平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「光る君へ」 第44回「望月の夜」~まひろとの約束を果たしたことを歌に込める道長。まひろもそれを理解する

2024年11月18日 | 大河ドラマ・時代劇
 道長(柄本佑)、ついに絶対的な権力を手に入れた。

 三条天皇(木村達成)は譲位、そして亡くなった。
 結果、道長の孫・敦成親王が帝・後一条天皇に。
 長男・頼通(渡邊圭祐)は摂政に。

 娘・彰子(見上愛)は太皇太后。
 娘・妍子(倉沢杏菜)は皇太后。
 娘・威子(佐月絵美)は皇后(中宮)に。
 つまり三后の独占だ。

 そして祝いの席。
 道長の盃を、頼通から始まって重臣たちがまわし合う。
 つまり道長を中心に結束していくという意味だ。

 そんな状況で道長が詠んだ歌が──
『この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば』

 道長はこの歌の返歌を実資(秋山竜次)に求める。
 実資は三条天皇に通じていた半分・反道長派だ。
 そんな実資は返歌を求められて「返す歌がない。復唱するしかない」と答える。
 つまり実資も道長に屈した。
 清少納言(ファーストサマーウィカ)が男性でこの場にいたら、皮肉を込めた歌を返しただろう。

 絶対的な権力を手に入れた道長。
 しかし、この場に集った人たちの思いはさまざまだ。
 素直に共感した者もいただろうが、道長の権勢の道具にされた妍子と威子は納得していない。
 彰子は「女子の心をお考えになったことがあるのか?」と責めたが、一定の理解はしている様子。
「当りを引いた」倫子(黒木華)は嬉しそう。

 そして、まひろ・藤式部(吉高由里子)。
 最初にこの歌を聴いた時は、「我が世の春を謳歌している」と解釈して怪訝な表情をしていたが、
 後に別の解釈をした様子。
 道長はこの歌を通してまひろに「月の夜にかわしたおまえとの約束をついに果たしたぞ」という
 メッセージをおくったのだ。
 この場合、「この世」とは「この夜」
「わが世」の意味は「わたしの生涯」
 大胆に意訳すると、
「今夜はわたしの生涯で最高の夜だ。月は欠けていない。まひろとの約束を交わした夜の月のように」
 さらに今作の流れで真意を解釈すると、
「絶対的な権力をもった自分は政敵を気にせずに、思いきり民のための政治ができる。
 おまえとの約束を果たしたぞ」
 このメッセージに微笑むまひろ。
 台詞で語られなかったが、
「道長様、お疲れ様でした」
「三郎、やったわね」
 みたいなことを思っていたのかもしれない。

『望月の歌』をこう解釈してドラマにしてしまう脚本・大石静さん、お見事です。
 同じ歌でも見方を変えると、違った姿が見えてくる。

※追記
『望月の歌』を次のように解釈している学者さんもいる。
 平安文学研究者の山本淳子さんだ。
 山本教授の解釈によると、
「この世」とは「この夜」
「望月」は「盃」と「后」
 意訳すると、
「この夜はわが人生の最高の時だ。
 盃を交わす仲間も三人の皇后たちも誰ひとり欠けることなく集っているのだから」

 山本教授が「望月」を「満月」と解釈しない根拠は、道長がこの歌を詠んだ日が暦学・天文学的に
「満月」ではなかったかららしい。


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4 コメント

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長生きした方が勝ち (TEPO)
2024-11-18 13:59:55
>「今夜はわたしの生涯で最高の夜だ。月は欠けていない。まひろとの約束を交わした夜の月のように」
今回では「荒れ邸での逢瀬」の回想シーンのみによる暗示。
ネタバレ予想情報によれば敦成親王誕生の折にまひろが詠んだ歌
「めづらしき光さしそふ盃はもちながらこそ千代もめぐらめ」
への返しという意味があったそうで、次回改めて取り上げられるかもしれません。
この歌は『紫式部集』にもある歌だと思いますので、大石さんはそこから「発掘」したのでしょう。
いずれにしても「望月の歌」、他の人たちがどのように解釈しようと、まひろと二人だけの共有する世界で繋がれていたということ。

ところで道長の「勝利」、「政敵たちが勝手に自滅」と言ってもよいでしょうが、「長生きした方が勝ち」ということもできるかと思います。
まずは道隆(42歳)、伊周(36歳)、定子(25歳)、敦康親王(21歳、おそらく次回で退場)の中関白家。
そして三条天皇の41歳。
いずれも若死にしています。
定子や敦康親王は「政敵」というほどの存在ではなかったにせよ、通常の歴史観から見れば存在自体が道長にとって邪魔な人たち。
道長贔屓の本作では、定子は「溺愛する一条天皇が政治を顧みず世を乱した存在」、敦康親王は「藤壺比例式」による危険人物ということでした。

他方、道長は62歳まで生きたので、当時の男性としては長命。
「政敵たちが勝手に自滅」というより、「専守防衛の闘いを辛抱して生き延びた」と言えるかもしれません。
しかし、「長生きした方が勝ち」という点で言えば、もっと「勝者」に相応しいのは倫子と彰子。
彼女たちはそれぞれ80代まで生きたようです。

紫式部については正確な生没年は不詳のようです。
本作でのまひろは三郎・道長より少し年下という設定ですが、いつまで生きるのでしょうね。
「宇治十帖」の作者を賢子とする説は、紫式部の没年を早めに見る説と結びついているのでしょうが、もうその可能性はありません。
道長の「俺より先に死ぬな」との言葉があるので、おそらくまひろは道長の死を見送るまでは生きるのでしょう。
最終回はどうなるのか。
ハッピーエンドを期待したいと思っています。
返信する
唱和することの意味 (2020-08-15 21:49)
2024-11-18 20:55:40
ちょっと変わった解釈かもしれませんが…

実資は、道長のあの歌が、あの場の人々によって「傲慢」と解釈される危険性を考えて、まずいと思ったんでしょう。道長本人に傲慢のつもりがなかったとしても、そう解釈されても仕方がない歌だったわけです。
なので実資は返歌を返さなかったわけです。返歌を返せば道長の「傲慢」に賛同することになり、できないわけです。
そこで考えたのが「唱和」だったと思います。
みんなで「唱和」することで、みんなの「わが世」が望月のように満ちることになるわけで、道長ひとりだけの「我が世」ではなくしてしまったわけです。

傲慢を無効化する高等技術だったと、そうも解釈できそうな気がします。
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最終回は「物語」で締めるのがふさわしい (コウジ)
2024-11-19 10:27:50
TEPOさん

いつもありがとうございます。

道長の歌は「めづらしき光さしそふ盃はもちながらこそ千代もめぐらめ」を意識しているんですね。
教えていただき、ありがとうございます。
確かに道長の権勢は「千代もめぐらめ」になりそうですね。

>「専守防衛の闘いを辛抱して生き延びた」
確かにそうですね。
歴史では「専守防衛」に徹した方が最終的に勝つんですよね。
あとは私利私欲に走らないこと。
そんな道長の権勢も道長が亡くなれば崩壊するわけで、やはり諸行無常ではありますよね。

そして倫子・彰子は80代まで生きる。
道長の思いを守るのは彰子なのかもしれません。

最終回はどうなるんでしょうね。
今回、まひろは倫子に道長のことを書くように依頼されましたが、これがキイになるのかもしれません。
たとえば道長の物語を書きながら過去を回想し、これはふたりだけの物語だからという理由で最終的に燃やしてしまうみたいな最終回。
今作の最終回は「物語」で締めるのが、ふさわしいと思います。

それにしても依頼した倫子は意地悪ですよね。
道長の物語を書くことによって、まひろの心の中がすべて明らかになってしまいます。
おそらく倫子は、道長の心の中の人はまひろだとわかって書かせたんでしょうね。
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確かに (コウジ)
2024-11-19 10:37:39
2020-08-15 21:49さん

いつもありがとうございます。

確かに、実資のリアクションの意味はさまざまに解釈できるんですよね。
おっしゃるとおり、傲慢を諫めるような、あるいは道長の世をたたえるような返歌をしたら、望月の歌は「傲慢」の歌になってしまいます。

そして皆で唱和だと、望月の歌は山本淳子さんの解釈になる可能性があります。

今作はせりふで語れられることが少ないので、行間を読んだり、真意を類推する楽しみがあるんですよね。

予告に拠ると、次回、周明が再登場ですね。
楽しみです。
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