
東京に出てから、私はお芝居に向いていないと落ち込んでいた。監督から言われることがわからなかった。生きていることが恥ずかしいと思った。両親に弱音を吐いたら、「いつでも帰ってきなさい。恵梨香を食べさせるぐらいはできるから」と言われ、逆に帰られないと思った。自分に負けたらいけないと思った。
関西訛がある。ボイストレーナーが訛を直してくれた。「恵梨香ちゃん、心を開いてない。弱音を吐いていいんだよ」と言われてどーっと涙が出た。16~17歳の時で、それから仕事が楽しくなった。録音した自分の声を聴いたり、心理学や哲学の本を読んだりした。「勉強好きじゃない」(サワコ)。「そうなんです。好きだと気づいた」。
6歳の時、阪神淡路大震災を体験した。当時火事が多く。映画で保護リーダーとして53人を守らないといけない役に。その時に震災時の空が赤いシーンが思いだされた。
子どもたちが言うこと聞かなくて、「いいかげんにしなさい。あんたら何しに来たん。仕事しにきたんやろ。ちゃんとやれ」と言ったらシーンとして、それからやりやすくなった。関西弁が出てしまった。
まっすぐな役が多い。同僚が先輩から叱られていた。バシバシ叩かれて叱られていた。それを浅利君が笑って耐えていたので、「もうやめてもらっていいですか?」「男はこれぐらいでいいだ」と言って止めない。「その冗談通じないのですが」と言って彼を連れて帰った。彼に役立つことだったら良いけど、それは役立たない。やわじゃない。「ついていきたい」(サワコ) 「ついてきてください」。震災の影響があるかもしれない。同じマンションの人が「戸田さん大丈夫!」泣き叫ぶ声が聞こえていた。その声を聴くのが辛い。
母が作ったものは残せないと思って全て食べる。それを見て母は喜んでくれる。「もっと食べなさい」と。もういっぱいなんだけど。傷つけられたり傷つけるのが怖い。
2曲目。「December,1963」仕事に行く前に聞いている。エネルギーを注入してくれる曲。犬二匹飼っている。犬を抱いて曲を聞きながら踊っている。
両親は私の出演したのを見て喜んでくれている。
感想;
友だちになりたいと思うほど、とてもステキな方でした。
まっすぐなところがあるので、きついという人がいるのでしょう。
勉強も自分が興味を持てないと勉強できないししないけれど、したいと思うことは一生懸命勉強するのでしょう。
自分が何になりたいか。そのために何を学ばなければならないか。それを持つことができると人は頑張れるようです。
過去の「サワコの朝」のメモ
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/sawako.html
阿川佐和子さん「サワコの朝」(視聴メモ&感想)
よく男前と言われる。1988年生まれ。神戸出身。
TBS「大恋愛 僕を忘れる君と」
アルツハイマーを患う役だったので、演技できるだろうか? 間違えた病状を見せてはいけないと思って、先生や監督とよく話を聴いて。トキオの松岡さんを振って、ムロさんを選ぶのはなんでだろうと? ムロさんの優しさがじわじわと出て来る。友だちからいつも言ってこないのに感動したと。母からも「ありがとう」と連絡が入った。大石静さん脚本「オードリー」で13歳で1分ほど出演していた。私も覚えていなかった。佐々木蔵之介さんが覚えていて、大石静さんに「子役が戻ってきたね」と。「大恋愛」も大石静さん脚本。
1曲目19の「以心伝心」。 16歳で上京。その時に3人の友だちに置き土産としてカラオケで歌った曲。
旅立つ恵梨香に歌われたら泣いちゃう(サワコ)。
この業界に興味を持ったのはNG集を見て、楽しいだろうな。小学校5年生の時。それなりに楽しかったのだが、愉しめていなかった。それで両親に言ったら、オーデションを受けに行くぞと父親に言われ行ったら受かった。大阪の事務所だった。
自分で興味を持てるものを持つことができた。
雑誌のグラビヤやっていた。水着を着るのに違和感を持っていた。辞めようと事務所の社長に言ったら、「恵梨香に興味を持っている人がいる」と。それが今の事務所の社長。父親も上京した方が良いと背中を押してくれた。勉強は苦手だった。全ての科目が苦手だった。全校で下から2番目でショックを受けた(サワコ)。私は気にならなかった。他のことに興味を持っていた。
東京に出てから、私はお芝居に向いていないと落ち込んでいた。監督から言われることがわからなかった。生きていることが恥ずかしいと思った。両親に弱音を吐いたら、「いつでも帰ってきなさい。恵梨香を食べさせるぐらいはできるから」と言われ、逆に帰られないと思った。自分に負けたらいけないと思った。
関西訛がある。ボイストレーナーが訛を直してくれた。「恵梨香ちゃん、心を開いてない。弱音を吐いていいんだよ」と言われてどーっと涙が出た。16~17歳の時で、それから仕事が楽しくなった。録音した自分の声を聴いたり、心理学や哲学の本を読んだりした。「勉強好きじゃない」(サワコ)。「そうなんです。好きだと気づいた」。
6歳の時、阪神淡路大震災を体験した。当時火事が多く。映画で保護リーダーとして53人を守らないといけない役に。その時に震災時の空が赤いシーンが思いだされた。
子どもたちが言うこと聞かなくて、「いいかげんにしなさい。あんたら何しに来たん。仕事しにきたんやろ。ちゃんとやれ」と言ったらシーンとして、それからやりやすくなった。関西弁が出てしまった。
まっすぐな役が多い。同僚が先輩から叱られていた。バシバシ叩かれて叱られていた。それを浅利君が笑って耐えていたので、「もうやめてもらっていいですか?」「男はこれぐらいでいいだ」と言って止めない。「その冗談通じないのですが」と言って彼を連れて帰った。彼に役立つことだったら良いけど、それは役立たない。やわじゃない。「ついていきたい」(サワコ) 「ついてきてください」。震災の影響があるかもしれない。同じマンションの人が「戸田さん大丈夫!」泣き叫ぶ声が聞こえていた。その声を聴くのが辛い。
母が作ったものは残せないと思って全て食べる。それを見て母は喜んでくれる。「もっと食べなさい」と。もういっぱいなんだけど。傷つけられたり傷つけるのが怖い。
2曲目。「December,1963」仕事に行く前に聞いている。エネルギーを注入してくれる曲。犬二匹飼っている。犬を抱いて曲を聞きながら踊っている。
両親は私の出演したのを見て喜んでくれている。
感想;
友だちになりたいと思うほど、とてもステキな方でした。
まっすぐなところがあるので、きついという人がいるのでしょう。
勉強も自分が興味を持てないと勉強できないししないけれど、したいと思うことは一生懸命勉強するのでしょう。
自分が何になりたいか。そのために何を学ばなければならないか。それを持つことができると人は頑張れるようです。
過去の「サワコの朝」のメモ
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/sawako.html
阿川佐和子さん「サワコの朝」(視聴メモ&感想)