フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

残された者のあの悲しみを知っている…。

2014-10-26 22:23:59 | 日記
10月26日 日曜日 晴れ

この数日の忙しさもあるけれど、それ以上に友人の死の悲しさで身体も心も気怠い。
あるじが亡くなった時もそうだったけれど、人と何でも無いおしゃべりをする気になれない。
独りで黙々と部屋を片付けていた。何もせずに居ると鬱のように閉じこもりになりそう。

あるじが亡くなった時、骨壺に収まってしまったあるじとわたしだけの家。辛かった。
父親を亡くした娘達も悲しかっただろうが、それぞれの家に帰れば当然今までと同じ日常に戻れる。
家族が揃って居るのだから…。

告別式から帰宅すると、喪服を脱ぎ「疲れたね、お茶でものもうか」の言葉で仕度をしたもの。
あるじの両親やわたしの父が亡くなったときには、孤独感はあるじの時ほどは無かった。
でも、あるじが亡くなりたった一人になったその日、もうわたしの元の生活は消えていた…。

それから8年近くその生活を続け、やっとこの頃大分慣れ気持ちは落ち着いている。
今は残された時間を心静かに過ごしていこうと思うだけ。それを大事にしている。

今までわたしより年上の人の死を経験しているだけ、わたしは幸せと思う。
両親とはいずれ別れるときが来る事を、無意識の中で知っていたはず。
連れ合いや子どもを亡くしたときの、辛さは経験しないと判らないと思う。わたしも判っていなかった。

わたしは、独り生活の寂しさを経験し、だんだんそれに慣れそれが日常になって来ているけど、
友人に先に行かれ残されご主人は、今頃、辛い孤独感に襲われているはず。逃れられない。
わたし自身も、どんなに辛くても、「人ごと」。残された者のそれとは違う。頑張らなくては…。
コメント
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