太宰治の「斜陽」。
これは華族出身の世間知らずのヒロイン、かず子が戦後の現実社会と戦って、たくましく生きていこうと決心する物語である。
かず子がこんな決心をした背景には、華族の母と弟の直治の死がある。
華族の廃止された戦後社会で居場所のない母はあきらめの中で静かに死んでいき、直治は自殺した。
このことは前回のブログで書いた。
一方、かず子は逆の道を歩く。
作品中、こんな文章がある。
いったいまあ、私はそのあいだ、何をしていたのだろう。
革命を、あこがれた事もなかったし、恋さえ、知らなかった。
いままで世間のおとなたちは、この革命と恋のふたつを、最も愚かしく、いまわしいものとして私たちに教え、戦争の前も、戦争中も、私たちはそのとおりに思い込んでいたのだが、敗戦後、私たちは世間のおとなを信頼しなくなって、何でもあの人たちの言う事の反対のほうに本当の生きる道があるような気がして来て、革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄だと嘘をついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。
私は確信したい。
人間は恋と革命のために生まれて来たのだ。
ここで言う「革命」とは、社会主義革命のことではない。
既存の道徳の破壊である。
道徳を押しつけて来るおとなたちや世間と闘っていくということである。
そんなかず子の闘いとは、妻子ある小説家・上原の子供を産むことだった。
私生児を産んで、世間の目と闘いながら生きていく。
これが、かず子の闘いだった。
僕には、このかず子の闘い方がよくわからない。
実際かず子は上原のことを想い続けていたが、会ったのは1回きり、あとは手紙を3通送っただけ。
数年後に会ってみると、想いは急に醒めて、みすぼらしい上原が「老いた猿」に見えてしまう。
こんな愛してもいない男の子を産んで、生きていこうと思うなんて?
ただ、僕がかず子に共感するのは、
かず子が母親や弟のように死を選ばず、現実と闘っていこうとしていることだ。
かず子も、闘い方は人それぞれであることをラストの上原への手紙で書いている。
私生児と、その母。
けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。
どうか、あなたも、あなたの闘いをたたかい続けて下さいまし。
さて、くだらない、嘘ばかりの現実の中で、僕たちはどう反抗し、闘っていくか?
まあ、大抵の人は世間と妥協して、one of themとして生きていくんですけどね。
僕も歳をとったせいか、反抗し闘う生き方はしんどくなって来た。
太宰治の作品は、明解な『走れメロス』などは別として、読んでも、どこかもやもやと引っ掛かるものがある。
これを突き詰めていけば、もう少し深い思索にたどり着けるのかもしれない。
これは華族出身の世間知らずのヒロイン、かず子が戦後の現実社会と戦って、たくましく生きていこうと決心する物語である。
かず子がこんな決心をした背景には、華族の母と弟の直治の死がある。
華族の廃止された戦後社会で居場所のない母はあきらめの中で静かに死んでいき、直治は自殺した。
このことは前回のブログで書いた。
一方、かず子は逆の道を歩く。
作品中、こんな文章がある。
いったいまあ、私はそのあいだ、何をしていたのだろう。
革命を、あこがれた事もなかったし、恋さえ、知らなかった。
いままで世間のおとなたちは、この革命と恋のふたつを、最も愚かしく、いまわしいものとして私たちに教え、戦争の前も、戦争中も、私たちはそのとおりに思い込んでいたのだが、敗戦後、私たちは世間のおとなを信頼しなくなって、何でもあの人たちの言う事の反対のほうに本当の生きる道があるような気がして来て、革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄だと嘘をついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。
私は確信したい。
人間は恋と革命のために生まれて来たのだ。
ここで言う「革命」とは、社会主義革命のことではない。
既存の道徳の破壊である。
道徳を押しつけて来るおとなたちや世間と闘っていくということである。
そんなかず子の闘いとは、妻子ある小説家・上原の子供を産むことだった。
私生児を産んで、世間の目と闘いながら生きていく。
これが、かず子の闘いだった。
僕には、このかず子の闘い方がよくわからない。
実際かず子は上原のことを想い続けていたが、会ったのは1回きり、あとは手紙を3通送っただけ。
数年後に会ってみると、想いは急に醒めて、みすぼらしい上原が「老いた猿」に見えてしまう。
こんな愛してもいない男の子を産んで、生きていこうと思うなんて?
ただ、僕がかず子に共感するのは、
かず子が母親や弟のように死を選ばず、現実と闘っていこうとしていることだ。
かず子も、闘い方は人それぞれであることをラストの上原への手紙で書いている。
私生児と、その母。
けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。
どうか、あなたも、あなたの闘いをたたかい続けて下さいまし。
さて、くだらない、嘘ばかりの現実の中で、僕たちはどう反抗し、闘っていくか?
まあ、大抵の人は世間と妥協して、one of themとして生きていくんですけどね。
僕も歳をとったせいか、反抗し闘う生き方はしんどくなって来た。
太宰治の作品は、明解な『走れメロス』などは別として、読んでも、どこかもやもやと引っ掛かるものがある。
これを突き詰めていけば、もう少し深い思索にたどり着けるのかもしれない。