飲むと、心の抑制が利かなくなり、日頃、隠していた感情があらわになるSICKS。
これによって現れた症例は、
・ガチ恋病
・レビュアー病
・フルボッコ病
・叩かれたくない病
・晒したい病
・バズりたい病
・リテラシーゼロ病
いずれも現代社会に見られる症例である。
ちなみに、このブログでドラマのレビューなどを書いている僕などは<レビュアー病>。
一方、書いたことをあまり叩かれたくないので表現を無難にしてしまう<叩かれたくない病>でもあり、時折、怒りにまかせて叩いてしまうので<フルボッコ病>でもある(笑)
それにアイドルは全員処女だと思ってるので、<ガチ恋病>でもある(笑)
<晒したい病>や<リテラシーゼロ病>に関しては、今年、さまざまな事件がありましたよね。
<リテラシーゼロ病>は、東芝や杭打ちマンションなど、一連の企業の不祥事。
<晒したい病=自分に直接関係ないことまで知りたい、調べたい、晒したくて仕方なくなる病気~ウィキペディアより引用>に関しては、例のオリンピックエンブレム問題。
佐野研二郎氏のパクリは、ネット民の<晒したい病>がなければ明らかにされなかった。
というわけで、現代社会の多くの人は、みんな病気なのです。
みなさんの中にも、どれか当てはまる症例があるはず。
みんながみんな、何かの病気。
で、これらの病気について、この作品がどう考えているかというと、肯定している。
たとえば、同人作家のマユリコ。
マユ(清水富美加)とリコ(中島早貴 ℃-ute)は<フルボッコ病>の持ち主でなければ、出会うこともなかったし、友達にもなれなかった。
<フルボッコ病>がなければ、修学旅行の班分けで悩み、間を持たせるために三十三間堂の仏像をひとつひとつ見ていくような抑圧された、孤独な人間のままだった。
しかし、<フルボッコ病>があったおかげで、マユとリコは繋がることが出来た。
でもね~~
一方で、僕は良識を重んじる常識人でもありますから、目を覆いたくなるようなネットの言論を読むと、うわ~~っ! って思ってしまうんですよ。
マユキチ先生も言ってたけど、「こいつらマジでクソだな!」と言いたくなる。
でも、この作品はこのような良識ある反応を否定しているようなんですよね。
マジでクソな言論だけど、そんなことに目くじら立てるなよ。
言ってるやつらは病気だし、お前も程度の差こそあれ病気だろう?
そんなことより、ジョーシキの縛られてたらつまらないぞ、もっと自由になれ、と語っている。
もっと自由になれ、という主張はこんな所にも。
ナノカルジアウィルスに感染して苦しんでいる若い女性に、発田(若林正恭・オードリー)は言う。
「咳止まらないんですね。僕とセックスすれば治りますよ」
発田と女性の間に面識はない。友情も恋愛関係もない。
なのにセックス。
そして、発田はカノジョのつばめ(岸井ゆきの)にも世界を救うために見ず知らずの男とエッチしろと言う。
つまり、これはフリーセックスの隠喩なのだ。
誰もが分け隔てなく自由にセックス出来れば、世界は愛でいっぱいになる。結果、世界は救われる。
これってキリストの「汝の隣人を愛せ」が最後の最後に行き着く所ですよね。
そして、つばめ(岸井ゆきの)は処女なのに発田の子供を身ごもった。
つまり、発田とつばめのエピソードは、聖書の世界。
結局、発田は若い女性に拒まれるし、つばめも見ず知らずの男とチョメチョメするのはイヤだという結論になるのだが、この作品はフリーセックスによる人類愛までに言及している。
深いテキストだなぁ。
読み解くのが大変。
というわけで、『SICKS~みんながみんな、何かの病気』はコメディでありながらハードな作品でありました。
ラストで、つばめが言ったせりふも深いですね。
「笑える世の中をつくった人が一番偉いよ」
立場や考え方によって、さまざまに解釈出来る言葉だと思いますが、
僕などは、テロや排外主義といった憎しみの世の中をつくっている輩のことを考えてしまう。
憎しみよりは、笑い、そして愛。
うん、やっぱ、これですよ!