平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

花燃ゆ 最終回~すべては美和さんのおかげ、県令様のおかげ(笑)

2015年12月14日 | 大河ドラマ・時代劇
 最終回は、主人公は素晴らしい! という話でしたね。
 美和(井上真央)のおかげで、群馬の女たちは学ぶようになり、自分で考える力や生きる力を持ち、単に生活のためでなく、誇りをもって働けるようになった。
 鹿鳴館の婦人たちも美和の話を聞いて、わずか数分で「群馬の女たちによろしくお伝え下さい」(笑)
 で、鉄道もこのアシストで敷設されるようになった。
 そして、楫取(大沢たかお)いはく、「また、やったな」(笑)

 すべては美和さんのおかげ。
 すべては県令様のおかげ。

 まあ、大河ドラマは、歴史で偉大とされる人物を描くので、ある程度の「素晴らしい!」は仕方がないのだが、ここまで連発されると鼻につく。
 特に美和さんはあんまり苦労していないですしね。
 口先だけで正論を語り、そこに賛同者が現れて見事解決。
 いつもこのパターン。
 それに普通、脚本では、主人公礼賛を、こんなふうにせりふで書かないもの。
 視聴者に、この人、素敵だな。偉い人だな、と自然に思わせるのが、脚本のたしなみ。脚本家の矜持。

 なお、この作品は『平清盛』と年間視聴率ワースト1を争っているようだが、清盛とは、作品の質が全然違う。
 清盛は「主人公は素晴らしい!」なんてことを描かず、むしろ、もののけの血に悩む、清盛の負の側面を描いていた。
 清盛の苦しみがドラマになっていたし、人間がしっかり描かれていた。

 鹿鳴館でも、素晴らしい! がいっぱいだった。
 鹿鳴館の為政者たちは「わが国もここまで来たか」と自画自賛する。
 でも、この時代、民は困窮して秩父困民党事件など、民衆の反乱が全国各地で起きていた。
 楫取のお膝元では、群馬事件。
 それに伴う自由民権運動の激化もあった。
 なのに鹿鳴館では、まるで別の世界のように「わが国もここまで来たか」。
 まあ、鹿鳴館にいる人間たちが別世界に住んでいるのは仕方ないなのだが、民衆の側にいる美和たちが違和感を抱かないのはおかしい。
 官と民の間にあって、明治社会の矛盾を一番感じているのが美和のはずなのに、それが描かれない。
 この作品が浅い証拠である。

 結局、美和は<自分に都合のいい現実>しか見ていないんだろうなぁ。
 生糸の仲買人は、どうなったんだろう?
 まあ、自分に都合のいい現実しか見ないで自画自賛するあたり、どこかの首相と同じですよね。
 アベノミクスが全国の津々浦々にまで行き渡るのは、いつなんだろう?
 実質賃金は下がり続け、非正規社員は増えて、福島の原発では汚染水がダダ漏れ。
 GDPも2期連続マイナスはまずいので、いろいろ数字をいじってプラスに持っていくという姑息。

 なお、この作品の脚本家交替が思わぬ事件を起こしているらしい。
 当初の予定にあった防府での美和たちの生活が描かれなかったため、大河効果を期待して建てた防府市の1億円の観光施設がムダになったらしいのだ。

 防府市がNHKに抗議 「花燃ゆ」台本変更で一億円かけた施設が注目されず(女性セブン)


 『花燃ゆ』と安倍政治の関係については、後日書きます。
 この作品、完全に「安倍内閣の政策」を広報していますよね。
 大河ドラマが政治に迎合していまいました。由々しき事態です。

コメント (4)
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