自分がやってきたことが否定されるって、つらいことでしょうね。
清盛(松山ケンイチ)は否定される。
忠清(藤本隆宏)は命を賭して、最期の忠告をする。
まずは水鳥の音に驚いて逃げ帰った清盛の孫・維盛(井之脇海)について
「それこそがまごうことなき平家の男の子の姿にございます!」
そして
「平家はもはや武門ではございません。殿ご自身ももはや武士ではありません」
これに対して清盛、忠清を斬ろうとして、平家伝来の宋の剣を振るうが、もはや剣の重さを支える力なく、剣は赤さび、よろけて地面に尻餅をつく。
哀しく、残酷なシーンだ。
前回(46話)で、義朝という友でありライバルである存在を思い出し、「あやつに見せてやるのじゃ、わしが目指し続けた武士の世を」と自分を取り戻した清盛。
しかし、取り戻すのは遅かったようだ。
孫の維盛に象徴されるように、平家は完全に武士でなくなってしまった。
父・忠盛(中井貴一)が語った<心の軸>がブレてしまった。
清盛に突きつけられる無惨な現実。
このことを伊豆の頼朝(岡田将生)は少し離れた客観的な視点で語る。
「あっけない。あのお方はどのような二十年を過ごしたのであろうか?」
「問い糺したいことが山とある」
二十年前の清盛を知っている頼朝には、現在の姿が信じられないのだ。
頼朝はこれまでひきこもり生活を送っていたが、常に<武士>とは何かを考えていたに違いない。
そのお手本となったのが、父・義朝であり、清盛。
だから下馬しない上総広常に対してこう言えた。
「退ね! もののふの道をわきまえぬ者の二千騎など何の役にたとう!」
頼朝は、義朝と清盛から<武士>とは何かを学び、清盛の<政治手法>とその<失敗>を教訓にして、次の世を作り上げていく。
清盛は<武士の世>を作るための通過点であり、頼朝が完成させたのだ。
最後に話は戻るが、清盛が忠清を斬れなかったのはなぜだろうか?
ひとつは先に述べたように、清盛が政争にあけくれ、もはや武士でなくなり、<心の軸>だけでなく<体の軸>も弱くなってよろけたせいであろうが、もうひとつは父・忠盛が止めたのだろう。「清盛、やめよ」と。
なぜなら平家伝来の宋の剣は、忠盛から与えられたもので、<父親の象徴>だから。
あるいは、この剣は<武士の象徴>でもある。
回想で、若き日の清盛が白河院に剣を向けるシーンがあったが、これこそは<武士>が<貴族社会>に反抗した象徴的なシーン。
清盛の悲劇は、宋の剣を後継者に託さなかったことにある。
剣を息子・重盛などに託して<武士とは何か?>を伝えていれば、今回のようなことにはならなかった。
この点、皮肉なのは源氏の<ひげ切り>である。
<ひげ切り>はしっかり頼朝に受け継がれた。
この剣が頼朝覚醒のきっかけになった。
しかも、頼朝に<ひげ切り>を渡したのは清盛!
清盛が頼朝に<ひげ切り>を渡した時点で、源氏の隆盛、平家の滅亡は決まっていたのだろう。
清盛が頼朝に<ひげ切り>を渡したシーンが後にこんな意味を持ってくるとは!
周到に計算し尽くされた脚本だと思う。
清盛(松山ケンイチ)は否定される。
忠清(藤本隆宏)は命を賭して、最期の忠告をする。
まずは水鳥の音に驚いて逃げ帰った清盛の孫・維盛(井之脇海)について
「それこそがまごうことなき平家の男の子の姿にございます!」
そして
「平家はもはや武門ではございません。殿ご自身ももはや武士ではありません」
これに対して清盛、忠清を斬ろうとして、平家伝来の宋の剣を振るうが、もはや剣の重さを支える力なく、剣は赤さび、よろけて地面に尻餅をつく。
哀しく、残酷なシーンだ。
前回(46話)で、義朝という友でありライバルである存在を思い出し、「あやつに見せてやるのじゃ、わしが目指し続けた武士の世を」と自分を取り戻した清盛。
しかし、取り戻すのは遅かったようだ。
孫の維盛に象徴されるように、平家は完全に武士でなくなってしまった。
父・忠盛(中井貴一)が語った<心の軸>がブレてしまった。
清盛に突きつけられる無惨な現実。
このことを伊豆の頼朝(岡田将生)は少し離れた客観的な視点で語る。
「あっけない。あのお方はどのような二十年を過ごしたのであろうか?」
「問い糺したいことが山とある」
二十年前の清盛を知っている頼朝には、現在の姿が信じられないのだ。
頼朝はこれまでひきこもり生活を送っていたが、常に<武士>とは何かを考えていたに違いない。
そのお手本となったのが、父・義朝であり、清盛。
だから下馬しない上総広常に対してこう言えた。
「退ね! もののふの道をわきまえぬ者の二千騎など何の役にたとう!」
頼朝は、義朝と清盛から<武士>とは何かを学び、清盛の<政治手法>とその<失敗>を教訓にして、次の世を作り上げていく。
清盛は<武士の世>を作るための通過点であり、頼朝が完成させたのだ。
最後に話は戻るが、清盛が忠清を斬れなかったのはなぜだろうか?
ひとつは先に述べたように、清盛が政争にあけくれ、もはや武士でなくなり、<心の軸>だけでなく<体の軸>も弱くなってよろけたせいであろうが、もうひとつは父・忠盛が止めたのだろう。「清盛、やめよ」と。
なぜなら平家伝来の宋の剣は、忠盛から与えられたもので、<父親の象徴>だから。
あるいは、この剣は<武士の象徴>でもある。
回想で、若き日の清盛が白河院に剣を向けるシーンがあったが、これこそは<武士>が<貴族社会>に反抗した象徴的なシーン。
清盛の悲劇は、宋の剣を後継者に託さなかったことにある。
剣を息子・重盛などに託して<武士とは何か?>を伝えていれば、今回のようなことにはならなかった。
この点、皮肉なのは源氏の<ひげ切り>である。
<ひげ切り>はしっかり頼朝に受け継がれた。
この剣が頼朝覚醒のきっかけになった。
しかも、頼朝に<ひげ切り>を渡したのは清盛!
清盛が頼朝に<ひげ切り>を渡した時点で、源氏の隆盛、平家の滅亡は決まっていたのだろう。
清盛が頼朝に<ひげ切り>を渡したシーンが後にこんな意味を持ってくるとは!
周到に計算し尽くされた脚本だと思う。