予報通り良いお天気でした。和室の引き出しに薄手のシャツがまだ有ったので、2階に運ぼうと思ったのですが良いお天気なのでそれも洗ってから運ぶことにしました。洗濯機を回しながら、この所着続けていました白地のセーターを洗面所で洗っていました。
白いセーターなのに、つい無花果の黄色くなり始めた無花果の木の葉を取ったり、今まで大事にして居たのに普通の普段着のセーターのように着ていました。セーターは手洗いしネットに入れて脱水してから、ラジオを聴きながらアイロンを掛けていました。
NHKの”やすらぎクラシック”の時間だったと思うのですが、ピアノの教則本”子供のバイエル”が数曲流れてきたのです。わたしも弾きましたし、二人の娘も弾いていたのに、そのメロディーを殆ど思い出せませんでした。記憶に無いのです。
娘たちが使っていたバイエルを探したのですが発見できませんでした。記憶の無いメロディーばかりでした。なんとも残念でした。教則本「バイエル」の練習曲が次々に流れてきました。とても良いメロディーでした。
子供のタッチで危なげに弾いていたのと違い、素敵なメロディーばかりでした。無性にバイエルを弾きたくなりました。この頃、我が家の近辺からは、全くピアノの音色は聞こえません。小さい子供も少なく、ピアノのレッスンを受けている子供もいない様子。わたしが子供を育てている頃とは変わってきています。
わたしが子供の頃から、一緒にピアノを習っていた友人がピアノの講師をしていますので、バイエルをお借り出来ないか、聴いてみたくなってます。
随分古い事ですが、ピアノを習い続けていると当然練習する曲が長くなって行きます。子育てと仕事と家事をしながらの練習は無理のような気がし始め、一大決心をしたのです。
ポピュラーピアノに転向しようと思いつきました。新聞広告で探したお教室を保護者の夫と見に行き、転向を決めたのです。ポピュラーピアノでは、映画音楽が多く当然曲も短かったので楽でしたが、リズムに苦労していました。
それに、わたしのタッチがポピュラー向きでは無いと感じ始め、チェルニー30番をもう一度弾きなおし、タッチを変えたくなり、ポピュラーの教室に行きながら、チェルニーを見て頂くようにして毎週2日、レッスンに通い始めたのです。
勿論、保護者の夫の許可を頂いての事です。当時、わたしも仕事をして居ましたが、新婚旅行の帰りの道中に”自分のお給料だけで生活をして欲しい”と言われました。結果わたしは、わたしの収入は夫とわたしの名義で貯金をしていました。
二人の娘もピアノを習っていましたし、途中からフルートも始めていましたから、わたしが2か所でレッスンを受けるのは、散財です。夫と娘たちに事情を話し許しを頂きました。感謝しながら嬉しかったです。
ポピュラーの講座は、出来上がった曲を弾いたり、自分でアレンジした曲を弾くのが常でしたから、アレンジが出来ない時は苦労しました。仕事が忙しくピアノを触る時間が取れず、宿題で困っていた時、夫が娘たちに”お母さんが宿題で困っているから、宿題が出来る様に片付けを手伝ってあげて”などと、娘たちに言ったりしていました。
その言葉は嬉しかったのですが、夫の夕食時間が2時間強掛かっていたのです。夫の晩酌時間を短くするのが一番早道でしたが、流石にそれは口に出せず、ただ家族にひたすら感謝していました。
アイロンを掛けながらバイエルの曲をラジオで聞いて、昔々の事を想い出し懐かしんでいました。自分の幸せを再確認していました。