10月26日 日曜日 晴れ
この数日の忙しさもあるけれど、それ以上に友人の死の悲しさで身体も心も気怠い。
あるじが亡くなった時もそうだったけれど、人と何でも無いおしゃべりをする気になれない。
独りで黙々と部屋を片付けていた。何もせずに居ると鬱のように閉じこもりになりそう。
あるじが亡くなった時、骨壺に収まってしまったあるじとわたしだけの家。辛かった。
父親を亡くした娘達も悲しかっただろうが、それぞれの家に帰れば当然今までと同じ日常に戻れる。
家族が揃って居るのだから…。
告別式から帰宅すると、喪服を脱ぎ「疲れたね、お茶でものもうか」の言葉で仕度をしたもの。
あるじの両親やわたしの父が亡くなったときには、孤独感はあるじの時ほどは無かった。
でも、あるじが亡くなりたった一人になったその日、もうわたしの元の生活は消えていた…。
それから8年近くその生活を続け、やっとこの頃大分慣れ気持ちは落ち着いている。
今は残された時間を心静かに過ごしていこうと思うだけ。それを大事にしている。
今までわたしより年上の人の死を経験しているだけ、わたしは幸せと思う。
両親とはいずれ別れるときが来る事を、無意識の中で知っていたはず。
連れ合いや子どもを亡くしたときの、辛さは経験しないと判らないと思う。わたしも判っていなかった。
わたしは、独り生活の寂しさを経験し、だんだんそれに慣れそれが日常になって来ているけど、
友人に先に行かれ残されご主人は、今頃、辛い孤独感に襲われているはず。逃れられない。
わたし自身も、どんなに辛くても、「人ごと」。残された者のそれとは違う。頑張らなくては…。
この数日の忙しさもあるけれど、それ以上に友人の死の悲しさで身体も心も気怠い。
あるじが亡くなった時もそうだったけれど、人と何でも無いおしゃべりをする気になれない。
独りで黙々と部屋を片付けていた。何もせずに居ると鬱のように閉じこもりになりそう。
あるじが亡くなった時、骨壺に収まってしまったあるじとわたしだけの家。辛かった。
父親を亡くした娘達も悲しかっただろうが、それぞれの家に帰れば当然今までと同じ日常に戻れる。
家族が揃って居るのだから…。
告別式から帰宅すると、喪服を脱ぎ「疲れたね、お茶でものもうか」の言葉で仕度をしたもの。
あるじの両親やわたしの父が亡くなったときには、孤独感はあるじの時ほどは無かった。
でも、あるじが亡くなりたった一人になったその日、もうわたしの元の生活は消えていた…。
それから8年近くその生活を続け、やっとこの頃大分慣れ気持ちは落ち着いている。
今は残された時間を心静かに過ごしていこうと思うだけ。それを大事にしている。
今までわたしより年上の人の死を経験しているだけ、わたしは幸せと思う。
両親とはいずれ別れるときが来る事を、無意識の中で知っていたはず。
連れ合いや子どもを亡くしたときの、辛さは経験しないと判らないと思う。わたしも判っていなかった。
わたしは、独り生活の寂しさを経験し、だんだんそれに慣れそれが日常になって来ているけど、
友人に先に行かれ残されご主人は、今頃、辛い孤独感に襲われているはず。逃れられない。
わたし自身も、どんなに辛くても、「人ごと」。残された者のそれとは違う。頑張らなくては…。