平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「坊っちゃん」 夏目漱石~漱石の「明治嫌い」「西洋嫌い」「江戸趣味」

2025年02月28日 | 小説
 夏目漱石の『坊ちゃん』
 作品はこんな感じで始まる。

 親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。
 小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。
 なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。
 新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)し立てたからである。
 小使いに負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階から飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。

 見事な始まりですよね。
 これだけで主人公のキャラクターがよくわかる。

 同時にこの文章は名調子の語り口調だ。
『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝さんも紹介していたが、朗読して心地いい文章だ。
 さあ、声に出して読んでみましょう♪

 漱石は落語が大好きだった。
『坊っちゃん』は「小説を落語口調で書いてみたら」みたいな意図があったのではないか。

 同時に漱石は西洋嫌い。
 英文学を学び、ロンドン留学までしたが、留学中はノイローゼになってしまった。
『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』(島田荘司・著)は漱石とシャーロック・ホームズが難事件に挑むミステリーだが、ノイローゼ描写が描かれていて面白い。
 ………………………………………………

 さて話を『坊っちゃん』に戻すと、
 坊っちゃんはたまたま通りかかった物理学校の生徒募集の広告を見て入学の手続きをし、
 たまたま物理学校の校長から、四国の中学校で数学の教師の職があると言われて松山に赴任する。
 深く考えず、勢いで行動してしまう所がいかにも坊っちゃんらしいが、
 これは明治の価値観に対する漱石の意思表示ではないか?
 当時の価値観は『帝国大学に入って立身出世する』のが主流だったから。
 これと対照的なのが江戸っ子だ。
 彼らはその日暮らし、自由気ままで上昇志向はない。
 まさに坊っちゃんだ。
 
 漱石の〝明治嫌い〟はこんな所にも表われている。
 松山の中学校で、坊っちゃんは教頭の『赤シャツ』や『野だいこ』らと戦うが、
 いっしょに戦う『山嵐』は〝会津〟出身なのだ。
 坊っちゃんと山嵐はこんな会話をする。
「君は一体どこの産(うまれ)だ」
「俺は江戸っ子だ」
「うん、江戸っ子か、道理で負け惜しみが強いと思った」
「君はどこだ」
「僕は会津だ」
「会津っぽか、強情な訳だ」
 江戸っ子と会津っぽは官軍が嫌い。
 山嵐を会津出身に設定したのには〝明治政府への反発〟の意図があったのだろう。
 漱石は、明治になって「人間が小者になった」「卑怯になった」「ずるくなった」と考えている。
 その代表が赤シャツと野だいこだ。

 坊っちゃんはそんな赤シャツたちを叩きのめして『不浄な地』松山を離れる。
 そんな坊っちゃんが最後にたどりつく場所が、下女の清(きよ)がいる場所だ。
 東京に戻った坊っちゃんは鉄道の仕事をしながら、清といっしょに暮らす。
 清は『坊っちゃん』を読み解く切り口のひとつだと思うが、今回は以下の形でまとめる。

 坊っちゃんにとって清は心の故郷だった。


※追記
『坊っちゃん』で披露される松山弁も音として面白い。
「あまり早くて分からんけれ、まちっと、ゆるゆるやって、おくれんかな、もし」
「然し四杯は過ぎるぞな、もし」
「それや、これやであの教頭さんがお出でて、是非御嫁にほしいとお云いるのじゃがもし」

※追記
 現在、四国・松山の人たちは自分たちの街を〝坊っちゃんの町〟としてアピールしているが、
 どうなんだろう? 何しろ『不浄な地』ですからね。
 まあ、松山の人たちはそれを百も承知で受け入れ、笑い飛ばしているんでしょうけど。


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